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進撃のWeek44【Day1】自己理念

はじめに

「進撃のweek」に参加させていただくことになりました。
進撃のWEEKとはHUNTERCITYが提供する1週間集中型起業家向け研修です。
詳細はこちらです。
今回はDay1として理念設計課題をアウトプットしていきます。

沿革

  • 幼少期~中学:東京で生まれ2歳から仙台で育つ。父親が警視庁にいたため都内にいたが、祖母が仙台に病気になったことがきっかけで家族で仙台に戻る。父親は警察が楽しかったらしく、幼いころから警察官になれと言われて育つ。幼いころから体格はいいが気が弱く、運動も勉強もできない子だった。そもそも物心がついてなかったと思う。ただなんとなく生きていた。

  • 高校:1年生からテニス部の部長になり部活動に明け暮れる。クラスでは中心的存在になり一番楽しかった時代。勉強はろくにしていなかったが、高校2年の担任教師との2者面談で「将来何になりたいのか?」と聞かれ、「アウトドアブランドのパタゴニアに興味があります」と言った。すると教師は、最近NHKでパタゴニアのドキュメンタリー番組の内容を共有してくれた。ある島の管理区域を仕切る鉄線のせいで原生動物が十分に行き来できない中、パタゴニアの社員が鉄線を外していたという内容だった。衣料品としてかっこいいとしか思っていなかった私は、パタゴニアがそういったことをする会社と知らなかったので感銘を受け、「パタゴニアで働きたいです」と教師に言った。その後、教師はパタゴニアの創設者の新聞の切り抜きや書籍をよく持ってきてくれた。

  • 大学:パタゴニアを通して環境問題の解決と経済活動の両立の大切さを知った私は、「環境と経済の両立」をテーマに自己推薦で大学に入学。そして入学と同時に、当時住んでいた仙台にパタゴニアの直営店ができ、オープンスタッフを募集していることを知る。勿論面接を受け、学生で唯一のスタッフになる。しかし、リーマンショックの影響や自身のスキル不足からパタゴニアを解雇される。その後、たまたま知り合った建築設計事務所の社長がパタゴニアの経営を参考にしていたことから、その会社の環境事業部長として環境事業の立ち上げ・運営を1人で任される。事業内容は飲食店から出る廃油を回収して軽油を生成するものだった。そこで社長から「もっと頭を使って自分のやりやすいように仕事しなよ」と言われる。これまで何かを創るという経験がなかった私は衝撃を受ける。「自分でつくっていいんだ」と思い、そこから何を創ることが楽しくなった。


「沿革」と紐づく出来事

貢献
高校2年の時に母のがんが見つかり、大学2年の時に亡くなる。高校時代まで自分は親や周囲への感謝もなくただ平凡な毎日を過ごしていたが、母の闘病生活中に何の役にも立てなかった経験から、誰かの役に立ちたいと考えるようになり、自分の生きる目的が芽生えた。

革新
パタゴニア社の”環境問題の解決をビジネスを手段に達成する”というミッションやその他のビジョン、コアバリューを、スローガンではなく、実際に体現していると末端のアルバイト店員ながら体感した時に、自らもいつか社会を変革する目的を持って、その軸からブレずに経営したいと考えた。

創造
大学時代、とある中小企業の環境事業部長として環境事業の立ち上げと運営を1人で任された。その際に社長から「もっとやりやすいように頭使いなよ」と言われた時に「自分で全てつくっていいんだ」と思い、思考様式が変わった。以降、誰かが何かに困っている場合に、どうやって解決できるかを考える癖がついた。

仕組み
シンクタンク系コンサル会社での経験から、国連、日本政府、自治体、企業等がどのように社会に作用しているか俯瞰して捉えるきっかけになった。その中で企業は「①社会の機能として価値のある会社」と「②機能ではない価値のある会社」に大別できると考え、まずは①を創ってから②を創りたいと考えた。

挑戦
6年前に着想し起業しようか悩んだビジネスアイデア(結局諦めサラリーマンを続けた)と全く同じビジネスが最近世の中でスケールし始めていることを知る。着想した当時に起業していればよかったという後悔と共に、着想したアイデアは放置せず次の行動に繋げ、ビジネス化に挑戦することを誓った。

経営理念

上記をまとめると、「多くの人の役に立つために社会を変える仕組みや機能を創造したい。」「仲間たちと目的を共有し、同じベクトルに進んでいきたい。」という想いが根底にある。

このことから経営理念は「既存の仕組みを改修し、多くの人の役に立つ機能になること」となりました。


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