この体で唯一苦しかったこと

大学3年のバドミントンの授業の時の話です、

僕はこう見えて、バドミントンもそこそこできます。
その日の目の調子や体育館の自分の位置による光の関係で、見えなかったりはしますが高校の時はバドミントン部とも張り合っているほどでした、

ただ、視界の中の見えないポイントに入ってしまうと目の前に飛んできた羽やふわっとしたフライ性のものでも全く反応ができずただ立ち尽くすだけになってしまいます。

とはいえ、持ち前の運動能力で、それなりに潜り抜けてはいたんですが、学期の終盤学生をいくつかのグループに分けその中でダブルスを作り、他グループと対戦するという流れになりました。この時僕とダブルスを組んでくれたのは僕の身体のことを知ってくれている人、対戦相手も僕の友達だったので、僕のことを気にかけながらゲームを行ってくれていました。しかし、この時も僕は目の前に来た羽に対し、ただ立ち尽くすようなミスを何回かしていました。そんな時、僕と同じグループだった、コートのわきで見ていた2人が僕のプレーを見ながらクスクス笑っているのが分かりました。そこから対戦を続けていく中で何度もミスを繰り返し、ゲームが終了する頃には笑いを押さえようとしているけどこらえられていないような状況でした。

その時の僕は落ち着いていました。

「そりゃ笑われても仕方ないよな」と今の状況を客観的にとらえられていたと思います。

しかし、今思えばこの時の僕は
必死に平然を保とうとしていたんだと思います。


そして、授業が終わり大学のスクールバスを使って夜ご飯の買い物に行こうと思いバスが来るのを待っていました。この時も僕の心は全く波打ってはいませんでした。ですが、笑われている状況、その笑い声や、その人たちの姿が頭の中でフラッシュバックされ続けていました。他のことを考えようとしてもその映像が何度も何度も繰り返され頭から離れません。
そうしているうちにバスが来て、最寄りの駅まで向かうのですが、その最中に全くそんなつもりはないのに心は落ち着いているのに、大粒の涙が止まらなくなりました。
この授業中に起きた状況、その本当の心境はその場でラケットをへし折って壁か床に思い切り投げつけ、奇声を上げながら、その空間から立ち去りたいほどだったといっても決して大げさではなかったです。それなのに、それを押し殺そうとしてしまった。それに体が耐えられなくなってしまったんだと思います。
それでも、その状況で「僕はこういう身体だから仕方ないんだよ」と笑っている人たちに言うのは、今まで自分のハンデを言い訳にしてこなかった自分の生き方から考えてすごくダサいと感じ、笑っていた人たちからすればただ単純に僕は「へたくそな奴」に映っただけなので笑うことは自然なことでもあると思い、その人たちが悪いわけではないと思います。そんな誰にもぶつけることのできない状況だからこそ押し殺そうとしてしまったのかもしれません。そしてその時の悲しさ、悔しさ、怒りが爆発してそれが涙となって溢れたんだと考えています。
そのあふれ出る涙は、バスを降りても。買い物をしている際中も止まることはありませんでした。

この経験から、僕は心と体はつながっていると実感しました。一方で耐えようとしすぎるともう一方が耐えられなくなってしまう。

そんなことがありながらも僕は笑っています、毎日を楽しく過ごしています。それは、僕の周りには僕にとって大事な人たちがいて、僕には目指すべき目標もある、それが僕を支えているからに違いないんです。

僕自身も誰かにとって、そんな存在になりたいと思うばかりです。


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