これからの学校教育
これからの時代はインターネットを開けば、どんな内容からを調べてもその授業の動画が見つけられる.
例えば、
日本史戦国時代や
分数の掛け算割り算
英語関係代名詞
どんな細かな内容でもほとんどが見つけられる、そしてそれが非常に分かりやすく説明されている.
それもあいまって、子どもたちがが得る知識は学校よりもネットからの方が多くなっているはずである.
きっと5:5などではない
1:9と言ってもさほど言い過ぎではないと思う
そして、先生たちは教えることを生業としているが先生も人間であり得手不得手があるはずだ.
小学校の先生だと、全教科教えなくてはいけない、そうすると「私は国語を教えるのは得意なんだわけど、算数はちょっと苦手なんだよねー」みたいなことが必ずある.
そうしたときに、自分が全部やらなくちゃ、自分で教えることが先生の役割などと考えている先生もいるかもしれないが、先生の役割は子供達により良い学びの場を提供することであり、自分が苦手な教科まで全て教えることではない.
苦手なこと、またそうでなくてもYouTubeを開けば、自分よりも分かりやすく解説してくれている動画が山ほどみつかる、それを使えばいい.
それも立派な教材の一つだと思う.
それに冒頭でも話したように子どもたちの知識は大半がネットからのものになっている中で、鎌倉幕府滅亡1333年などを覚えるだけの授業は正直言ってなんの面白味もない.
その程度のことを学ぶだけなら、YouTubeでこと足りるしそつーちの同川の方がよっぽとわ面白いだろう.
じゃあ学校は何のためにあるのか、全く必要ないのか.
僕はそうは思わない.
学校には学校の楽しさがある.
僕の頃は、学校に行き、前の日のテレビ番組の話題で盛り上がったり、そのときはやっているゲームの話、部活に命をかけてたりもした.
こんなふうに学校にはコミュニティとしての価値がある.
だからこそ、学校での授業はこれまでの記憶すればいいような内容は分かりやすい動画などをしようして、導入としてさっさと済ませ、多くの人間が集まらなければできないことをすることにフォーカスしていく必要があると考えた.
つまり、ディパートやディスカッションなどのグループで答えの無い問いをグループ等で時には生徒だけでなく精製たちも考えながら、意見を出し合いそれを発表し共有する.
僕が今やっている大学院での授業形態にも似ている.
学校という場が受験の準備としてだけの場になってはいけないし、学校の本来の目的を考える.
そして、先生たちは今の時代を大いに利用してもらいたい.
さらにこれからの時代は自動翻訳も進み、海外の講師の動画でさえ使い放題だ.
ブラジルの先生が教える分数の足し算がめちゃくちゃ面白いみたいなことがあるかもしれない、いやきっとある.
これから先生を目指して、勉強している人はそういった動画をたくさん見つけ、自分の後ろに何人もの先生をまとってから、学校に赴任してもらいたい.