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スマホのない生活<タイ山岳民族ホームステイ体験記②>

前回からの続き。

舗装されていない山道を車でひたすら駆け上った先にその村はあった。民族衣装を着たおばあちゃんに迎えられる。若者も子どもも来る。バンコクや都心にいる人とは明らかに違うどこか神聖な雰囲気。言葉も通じないから、どうコミュニケーションを取っていいか、最初はわからなかった。

空気がとても綺麗で澄んでいる。

犬が駆け寄って来る。野生でも飼い犬でもないけど、人馴れしている。ご飯はあげるけど、ペットのように可愛がってはいない。動物と人間の関係って昔はこうだったんだろうなぁ。

電気は通っていないので、最低限必要な分はジェネレーターで賄っているらしい。いろりでお湯を沸かし、料理をする。日が暮れたら夜ご飯で、食べたら真っ暗なので、寝る準備。おそらく20時くらいだっただろう。こんな時間に寝床についたのはいつぶりか。こうして1日目が終わる。

スマホのない生活

電波が通っていないから、必然的にスマホを手に取る機会はなくなる。最初はやることがなくてどうしたらいいかわからなかった。仕事もせず、スマホを見ないだけで、こんなにも膨大な時間が生まれるのか。とにかくヒマだ。

そんな時は、散歩したり、犬と遊んでみたり、折り紙をしてみたり、村人の作業を眺めて手伝ったり、昼寝したり。これをやっても時間が余る。

ただ空を眺めてボーッとする。

でも、この時間を過ごしていくうちに感じたことがある。人間、何もないところからでも楽しみを見つけることができるということ。折り紙をおるなら、集中する。犬と遊ぶなら存分に楽しむ。空や景色を眺めるなら、五感をフルに使って自然を感じる。

こうやって、全力で今この瞬間に集中する。そんな時間を過ごしていると、将来への漠然とした不安や、不在の間の仕事の連絡のことは、徐々に頭から消えていった。不思議なことに。

今に集中する

僕含め都市型の現代人は、どれだけ今この瞬間以外のことに気を取られているだろうか。起きてもいない不安に苛まれたり、妄想で頭がいっぱいになって今に集中していなかったり。脳がネット上の外部刺激に慣れてしまい気がつけばスマホで何かを見ている。

周りに空白を埋めるものがたくさんあるから、安易にそれに頼ってしまう。自然に近い生活をしていると、脳に快楽を与えるコンテンツは自ら見つけ出すしかない。過去と未来の時間軸が存在しないから、必然と今この瞬間を生きることに時間を使うようになる。自然を眺めて感じているだけで、脳は十分に快楽を得ることができる。そしてそんな時の精神状態はとても豊かだ。

瞑想やマインドフルネスが現代に広がった意味も、これでわかる。今この瞬間を感じ、集中することの意味を体感したから。

続く

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