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「英語がペラペラに話せる」とは何かを考えてみる

ホリエモンとゴーンが英語でやりとりをしている動画を見た方も多いかと思います。非常に繊細な話を自分の言葉で、自分の英語で話されているホリエモンはさすがだな、と思いながら見ていました。

そもそも「英語がペラペラになる」とはどういうことなのでしょうか。ずっとペラペラではない時期があって、ある日突然「あ、今日からペラペラだ!」となるのでしょうか。それはまずないと思います。実際、私自身は同僚含めて各国の人とお話しをしてきていますが、ペラペラかどうかは疑問です。というのも、何が話せたらペラペラかという「ペラペラの定義」がわからないからです。例えば、東京駅で誰かが英語で会話をしている光景を見たとき、その話している中身が何かを知らずに「あ、あの人英語を話してる。すごいな。」と思って勝手に自分の描くペラペラの領域にその人を入れている可能性もあります。その英語の会話の中身がもしかしたら政治の話かもしれないし、もしかしたらスポーツの話かもしれません。よくあるケースが「週末何してた?」「ずっとNetflix見てたよ。お菓子食べ過ぎちゃったよ。」というレベルの会話にすぎないこともあります。私も昔はとりあえず英語で話している人に憧れていました。

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冷静に考えて見ると、週末の出来事ぐらいの会話は中学生のボキャブラリーで十分で、その会話をする練習が足りていなかったり、機会や相手、英語で反応できる心の準備、もしかすると突然英語にスイッチする勇気がない (恥ずかしさ)ことに原因があるような気がしています。

A: “How was your weekend?” 
B: “Not bad. I watched Netflix all day. I ate too much snacks.” 

と言えばいいのですが、前回でも書いたように練習しなければ(自主練も含めて)絶対にできるようにならないかと思います。今流暢に話しているように見える人も、帰国子女であったとしても、見えないところで地道な練習をしていることが多いと感じています。

私たちが目指すべきところはネイティブになることではない。私たちはどれだけ頑張っても、アメリカ人にはなれないしオーストラリア人にはなれないです。外国語を使って、自分の言いたいことを、例えなまりがあったとしてもしっかり伝えることができること、これこそが私たちが追求するところではないでしょうか。完璧でないと思っても間違えていると感じてもよいので、使おうとする気持ち、伝えようとする気持ち、実際に使ってみること、これが最も大切かと思います (Willingness to Communicate)。そして言いたいことが伝えられ、相手の言っていることがわかれば、それは外国語を使うことに成功しているのだと思います。ペラペラかどうかは関係ないと思います。決して自分のレベルを見下して「どうせできないからいいや。」と諦めてはいけないし、自分の国籍や文化を卑下する必要もないかと思います。

楽しく継続させるところに鍵がありそうです。

今日も最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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