レビン学長と考える、大学の文化はいかに作られるのか?

MA/MBAプログラムのキック・オフ・レセプションの最中、スタンフォードGSBのレビン学長とコロンビア出身の同級生Danielと3名で、議論が非常に盛り上がりました。

スタンフォード大学の教育環境がいかにできているのか。そして、多様性を活かしきれないとされる日本において、果たして再現できるのか、というテーマです。

せっかくなので、簡単にまとめてみようと思います。

スタンフォード大学の文化はいかに作られ、維持されるのか?

発端は、Danielの一言でした。

「母国で教育を受けてきて、暖かいコミュニティの一部と感じることはなかったです。お互いから学び合うマインドセットが作られているのは素晴らしい。こういう仕組みを再現性のある形で持ち帰れたら、母国の教育も豊かになると考えているのですが。」

僕も同感です。学部時代にも感じましたが、個人的に感じた米国と日本の大学の1番の違いは、授業の外の「学生の(学びの)顧客体験」がいかに形作られているかです。

我々は、「大きなラーニング・コミュニティ(学ぶ共同体)の一員」としての意識を強く感じさせられ、その気持ちは日々強まることになります。仕組みは、学生が互いの関心や経験から学ぶことを非常に強調しています。

「面白いのは、大学側がそれを強制できないという点です。我々が出来るのは、寮での共同生活やキャンパスなどの仕組みの設計まで。最終的に、そういうマインドと空気を作るのは学生自身。そして、その学生は毎年変わっても、雰囲気や文化は変わらず伝統として継続する。非常に興味深いですよね。」

とレビン学長の回答。以下、議論の内容からの学びと考えを、(僕なりの解釈で)まとめてみようと思います。

①「違い」を担保する入試制度の設計

第一に、入試/選考における多様性の重視。お互いから学ぶためには、「違い」が重要になります。だから、各大学・大学院がその専門性の中で、社会経済的背景、人種、国際性、経験、専門性が異なる学生を高いレベルで集めます。そして、学部・大学院間の垣根を極端に下げるわけです。

②「出会い」をもたらすハード面の設計

第二に、建物やキャンパスといった「ハード面」の設計があります。①カフェや食堂などの「食」を中心に設置する、②キャンパスの中心に導線を作り、場所の移動の際に尽く同じ広場を通るようにする、③徒歩1分の位置に1年生が全員住める、などの施策があります。

③ソフト面の設計

第三に、ハードを活かしたソフト面の設計です。大学に入学して1週間で行われるオリエンテーションなど、「オン・ボーディング」に、物凄い力が使われています。この大学にとって、授業(と準備)はどれほど大事なことか。お互いレスペクトし助け合う文化があり、だから卒業生は連絡すればいつでも助けてくれます。

こういった「規範」や「マインドセット」は、最初の印象で構築されると、もう変わることはありません。だからこそ、細心の注意を払って設計されます。

実際に、今一年生を迎えるための、準備委員会に入って企画していますが、ノーム(規範)の設定は本当に細かいです。学生委員会でさえ、毎週ミーティングがあるくらい。

他にも、様々な仕掛けが用意されています。
・1学期目は、Sectionと呼ばれる70名で授業を受ける。
・火曜日にはFOAM、木曜日にはBPLという、学生会が主宰する飲み会があり、場所を変えて集まる。
・毎週くじ引きが行われ、Small Group Dinnerという、ランダムに4-6名のグループが与えられ、食事に行く(大学が食費を一部負担する)
などなど。

こうした仕組みは、学生のフィードバックを経て、毎年作り替えられています。詳しくは、こちらを参照ください。

④文化と伝統の醸成

第四に、このハード面と、ソフト面が合わさって、レビン学長が言う「文化」や「伝統」が作られます。例えば、まだ話したことない人を30分程度1対1で話す「コーヒー・チャット」に誘うのは日常の光景。「TALK」という、夜に集まり学生が自己開示するトークイベントには、みんなが参加してお互いを助け合うのが文化になっています。

こうしたハード面、ソフト面の緻密な設計と、その上に積み重なる文化や伝統の上に、Danielが言うスタンフォードでの「学びの体験」、すなわち、我々学生の「素晴らしい顧客体験」が作られるわけです。

この顧客体験こそ、1年間に1,000万近い学費で学生=顧客が買っている商品でもあります。

⑤継続的な収益モデルの形成

そして、第五に、密な顧客体験は、大学に寄付金と運用を通じて収益を生み出すことにつながります。

コミュニティの一部となった我々学生は、卒業後、アラムナイ・ディブロプメント・オフィス(卒業生開発課)とやりとりを続けます。ときには、ゲスト講演者として、ときにはキャリア相談のパネリストとして。後輩のリクルーティングの機会や、授業のロールプレイの審査員としてキャンパスに戻ります。「後輩への貢献」はコミュニティからの離脱率を下げることにつながります。

となれば、あとは、ベンチャー投資に近い仕組みです。「どの馬(=学生)が勝つのはわからないから、広く(=学年に)張っている」という状況が出来上がっています。

こうして、どっぷり大学のファンとなり、30年後コミュニティを離脱しなかった人の中で、1-2人でも成功する人が出れば、気持ちよく寄付できる仕組みを通じて、数十億円~数百億円の寄付が大学に流れ込むことになります。

こうした寄付金は、大学のエンダウメント(基金)となり、自己勘定のアセットとして年間平均8-10%とも言われるリターンを叩き出し、第一の「ハード」(例:建物の建設)や第二の「ソフト」(例:少人数ディナーや飲み会、オリエンテーションなどのプログラム拡充)に使われることで、ここに、継続するビジネス・モデルが完成するわけです。

日本での再現性はあるのか?

個人的な一番の関心は、冒頭にDanielが提示した、こうしたモデルの再現性です。レビン学長から興味深い質問を受けた。

「組織間の縦割りで知られ、年功序列が強く、雇用の流動性も低いなど、『同質性』が強い日本の文化に、こうした多様性を重視するレジデンシャル教育が馴染むと思うか」

というものです。ここからは、完全に個人的仮説ですが、僕は可能性はあると思いっています。

①多様なチームの中での効果的な振る舞いは、あくまで教育の成果であり、生得的でも文化的能力でもない

多様な人種、世代、人材のチームの中で機能できるか、また人との「違い」を自分自身の成長に変えられるかどうかは、「生得的」なものでも、「文化」によるものでもなく、あくまで「教育の成果」だと考えています。

だからこそ、多様な学生をキャンパスに住まわせる、ボーディング・スクール(寄宿生の高校)や大学の教育的価値が理解されているわけです。

②中学〜大学受験システムで、サイロ化(周囲の同質化)が始まる

日本では反対な状況が生まれます。まず、中学から始まる受験戦争を経て「同質な人間が同じ学校に集う」状況が生まれます。同じようなマインドセットを持った親の元で育った子供が、一定の学校に送られるからです。

一つの学校が、同じ大学に200名以上を送るような大学受験が、その同質性をさらに強めることになります。こうした仕組みの中では、「違うこと」よりも、「同じこと」の利点が意識されがちで、同調圧力も高くなりmさう。

③食住をキャンパスで共にし、多様な他者との協働や、違いを成長に変える作法を学ぶ「ピア・ラーニング」の機会が、日本の高等教育に存在しない

良く「プロジェクト型の学び」や「チームでの取り組み」といったカリキュラムの後世やペダゴジー(教授法)が槍玉に挙げられますが、僕はもう少し根本的なところに理由があると考えています。

東京・地方含み、全国から集う学生が、同じキャンパスに住み、同じ釜の飯を食うという、米国の大学において多様性と学びの中核となる仕組みは存在しません。

全寮制の旧制高校の解体、戦後の学生運動による寮の解体、バブルの崩壊による一旦郊外にキャンパスを持った大学の都心回帰と「駅前大学」化によって、こうした機会は失われてしまいました。

④どれだけコ・ワーキングなどの「場」が提供されても、そもそも教育/トレーニングを受けていないのだから、分野や組織を越えた「共創」は難しい。

日本の経済成長を語る上で、盛んに省庁や企業の「縦割り」や、組織を跨いだイノベーションの欠如が語られ、「WeWork」をはじめとしたコ・ワーキングがそのソリューションとして他国以上に人気を集めています。

しかしながら、こうした「場」や「環境」が提供されたところで、分野や組織を越えた共創が簡単におこるとは思えない。簡単な話、我々はそうしたトレーニングを受けてきていないからです。

違う組織の人と共にプロジェクトに取り組んでも、仕事の進め方の方法論に戸惑うでそふし、違う世代の人と同じチームになったら、互いとの距離感の掴み方がわからないと思われます。トレーニングがなければ、個々人のセンスに頼らざるを得ません。

冒頭の質問に戻りましょう。

「年功序列が強く、雇用の流動性も低いなど、『同質性』が強い日本の文化に、こうした多様性を重視するレジデンシャル教育が馴染むのか」

こうした自分と異なる人と協働し、そこから学びながら、「1+1=3」の結果を出す作法を学ぶのが重要だとするならば、必要なのはコ・ワーキングよりも、若年層への教育環境の提供のはずです。

もしこうした教育環境をスタンフォードが意図的に作り上げていて、結果として上記の文化が生まれると考えるならば、日本の文化に関係なく再現可能な要素は存在すると思います。

具体的な取り組みは下記の記事に譲りますが、HLABが「レジデンシャル ・カレッジ」の事業を通じて目指しているのは、まさにこの仮説の検証です。

①パートナーのUDSとのイベント

②Business Insiderの記事

3人での議論は盛り上がって、本当に再現性があるのか、「What makes Stanford, Stanford? (大学の文化がいかに醸成されるのか)」のケースを書こうか、なんて話にまでなりました。

立ち話の冗談ですが、機会があれば、ぜひ挑戦してみたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?