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あきらめたこと、ありますか。

安西先生(スラムダンク)の影響もあり、"あきらめる"にポジティブなイメージはまったくなかった。ダメなこと。負けた。逃げた。避けた。かっこわるい。恥ずかしい。ネガティブなことしか浮かばなかった。



"あきらめる"ということは、憧れとか、夢とか、目標とかがあってのことだと思うんだけど、少し昔の話、僕の憧れには2種類あることに気づいた。

1つは、なれそうな憧れ。がんばれば手が届きそうな。僕の路線の延長はここにあるような。努力は要するけど現実的。そんな対象。

もう1つは、ちょっとなれなさそうな憧れ。あの人はすごい。とてもじゃないけど僕には届きそうもない。しかし本当にかっこいい。凄まじい。なれるものならなりたい。でも、あれにはなれない。自分と違いすぎる。非現実的。そんな対象。



前者は、比較的目指しやすい。憧れの対象は、自分とタイプが似てる。ストレングスファインダーとか、もしかしたら共通するものがあるかもしれない。

後者は、目指しづらい。タイプが違う。僕が得意なこととまったく違う。

でも後者って、ずっと引っかかってたりする。結局、惹かれてる。実は「憧れ度」だけで比較したら、後者が強いかもしれない。ないものねだりとか、隣の芝が青く見えるとかなだけかもしれないけど、そういうことは少なくない気がする。



つまり、この状態って、心(理想)は後者をあきらめてないけど、自分(現実)は向かってないんです。当然、近づくことはない。図にするとこういう感じで、右下の②に該当します。

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これ、①が良いわけじゃないですか。④は望ましくない。で、非現実的な憧れ(えてして憧れってのは非現実的な気もしてきた)には向かってないから②にいる。

じゃあ、③ってなんなんですかね。非現実的な憧れはもうあきらめていて、でもそうじゃない、憧れてはいない何かには向かっている。そんなところでしょうか。



(ここで「あっ!」と思えるような文章が書けるようになりたいんですが)つまり、つまり、②の状態って、同時に③でもあったりすることに気がついたんです。根幹には(非現実的な)憧れがある。でもそれには向かってない。でも今、何か別の方向では日々がんばっていることがある。仕事とかね。これが"②かつ③"な状態です。該当する人は割と多いんじゃないでしょうか。僕もそうだった。



この"②かつ③"な状態を、①に飛躍させる手段の1つが、元来の非現実的な憧れを"あきらめる"ことだと思ったんです。で、今、現実に日々向かっているものを新たな憧れにしちゃう。そうなるように努める。そうすると、アップデートされた自分にとって、今向かっているものこそが新しい憧れになる。つまり、①の状態です。

これの良さは、現実的で、自分に合っていて、既に向かっていること。得意なことを活かせていることも多い。パフォーマンスも良かったり、成果も出やすかったりします。つまり割と幸せです。



これが、1つの"あきらめる"ことの価値だと思うようになりました。あきらめるは、選択なんです。大いなる決断なんです。こう思うと、決して悪いことじゃない。全然ネガティブじゃない。むしろあきらめないことの罪も見えてくる。

あきらめて、そこで試合終了にしちゃう。今まで憧れさせてくれてありがとう、と。でも僕の道じゃなかった。違う道に行きます、と。そんな選択をしたことがありました。

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