5/19「『Dr. STONE』シーズン2を観て」

主軸は、せんくうたちと、司との対決だ。シーズン1でヒートアップした、せんくうと司とのバチバチさが、ついに直接対決という形を迎える。

だけど正直この辺の内容がいまいち思い出せない。とにかく、せんくうたちが、どんどんと新しい機械やらなんやらを作り出しまくってたのが印象にある。

物語がなんだか単調になってきたような気もする。いや、たしかに、新しいものを発明して、文明がだんだんと現代に近づいてくるのには、ワクワク感も感じるけれど。

同じことの繰り返しのように思えて、思考が掻き立てられない。とりさらわれない、という感じがあり、シーズンワンに比べて少々退屈だった。


結局、司とセンクウたちは、一旦停戦して、手を組むことになった。どういう経緯でそうなったのかはいまいち思い出せない。

それと、クロムにもスポットライトが当たっていたシーズンだと思う。

脱獄編?的なものは少し面白かった。ギャグも多かった。あと、かれは結構な見栄っ張りだと思う。

自分にいまいちそういう気がないから経験的な共感に乏しいのだけれど、見栄というものを原動力にして生きている人というものが、この世に入るらしい。

きっと彼もそういうタイプなのだと思う。馬鹿にされたらムキになって怒ったりする。こういう人物を、ふざけて挑発したりしないことだ。恨まれて、自分に帰ってくるかもしれない。


小説と歴史の違い、なんてことも、このアニメを見ながら考えていた。ちょうど今歴史を勉強中だし、このアニメも、文明の発展というテーマがあるからだと思う。

「事実は小説より奇なり」なんていう格言(?)がある。なんとなく、そうなんだろうなー、と思っている。

というのも、アニメというのは、所詮人間が、しかも、多くの場合一人で、想像力を働かせて、いわば捏造したものだ。

それに比べて、歴史というのは、いつの時代も、どんな地域でも、生身の人間が、己の人生を、時には命をかけて、紡いできた物語だ。


それを比べたら、やはり質が違うのは当然だというふうにも思う。だからこそ、歴史というのは紐解くのが容易ではないし、未来を正確に予測するということは現代でも難しいのだと思う。


なんだか、このアニメの内容から話がそれた。それにしても、いまいち印象がない。話数もシーズン1の半分程度だったが、それだけじゃないだろうとも思う。

そういえば、アニメを見ていて、途中でなんだかつまらなくなる感覚、急に物語と自分の間に距離を感じてしまう感覚、というのは、漫画やアニメをよく鑑賞していた小学生ぐらいの頃に、度々感じていたら記憶がある。


そんな感覚を久しぶりに感じた。アニメを集中的にみる、というのがかなり久しぶりだったというのもあるだろう。感受性とかも、12.3年前とは違っているのかもしれない。


いやしかし、なんで子供の頃あんなにアニメや漫画に夢中になれていたのだろうか、と考えると、もしかしたら友達との話題についていくためだった、のかもしれない。

今は計算して、戦略的に、意識的に、友達のフックを増やす、ということを試みているが、当時は無意識のうちに、感覚的に、そういうことをやっていたのかもしれない。

なんだかこの10年ぐらい、回り道をして、ようやく言語化して、自分にとって大事なものを認識できるようになった、というふうにも、自分の経験を捉えられるかもしれないな、と今ふと思った。

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