何の元の制限?

法は、少なくとも、何かを制限するために存在する。制限することで、力学を生み出し、社会を正常な方向に保とうとする。

プログラムも一緒で、何もない、自由なところに、プログラム言語という人類の英知を使って、制限を生み出す。その制限を生み出すことによって、何かを為すことができる。

制限は何かを生み出す。

コロナ禍で制限された行動は、しかたなく、人々の生活の導線を変える。その流れを検知し、導線上に乗った人は、ビジネスチャンスをつかむ事ができるかもしれない。

しかし、今、そんなことより、人と会えない、ということがどれだけ「我慢」になっているかわからない。

「我慢」は身体によくない。確実にツケが来る。これは僕においては経験上間違いがない。何かを「我慢」すると何倍にもなって、あとからうっぷん晴らしが必要になる。

まあ、もともと1人でいるのが好きな性質だし、そう考えれば別にいい。しかし、「僕にそう考えれば」というのは通用しない。第1にどう感じるかがとても大事だ。

で、実際どうなのか、というと、家での過ごし方に慣れてきて、人との接触も最低限、結構快適に過ごしている。

しかし、会いたい人に会いに行けない、というのは結構つらい。とてもわずかだが、あの人に会いたいな、とふと思うことがある。しかし、人の目が気にある。その人自身もどう思うかわからない。

ZOOMで連絡を取ってみたりもしたけど、なかなか、本当に遇うのとは違って、一緒に空気を熟成した。という気分になることは難しい。

自然災害は、制限をもたらす。それは仕方がない。だが、それに乗じて、人間が人為的なコントロールの制限を設けることが怖い。それは期限付きでなければならない。いったん権限が付与されると、それは乱用される恐れがあるからだ。

それが怖いと言っている。例外的な強権は、時期が来たら確実に破棄される、という保証がないと作ってはいけない。法を作れる、という権限が、一番質が悪い。方が作れるのであれば、それは法無しなのと何ら変わらない。自由に制限が加えられてしまう、事だからである。

コンピュータでもいったんroot権限をとられると、回復させるのは難しい。

今は、首相が早くロックダウンしろよ、という意見も多数見られるが、それは、非常に危ういのである。と、哲学JAMを読んで思った次第。

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