ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜
48 呼吸する家
3月1日から新居に移り住んだ。
中古住宅の楽しさは家を自分で造作できるところにある。購入を決めてからというもの暇を見つけてはyoutubeでDIYの動画を見まくっていた。
畳を床に張り替えたり、壁を塗ったり、ボロボロの空き家を安く買って見違えるような住まいに仕立てなおすセルフリノベーションの過程を見ていると自分でもやれそうな気がしていた。
さて、どこから手をつけようか。いろんな計画が頭をよぎりながらの入居初日。
居間に座り、柱や壁を眺めていると妻が言う。
「この家、すごいよ」
「何が?」
「柱が無垢材だよ。それも材質によって使う場所が考えてある」
「何のこっちゃ?」
「木目も考えて配置してあるし」
「だから、何が言いたいのよ」
「木っていうのはね湿度や温度によって変化するの、それを考えて建ててあるってこと」
「それがどうしたの」
「ほら、この柱ちょっと触っただけで、跡がつくでしょ。これは塗装がされてなくて、カンナで削ったままの木肌だからこうなの、こんな住宅あんまりないと思うよ」
「あ、確かに、木の質感が違うのはそういうことか」
「相当考えて建てられてあるよ」
「そうなの?」
「木が呼吸しているんだよ」
「ずいぶん神妙だな」
そう言われると、内覧の時には少し埃っぽかったため全く意識していなかったが、掃除をしてみると家全体に高質感がある。
「柱の継ぎ目とかも全く隙間がないでしょ。すごいよ」
「っていうか、それ今気づいたの?」
妻は大学時代木彫をやっていたため木の性質には詳しいのだった。もし言われなかったら私は全くおかまいなしにヤスリをかけたり塗装したりしていただろう。
それから数日してだんだんと妻の言っていることがわかってきた。
古民家とまではいかないが日本家屋の特質をよく残している家のようだ。
砂壁や障子なども湿気を調節する役割ほ果たしている。
もう一つの特徴は床の間と神棚があること。
日本住宅はなぜこうした無駄とも思える空間を有するのか。
何もないという空間に何かを感じるということかもしれない。
こうした間を設けることは機能性や効率性とは別に人間の精神構造と深く結びついた感覚に作用している気がする。
そうこうして数日がすぎた頃、家に対する意識が大きく変化していった。
もう生半可なDIYなどは恐れ多くて、手をつけようなどという考えは吹き飛んでいた。
さらにここに来てから家の中での所作も変わってきた。
玄関を入ったら靴をそろえる。畳部屋に入る際はスリッパを脱ぐ。布団は必ずあげる。朝掃き掃除をする。
もはや寺か神社か道場かというぐらい意識が高まってきたのである。
「神棚どうしようか?」
奥の座敷には立派な神棚を祀る空間がある。初めはどうでもいいように考えていたが、やはりこれだけ意識が高まってくると神棚を祀った方がいいという気がしてくるのだった。
「竹駒さんに言って聞いてくるか?」
近くに竹駒神社という県南では一番大きい神社がある。朝に散歩がてらお参り行くと境内を宮司さんや巫女さんが掃き清めていて清々しい気分になる格式高い神社だ。
次の休みの日早速、竹駒神社に詣でた。
楼門をくぐると丁度右手の社務所から白の着物にエメラルドグリーンの袴姿をした神職の方が歩いてきた。
(あ、いたな)
実はこの神職の方は私の同級生なのである。数年前、どんと祭でその姿を見かけていたが忙しそうだったため声はかけなかった。以来いるとは知っていたのだがあえて会おうすることはなかった。
「こんにちは」
向かってくる彼に挨拶をした。
「こんにちは」
私は無言で見つめている。何気ない挨拶を交わしたと思った相手がすれ違いざま歩みを止めてじっと見つめたら違和感を覚えないわけはないだろう。
相手は足を止め首を傾げた。
「どうも、わかる?」
じっと目を見つめる。
「は?え?ああ、りょうちゃん?」
「久しぶり」
実に25年ぶりの再会だった。
K君とは小中高と同級で仲のいい方だった。
じいちゃんの代からこの神社の宮司を務めており、高校卒業の時、神職の資格を目指して國學院大學へ進んだことは知っていたが、それ以来連絡は取っていなかった。ちなみにK君は全国でも親戚だけしかいないという珍しい苗字である。
「何年か前に見かけて知ってたんだけどね。声はかけなかったんだけど。帰ってきてたの?」
「うん、4年前ぐらいかな。それまで埼玉の神社に修行というかでいたから」
聞けば2年前まで単身赴任でいたが、それから奥さんと子供をこちらに呼び去年市内に家を買ったという。
「そうか、俺も今度家買ってさ、それで丁度相談があって」
と神棚のこと持ち出すと
「じゃあお祓いしてあげるよ」
と、ごく軽くい感じで応じてくれた。
家を建てる時は地鎮祭をやるが、新居に移り住んだときもそれと同じように土地や家の神様への礼儀としてお祓いをするということらしい。
「おお、じゃお願いするわ」
そして後日、日取りを決め家の清め祓いと神棚奉斎の儀式を執り行ってもらうことになった。
3月21日。春分の日。たまたまその日はいろんな吉日が重なっていい日だという。
朝から晴れ渡り空にいくつもの筋雲があった。
神社までK君(権禰宜)を迎えに行った。袴姿がすっかり馴染んだ彼の姿を見てなるほどと思ってしまった。Kくんは昔と全く変わらない。のほほんとして穏やかな感じだ。中学の頃は野球部で一緒だったがおっとりしていたためどちらかといえばいじられキャラだった。しかし今にして思えば、何か忙しく動いたり、気分を荒げたりした印象がない。彼は子供の頃から神職の気質を備えていたというわけだ。祝詞をあげる彼の声を聞いてそれを一層強く感じた。するとその顔も神様にお仕えする人を絵に描いたように見えてくる。
儀礼が終わり居間でお茶を飲みながら話をした。
「なんか不思議な感じだね」
「うん、たまたま立派な神棚があったから、お祀りしなきゃとは思ったけど、K君じゃなかったらお願いしなかたろうから、何かの縁が働いたのかもね。それにしても、すっかり神職って感じだね」
「まあ、20年やってるからね。俺も住宅ローン組んだけど、神社は潰れないってだろうってことで融資受けれたからね。頑張んないと」
「はは、そうなんだ、それは大丈夫でしょ」
この家が建てられたのは1991年。私たちが中学一年の頃だ。
神さまを迎え、呼吸する家にて、その歳月を思った。
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