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ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜


6  境界列車


炎夏。7月の末。午後3時。
久しぶりに電車で仙台に行った帰り。車内は人がまばらで、どこか間延びした時間が漂っていた。駅で停車しても人は一人二人入れ替わるぐらいで、開閉するドアから熱気を含んだ風がため息のように車内に入っては抜けていく。

長椅子の中程に腰掛け、流れる景色の遠くの方を眺めていた。昨日まで雷雨を降らせた台風の残骸のような雲が所々に散らばり、日差しの照り返しで白く反射しているところがあれば、灰色の雲の下、霧状の靄に覆われているところもある。
幾つか駅を過ぎ、雲が途切れ、背後から強い日ざしが車内に差し込んできた。光は映写機のように筋を引きながら、床に窓型のフレームを映し出した。

電車はまた停車し、ドアが開く。今度はなぜか冷たい風が車内を通り過ぎた。一人の男が乗り込んできて、向かいの長椅子の端に座った。長椅子の奥に座っていたヘットホンをつけた学生風の男子は降り、その車両には私とその男の二人となった。
窓の外を眺めていたが、どうもその男が気になる。だいぶ時代遅れしたロゴの入った、ビリジアングリーンのTシャツ。白のスラックスに真新しい黒のスニーカ。ウエストポーチ。痩せ型で、肌は白く、メガネの奥の目は瞳孔が開いたようにギョロっと見開き、緊張している。図書館がえりだろうか、ラベルのついた「帝国の構造」という本を小脇に抱え落ち着きなくあたりを見渡している。しかし、斜め向かいに座っている私の方は目に入っていないかのように決して見ない。ハンカチで丁寧に何度も汗をぬぐい、どこか申し訳なさそうに空いている電車の長椅子の隅に一人座った。
電車が発車してしばらくすると折畳の日傘を丁寧にたたみ始めた。
やがて小脇に置いていた本を手提げにしまい、代わりにウエストポーチから茶色の瓶を取り出した。雫のついた今しがた自販機で買ったであろうその冷えたドリンクの蓋をパキパキと開け、3口ほど飲むと、ハンカチで瓶の雫を拭き取り、慎重に蓋を閉め、ウエストポーチにしまった。


(彼はどこにいるんだろう・・・)
(私はどこにいるんだろう・・・)

そんなことが頭に浮かんだ。

精神疾患者と健常者との間にあることを確か境界例という。しかし、そこにはっきりボーダーがあるのではなく、健常者として生活している立派な疾患者もいれば、病名を持っている疾患者でも社会で何とか生きていこうとしている人もいる。


ふと、数年前に見た精神疾患者の作品を扱った展覧会を思い出した。その中のいくつくかの絵をぼんやりと思い出してみる。

やがて、それらの中からあぶり出しのようにだんだんとにじみ出てきて、いよいよその輪郭をはっきり表した、あの絵。
それは見るからに異常な、見ていると胸糞が悪くなるような悪魔の絵だった。
例えば、その悪魔の頭は炎のように燃え盛り、背中からまた骸骨にようなものがせり出している。顔は怒りと狂気に満ち、幾重にもシワで刻まれた瞼の奥の目はじっとこちらを睨みつけ、口には自分の首筋に突き刺さるほどの長い牙を覗かせている。全身には血管が浮き出し、皮膚は鱗のような模様で覆われ、身体中のいたるところに骸骨の顔がいくつも浮き出ている。また別な悪魔は顔の表皮が剥がされたかのようにヒダ状の肉がむき出しになり、バッファローのように盛り上がった頭部には蛇がとぐろを巻いたような髪の毛が巣食っており、そこから羊がもつ巻角に似た角が4本生えている。目は深く窪み、左右に阿修羅のようにまた違う面を覗かせている。口は尖った鋭い歯が上下とも上向きで生え、ぐっとくの字に引き吊り、そこから頭の上に輪をつけたエンジェルのような小人を吐き出している。胸元にはグラマーな胸をはだけ、翼を大きく広げた女性が絶叫している姿が浮き彫りのように貼り付けてある。そんな悪魔の絵が壁一面に何枚も貼ってあったのだった。
絵は全て鉛筆で描かれてた。所々に背景に悲鳴のような言葉が強い筆致で書かれては消された跡があった。
「オレはどうしたらいいんだよー」
「自分はどこへ行っても世の中の人の人間関係で・・・」
「闇(やみ)んでいる社会と自分の心の闇」
「内なる軽蔑」
「自身への怒り」


しかし、はじめ胸糞悪く感じられたそれらの絵はなぜか見ている間に慣れ、むしろどこか癒しを得るような気分にさせてくれた。
展示のキャプションには確かこんなことが書かれていた。
「僕がこんな絵を描くのは、僕が弱いからです。描くことによってバランスを取っているので、描かなければならないのです。描けない時は死にそうになるくらい辛いです。いつも描くのは人がこわいと言うような絵です。やさしい絵はほとんど描いたたことがありません」

この絵を描いたS君の救いはそれを表現する術をえたことである。その毒々しい異常な絵が彼を癒すことで、見る側のこころにも癒しを与える。
全ての人がそうとは思えないが、少なくとも表現から逃れられない人種がいる。抑圧の代償行為として何らかの表現を得なければ生きていくのが難しい人たちである。ただし、それは程度の問題で、例えばその表現は服装や髪形になってあらわれ、ほとんどはそれに気付かないままファッションとして流されるか、はっきりとした自覚に表せないまま、未消化な表出にとどまり、いつしかそれとなく消える。

別な作家のTさんはキャプションに「自分は精神病者だとは思っていなかった。狂気というものは特別の人だけでのもでなく、全ての人が境界のない世界に生きているのではないかと思うのです」と書いていたのが強く印象に残っている。

向いの席の男が立ち上がり、次の駅で降りた。

去ったあとのエンジ色のビロード地の椅子に陽が照りつけている。
私は体を椅子の斜めに掛け、反対側の窓に目を移した。
線路脇に繁茂する夏草がざわめいている。進行方向から流れてくる草の波は混乱した線描に似て、激しく視界を揺さぶった。誰も乗っていない夏の列車は幻想へといざなう。

境界のない世界で、
彼はどこへいったのか・・・。
私はどこにいくのか・・・。

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