ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜
17 春立ちて天狗に出会ふ (つづき)
2021年2月2日。
丸森町筆甫に行くのは久しぶりのこと。
2019年の台風19号の洪水被害で、町内から筆甫に向かうには、迂回路をたどらなければならない。
洪水の時、山間部と町を結ぶ林道は土砂崩れが多発し筆甫地区は完全に孤立状態になった。道路の崩落箇所は数十カ所にも及んだという。町の中心も大部分が浸水し、水が引いたのが3日後ぐらいだったと思う。その時はまだ被害の全容はわからず、当然、道が寸断された山間部の惨状については全く把握されていなかった。丸森町は町の7割が山林で、山奥に至っては小さな集落が点在しており、支援についても手がつけられない状態が何日か続いていた。
水が引いた数日後、私は筆甫とは反対側の山間部に当たる耕野地区にボランティアに行った。その時、地元の人から信じられない話を耳にした。
「筆甫で道、通したってよ」
丸森町の特に山間部は自治力が半端ないのである。災害復旧にかけては消防団を中心に、地元住民たちが率先して動く。それは、支援を待っていたら生きていけないからであり、命を守るための必死の行動のなせる業なのだろう。
丸森町から筆甫へ続くメインルートの丸森霊山線は15キロほどの細い林道であるが、渓流に沿っているため崩落が激しく、2022年現在も未だ復旧に至っていない。迂回路の一つ丸森梁川線も相当な被害を受けたはずであるが、当時ズタズタに寸断された道を、地元のおんつあん達が自前の重機を操り、わずか2日ほどで切り拓いたというのだ。後に、その道が通らなければ、薬が間に合わず、命を失う危険さえあった人もいたと聞いた。
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迂回路である101号線は、未だ洪水の爪痕を留めていた。道沿の川には巨岩があちこちに山積し、崩れた護岸には大木が突き刺ささっている。土砂を運ぶダンプが行き交う道は泥にまみれ、川の水は黄土色に濁ったままだ。片側通行の停車位置に佇む分厚い防寒着を着た警備員の赤茶けた顔がやけに厳しい風景に溶け込んでいる。
モノクロームの曲がりくねった登りを抜けると、まだ雪が残る台地に出た。時折見える酪農家の寂れた廃墟がもの悲しい。
しばらく、山沿いを走る。やがて現れた「筆甫、左折」の赤字の看板。さらに谷を二つほど越える。そして、空に稜線が開けた。
薄曇りの空からわずかに陽が透けている。
筆甫は標高300mほどある里山で、ちょっとした高野であり、地区の中心部は平地になっている。平地の中心に小川が流れ、その前後を2〜300mほどの山が取り囲んでいる。山々は自然の障屏のごとく、緩やかに筆甫を外界と隔てているようだ。
筆甫についたのは町を出て30分ほどだろうか。
何度か来たことはあるが、それほど詳しくない。
名所の一つ樹齢800年の「ウバヒガンザクラ」や「筆神社」など、いくつか題材になるようなスポットを探し歩いた。しかし、立春とはいえ、山里の午後はどうも寂しい。まだ15時前なのに、人気のない神社を後にするときなど、背中にうすら寒さを感じるのだった。集落のあちこちにこんもりとした小さな山が点在し、そこに小さなお堂が祀ってある。隠れキリシタンの言い伝えもあるらしい。枯葉が積もる道脇の自販機で缶コーヒーを買い、手を温めながら、何枚かスケッチを描いて歩いた。
日暮れが迫ってくるのが分かる。山の影が刻一刻と長くなり、山際が少しずつ暗さを増す。まだらに残る雪の白だけが際立っていく。冷たい風が山の間から吹いてきた。どこか心細さを感じ、わずか2時間ほどしか経っていないが帰ることにした。
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帰り際に、地元の住民で作ったコンビニ「ふでいち」に寄った。地域の特産物のお土産や住民のための日用品が置いてあり、カフェペースが備えてある。「へそ大根」を1パック買い、カフェにより、店のおばちゃんに少し話を聞く。
事情を説明し、どこか集落全体をみはらせる場所はないかと尋ねると、そこに、作業着を着たおんつあんが入ってきた。話を振られたおんつあんは少し考えると、
「あ〜んだら、ほれ、あそご、ほれ」
と店の窓からちょうど向かいの山を指差しながら言う。
「あ〜どうじょう山か〜」
とおばちゃんがあそこなら確かに見渡せるという風に相槌を打つ。
「んだげんとも、登れっかや、道、ねんでねーわ」
「大丈夫だべ」とおんつあん。
確かに、気づかなかったが、集落の中心部から見上げるその山はまさに、筆甫を見守るようにそこにそびえたっていた。
「登れるんですかね」
「登れるどは思うんだ」
「登れっかや〜、昔はね登ったんだけどね」
しばらく人が登っておらず、道があるかわからないらしい。
「どこから登るんですか。登り口さえ教えてもらえれば、行ってみようかと」
「あーいいよ、んで、ついで来て」
と早速おんさんは登り口まで案内してくれるようで、言うなり店を飛び出し軽トラに乗り込んだ。
私も乗用車で遅れず後を追っていく。
おんつあんは人家の脇のぬかるんだ道をスピードを落とさずグイグイ登っていく。やがて、道は途絶え、畑のあぜ道になったがそこも構わず軽トラで登っていく。まだ雪が残っており、乗用車では脱輪しかねず、私は車を降り、走って軽トラを追った。
軽トラを降りたおんつあんは畑の畔をさらに進み、山の方へ行くとやがて歩みを止め、首をかしげて戻ってきた。
「ほれ、こっから登ってぐんだ」と山の方を指す。
「こっから?」
「ん、あっちからでも登れっけど」
といい畑の向こう側の山の際を指差すが、どこ言っているのか、道らしき道はない。
「道はなんですかね」
「ねぐなったな〜」
(ないんか〜い)
「んでもほれ、今は草ねーし、この山の反対さでねーよーにしていけば、行けっから」
と、言うと、
「んでね」と足早に軽トラに戻り、いつの間にかどこかへ行ってしまった。
残された私は、道を探したが、どう見ても登り口らしき道はない。
しかし、ここまでくると登らないでいられなくなる性分でもある。
一度ふでいちに引き返し考えることにした。
コーヒーを飲みながら、暮れ行く空にかすかにその姿を忍ばせる山の稜線をしばらく眺めた。
300メートル近くはあるだろうか。頂上付近には岩肌が見えている。
山は(登れるもんなら登ってみい)と言っているようだった。
(んじゃあ)
「明日また来て、午前中から登ってみます」
と店のおばちゃんに伝え、店を後にした。
(つづく)
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