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ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜

11  小さき花のブルース


チリチリと闇の中で秋虫が鳴いている。深夜のとある山の中。ペンライトのあかりを頼りに、雨上がりの真っ暗な小径をそろそろと降った。木の葉に溜まった雨粒が肩筋にぽたぽたと垂れ落ちてきた。ぬかるんだ泥に足を取られそうになりながら、ようやく車まで戻った時はすでに午前1時半。山の上ではまだ音が鳴り響いていた。


検索すれば大抵の事は知れる世の中にあって、久しぶりに味わった予測のつかない展開に少し高揚しながら帰路に着いた。


事の発端は、夏の終わりの、ある女性シンガーの歌声にさかのぼる。


このご時世からか、音楽を聴くことが少なくなって久しい。テレビやラジオから流れる最近のヒット曲のほとんどは琴線に触れず、むしろどこか耳障りさえ感じてくるのは、多分に自分が歳をとったせいではあるが、もう一つ思い当たる理由は、生で音を聴いていないせいもあるかもしれない。あまり興味がなかった音楽も実際にライブで聴いてから好きになったという経験は少なくない。その点、音楽は単に耳で聴いただけよりもある体感を伴って接した場合により深く心に浸透するようである。それは、自分の関心や感情のヒダのようなもに、音楽の波が共鳴することで起こる現象とでも言えようか。つまり、私が、最近の音楽が心に触れないのは、私と、それらの音楽にほとんど共鳴が起きないからであり、それは、私の関心が退化減退してるということの他に、最近の音楽(歌)が他者との共鳴を伴わなくても成立してしまっているという理由によるものではないか。例えば、テンションの上がる曲や癒される曲や泣ける曲などいわば商品化された曲は巷に溢れてはいるが、それらを体感として接する機会はなく、それらを必要とする場面がない限りにおいて、私がそれらの商品に関心を向ける事はこの先一向にないだろう。無論、これはあくまで私の事情に当てはめた分析である。

さて、そんなある日、ライブ配信で流れて来た辻村マリナというシンガーの歌声が耳に触れた。彼女の事はしばらく前にとあるきっかけからフォローしていただけだったが、まだ蒸し暑さが残る8月末の夕暮れ時、台所でカレーを作りながら、何気なく彼女のライブ配信を流していたところ、思わず、野菜を刻んでいた包丁の手が止まった。
ゴズペルを思わせるふくよかでのびのある声色に、ブルースギターのシンプルな演奏、巻き舌を絡ませながら発せられる強い語気、空に語りかけるような気どらない歌詞。馴染み深いがどこか異色な楽曲。東南アジアや南米などの異国を匂わせる独特なリズム。(後で活動拠点の一部がタイであることを知る)。久しぶりのヒットだった。
それは、先の分析に当てはめれば、彼女の音楽が、自己主張だけの独りよがりではなく、どこか、他者のいる情景の中に身を置いているような、昨今稀な歌い手であるからのように思う。以来、料理をしながら、あるいは運転しながら、何か日常の慣れた動作の中にふっと溶け込むような感じで、彼女の声が馴染んでいた。

そして、いつかライブに行ってみたいと思っていたところ、意外にも早くそれが実現する事になる。
「10月9日、小ささ花まつりに今年も出演します」とインスタにあがっているのを知ったのは、イベント当日一週間程前だった。その日は休みで何も予定がなく、行ってみる事にした。

ところが、「小さき花まつり」。このイベントが謎なのである。
検索してみたが、出てきたのは、チラシの案内一枚。10月、8、9、10日の3日開催。場所は仙台市太白区坪沼。
主催は 小さき花 石森少年 市民の放射能測定室 ???
出演者は3日間で30組ほどあがっているが、辻村さん以外はほとんど不明(過去の出演者シアターブルックの佐藤タイジの名前あり)で、検索にもほとんど引っかからない。
過去にも何回か開催されているイベントらしいことはわかっているが、情報はそれぐらい。
ホームページよると「神道祝詞とお話し」「気候変動勉強会」「キリスト教お祈りとマインドフルネス」「きのこ採集会とお話し」など音楽以外の催しもあるらしい。3日前にして再度検索したが、未だタイムテーブルは出ておらず、案内文には「今年はもう少し視覚的にアーティストにより愛の軍隊の軍服、輸送機、日本の消防署に1台しかないという水陸両用救助車両などの、ペイントデザインをお願いしたく存じます」とどうもよくわからない。
ただ、「百姓、宗教者、アーティスト、みんなですばらしい未来を創造するまつりです」と掲げた文面からは、平和を愛するイベントの匂いだけは漂ってきた。

よくわからない
怪しい
想像できない
でも、とろあえず平和っぽい

こうして、いよいよ、私の触手が動く条件がそろったわけだ。

(つづく)

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