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ベリーショーットトリップ〜たまにどこかに行っている〜


4 梅雨時に迷う感


(梅雨に入ったのだろうか)。
向かいの家には雨樋がなく、直接雨が側溝に滴り落ちる。ポチャポチャ、ピチャピチャ、絶妙な音を奏でていて聴きあきない。どこかに出かけようと考えていたが、どこも思い当たらず、軒先に椅子を出して座り、雨空を眺めていた。

上空にジェット機が一機、西へ向けて飛んで行く。

雨の中、アゲハ蝶が一頭飛んできて、伊予柑の鉢植えにとまった。

やはり、今日はどこにも出かける気がしない。それはどうも雨だからではないらしい。

そういえば、最近迷うことがなくなっている。スマホを持つようになってからの出かける時の意識はだいぶ変わってきたなと思う。
私は方向音痴甚だしく、加えて時間感覚も狂っており、所定の場所に行き着くのに大変苦労する。また、時折意識が散漫になり、自分でもなぜこんな場所に来たのかと分からなくなることも少なくはない。
だから、グーグルマップはもう欠かせなくなってしまった。しかし、思い返せば、しばらく、あの迷った時のどうしようもない焦燥感や、脳内で起こる様々な混乱状態を味わっていない。出かけることへの楽しさはそうした不安感を伴ったものでもあるような気がする。
ならば、スマホを持たないで出かければ良いと思った。が、今日はこのまま雨音を聴いていることにした。

雨音を聴きいているうちに、あの忘れていた「迷う感」を思い出せはしないかと考えた。ふと思いつき、本棚の奥からしおれたポケット地図を引っ張り出してきて、ボールペンでなぞられたその場所の記憶を呼び起こす。


地図の片隅に書き込んであったメモ書きを見ると6年前の6月23日とある。私は夜の新宿を2時間ほどさまよっていた。


まだ、スマホ、タブレット等ネットにつながるものをもたず、数年ぶりの東京。迷うのもまた由とあえてあまり知らべずに歩いていた。書き込みによると昼間は築地を歩いている。まだ市場が移転前で、ギリギリに、今はもう失われた混沌とした賑わいを味わうことができた。
0泊2日。帰りは夜行バス。六本木で開かれたイベントが21時に終わってから24時半西新宿発のバスまでまだまだ余裕があり、1時間ぐらいは六本木をうろついていた。バスの発着所が不確かなため、食事を後回しにし、早めに新宿へ移動。
夕方、予約していたバス会社からメールで地図のサイトが送られてきた。住所はそこに記載されてあるらしいが、ガラ携ではそのサイトが開けず不明。分かっているのは「集合場所:西新宿東照ビルB棟1F高速バス受付センター」という案内文のみだった。


とにかく西新宿へ行ってから電話で確認しようと向かった。大江戸線都庁前駅でおりてからビルを探しながら西新宿駅に歩いて向かう。やはり見つからず、問い合わせ先に電話。
「西新宿駅前にいるんですけど、場所が分からないんで教えてもらいたいのですが」
「新宿駅からですね~甲州街道を下って5つ目の信号をですね・・・」
「いや、あの~西新宿駅にいるんですよ、こっからどういけば?」
「え~とお客様、西新宿駅だとですね~え~説明難しいので新宿駅の方からでないと~」
「そうですか。遠いんですか?住所わからないんで教えてもらえます?」
「西新宿三丁目、○-○です」
手持ちのポケット地図をみるがなぜか西新宿三丁目のその辺の場所が切れていて載っていない。
「ちょっとわからないんですが・・・」
「とにかくですね、西新宿三丁目交差点をですね、右に曲がって150M行ったところの東照ビルです。」
「は~・・・。わかっりました、じゃあ新宿駅にいきますので、分からない場合また電話します」

新宿駅についた。さっきの説明の記憶はすでにぼやけている。
周辺を歩くが、ビルの名前は見当たらず。再度電話。
「先ほど電話したものですが?」
担当者が違うのかまた最初から話をしなければならず。
「で、新宿駅西口にいるんですが、こっからどう行けば?」
「甲州街道をですね~、下って五つ目の信号を~まがったところに~」とまた同じセリフを繰り返す。
(だから甲州街道からわからないんだって)
「えーと駅からどう行けばいいんですか?」
「ですから甲州街道をですね、下ってですね」
「わかりました、甲州街道は。でその甲州街道にいくのは?」
「お客様どちらにおられます?」
「だから新宿駅」
「新宿駅と言われましてもですねひろいもので?」
「西口です。」
「西口と言われましても~とにかく甲州街道をですね~下って五つ目の信号の西新宿三丁目交差点を右に曲がって、150M、高速の降り口がありますから、そこが東照ビルです」
とあげくにめんどくさそうにこのセリフをリピートし案内を終えようとしている。
「相手がどこにいるか分からないのに案内にならないでしょ?・・・。その5つ目ってどっから数えんの?・・・ん~わかんないですね。とりあえず、歩いてみます」
(これならテープでもながしておけばいい)と思ったが、多分夜間のバイトかなんかかなと思うと気の毒で腹も立たず、それより、こちらもだんだん余裕が無くなってきたので、とにかく歩きながら探すことにした。
(大体、深夜バスは地方に帰る人の方が多いんだから、都内の地理なんてわかんない人の方が多いはずでないか、なんでスマホ持ってるのが前提なのか・・)
もやもや頭をよぎらせながら探すが、一向に見つからない。
コンビニや、ドトールに入って店員に聞いてみたが肝心のビルの名前ではわからず。甲州街道を下っているのは確かだが・・・。

途方に暮れ、夕食もあきらめてさがす。
(これも味かな、なんて言ってる場合でない、これでは本当に帰れんぞ!)
とさすがに切羽詰まってきた。
すっかり覚えてしまったさっきのリピート案内だけがむなしく頭をよぎる。

出発時間が刻々と迫ってくる。


このまま進むのが良いのか、戻るのが良いのかも分からなくなり、頭の中で混乱が始まる。


湿気を含んだ重たい空気を伝わって、上空から車の騒音がかすかに響いてきた。(高速の降り口とか言ってたな・・)とあのリピート案内のセリフをもう一度再生する。(あれが高速か?)。200mほど先に高架橋が見えた。もう少し進んでみる。

交差点を一つ渡ると右手にさくら観光なんとかと書いた別の高速バスの案内札をもった人を見つけた。
ダメもとで聞いてみる。
「あ~それでしたら、あそこに見えるあの高速道を抜けて、すぐに右に曲がって少し行ったところです」
(たすかった、それにしてもだいぶ先だな)
へとへとになり、2時間弱さまよってようやく見つけた。よくよく地図を見ると、最初に降りた都庁前駅から歩いて逆に東にあるけばそう遠くはないところではないか。地図上では西新宿駅から新宿駅に大きく円をえがいて一周してきたことになる。
もう怒りもでず、腹が減った。何とか時間には間に合った。引き返して松屋に入りカレーを食う。
後にギターを持ったバンドをやっているらしき四人組が入ってきて、ぎゃぎゃーはしゃいでいる。
西新宿3丁目近辺はだいぶ覚えた。こうしてひとつ賢くなればよい。とカレーを食い終え、外に出る。
オレンジ色の街灯に照らされた、高架橋の下。一人交差点に立ち尽くす。どこから吹いてくるかわからない変な風が、汗ばんだ背中をかすめた。


もう6年も前なのに、「迷う感」を伴った記憶は鮮明に再生された。
まだ6年しか経ってないのに、だいぶ今は様式が変わっている。

たまにスマホを忘れてどっか行こう。

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