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ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜

1 波紋に委ねて


我れは行く。

5月上旬。
強い日差しが照りつけ皮膚がヒリヒリするが、吹き付ける風は冷たい。
海から押し寄せる波と、海へと注ぐ大河の水がぶつかりあい、白波を立てながら、ゴーゴー唸るような音が鳴っている。ここは阿武隈川の河口。

護岸には、むき出しになった瓦礫の隙間にへばりつくようにして、総状の花びらを連ねた濃い赤紫色の花が所々に群生している。川中の照り返す光の中にヨットサーフィンをする人の小さなシルエットが見える。川岸には一定の間隔を保ち竿を構える釣り人たちの姿。遠くから響いてくる重く低い波音と、足元で囁くようなさざ波の音が重なり、平衡感覚を失ったようにふらふらと蛇行しながら砂浜を歩いていく。


川を遡るように進むと右手に水門が現れた。支流から流れてきた水が緩やかな波紋を描きながら本流に注いでいる。数百キロかけて幾多の水を束ねてきた本流の勢いに比して、支流の水は最後にして控えめに、その流れを委ねるように溶けこんでいる。


水門をくぐり、支流の川べりに辿ってしばらく行くと葦の生えた水景が広がった。姿は見えないが水鳥の声が賑やかに響き渡っている。コンクリートの護岸に腰掛け、しばらく水面を眺める。

水は緑青を濁したような色で、川面に絶え間なく複雑万化な模様が描き出されている。

水門から逆流してきた流れと、水門へ向かう流れが絡み合うようにしてできるクロス模様。湖岸に打ち寄せては跳ね返る襞模様。水面を撫でる風によってできる細かな縞模様。いくつもの要素がランダムに干渉しあい、いつの間にか萎え、また現れ、光の角度によってはきらめき、または、深い皺となって没む。それら無尽蔵な造形はいつまで見ていても飽きない。そして、その不確実な揺らぎは、むしろ見ているものの実体の方をあやふやにするようでもある。


時間を忘れしばらく見入ったのち、ふと思い立ち、手提げから鉛筆とクロッキーを取り出して、徐ろに手を動かすことにした。

波紋。そのあやふやな対象はもちろん描けるようなものではない。視覚と手の自動的な反射とともに、波紋という現象から受ける錯覚や反動に任せながら、ただ鉛筆の先を擦りつける。形態の定まらない現象は、描こうとすればするほど、紙の上に現れる像とはかけ離れ、それを確認する度にフラストレーションが溜まってくる。しかし、しばらくして、対象を捉えることを諦め始めるとともに、そのスケッチともドローイングとも言えないあやふやな所行は、いつの間にやら、意識と無意識を往還するような心地よい気分に浸してくれるのであった。
川面から照り返す光の襞がだんだん黄色味を帯びていることに気づき、後ろに伸びた自分の影を見やる。いつの間にか日が傾きかけていた。

我れに返る。

こうした、
(俺は何をしているんだろう?)
と、思えるようなシーンをたまにポツポツ綴っていこうと思う。

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