ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜最終回
50 虚空に居る
梅雨入りしたらしい。
夜型の生活がつづき、日中は夢現、雨音を聴きながらずっと寝ている。
熟睡はしておらず、極浅い眠りを漂いながら1時間おきぐらいには用を足しに起き上がる。
そしてまた横になりうつらうつらと時間がすぎる。
長年こうした生活を続けていると、毎日決まった時間に起きて、決まった時間に食事をとり、だいたい決まった時間に寝るという規則正しい生活には戻れない。テレビの健康番組を見れば結局規則正しい生活とバランスの良い食事が大事ということでまとめられ、それができない人はどうすればいいのだと虚しくチャンネルを回すことなる。諦めが肝心だと言ってほしい。
必然的に夜型になると抑鬱傾向が強くなり、日中は何もやる気がしない。そして、梅雨の時期はその傾向がますます極まる。
こうなると一日中臥せり食事も断つ。まるで蛹のように疼くまるしかない。
夜は夜で眠くはないがすることもなく臥せっている。
こういう期間が一年に何日か長ければ数週間ある。
長年の経験を経てようやく会得した処方はただ一つ。無駄な抵抗をしないこと。
これではいけないと、体を動かしたり、気分転換などもっての他。余計に拗らせてしまう。
例えば、風邪をひいたら寝ているのが一番だ。風邪というのは免疫が落ちた時に罹るわけだが、逆に言えば罹ることで抗体を獲得して抵抗力がつくわけで、結局は、全て自然の摂理のもとに成り立っていることになる。
つまりはウイルスなどの病原体は良い悪いではなく、バランスを補う作用をになっているだけだということ。
一日中臥せるのはどちらかといえば気分的なもので無理をしなくても動けないわけではない。しかし、必要悪というか、こういうときは無理しても臥せっていることにしている。
仮病というのはいい意味では使われないが、本当に病む前に仮に病んでしまうということで私はよくこの仮病を使う。
ただ、楽ではない。そんなに調子が悪くなくても臥せっているというのは結構大変なことだ。
ろくなことは考えないし、とにかく虚しい。世の中から隔絶し自己肯定感などどこへやら。しかし、ある時、これが仮病にとってはとても大事な作用である事に気づいた。
自己を虚しくすることで、いろいろ感じることがある。
病気が生命にとってバランスを保つことの現れだとしたら。こうした心理的な作用も含まれて必要なことなのかもしれない。
強いて臥せ、じーっと目を閉じ、夢現を揺らぎながら時間がすぎる。
やがて、時間はなくなり、場所もなくなり、私もどこかに消えるとき。
虚空に入る。
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