ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜

47 ベリーショートトランス 12(最終話)


2月28日。退去日。

丸2日不眠のまま、作業が続いた。
退去の立会いは15時。それまで、荷物一切の搬出と掃除、修繕を終えなければならない。
その間に、新居のガスと電気等設備の立会い、旧居のガスの立会いとめまぐるしいスケジュールで、さらに18時からまた夜勤入り。
これほどハードな日程は久しぶりだ。

しかし、体はいたって好調。全く疲れていない。というのも、数日前から高気圧が張り出し天気がいいからだ。気温は20度近くまで上がり、爽やかな風が吹いている。
気圧が高いと俄然調子がいい。
食事も取らずひたすら作業に没頭する。
ほとんどの荷物は運び出したが、まだミニバンにギュウギュウ詰めで二往復。布団や物置にあるラック、外回りのプランターなどそこそこ大物が残っており、ようやく11時ごろ一切のものがなり、最後の仕上げの掃除に入った。

壁や床、畳などを徹底的に拭きあげる。

窓を全開にしていると風が轟々と吹き込み、それはまるで家の中を祓い清めてくれるようだった。

台所、洗面所、トイレ、風呂、二間の6畳間、4畳半の寝床。一室一室時間をかけ丁寧に磨いた。柱の傷や、ふすまのシミ、何気ない一つひとつが愛おしい。
掃除をしながら、この家に来た時のことを思い返していた。

8年前、それも不思議な機運だった。

結婚した2012年。震災の影響でアパートは被災者の借り上げのため全く空いていなかった。探しても探してもどこもなく、ようやく見つけたのは隣町の2DKのアパートだった。しかし、治安が悪く、住んでいてどこか居心地が悪かった。電車通勤の妻は早朝に出勤し、すれ違いが多く、狭い部屋で喧嘩が絶えなかった。2年住んだが限界がきた。とにかく引っ越すことにし、仙台に近い岩沼で新居を探した。

震災から3年とはいえ、まだ空いている家は少なかった。足繁く不動産屋に通い、やっと一軒、積和不動産のアパートが出た。それほど気に入ったわけでなかったが、申し込みをするため不動産屋に行った。
その時、「あまり良い物件ではないから出してはいなかったんですけど、こういうのもあります」と紹介されたのがこの築40年の借家だった。
その日の夕方すぐ内覧に行った。薄暗い畳敷きの古めかしい家に入ったとき、見た目の印象は別として、なんとなく落ち着いた感じを持った。
しかし不動産屋の方も、積和のアパートの方が立地や利便性が良く設備的にもいいだろうということで、結局積和のアパートに契約することにした。
3日後契約のため、妻と二人再び不動産屋に赴いた。契約書をテーブルの上に置いて、印鑑も用意していた。
担当は50代くらいのおばさんで、この不動産屋の社長の奥さんだった。
少し世間話をしながら、契約の手続きに入ろうとした時、ふと、
「何かこないだの家、やっぱり少しまだ気になってるんですよね」
とこぼした。妻も同じだった。
「あら、そう、じゃあ、どうする?もう少し考える?」
といったん契約を保留にしてくれた。そして、「もう一回行ってみる?こないだは暗かったからね」とその流れで再度内覧をさせてくれた。
東側は全面が窓で午前中はたっぷり日が差し込み、室内は明るかった。
「たぶん、積和の方はすぐ決まるだろうけど、ここはあまり若い人は入らないと思うから、ゆっくり考えていいよ」と、の事。
「そうですか。ありがとうございます」
と言いい、事務所に戻る車の中で、すでに結論は出ていた。
事務所に着いてすぐ
「あそこに決めます」
といった。
直感として(おもしろそう)と思ったのだ。
古い家は設備的には不便さが多いだろうが、私は木の柱や畳の質感に落ち着きをおぼえ、不自由さはむしろ楽しみに変えればいいという思いが強くなった。妻も理解してくれた。

入居してすぐの頃、朝は薄いガラス戸から冷気が差し込み、風呂も手動の点火式、洗面所のお湯も出ないなどいろいろ戸惑ったが、生活の実感があって楽しかった。
柱には幾つもの画鋲の跡や傷があった。「柱の傷はおととしの」の歌のように、そんなところから無意識に安心感を覚えるかもしれない。住んでいくに従って、段々精神的にも落ち着き、妻との喧嘩も減った。
まるで、木や畳などの自然素材が緩衝材になっている感じだった。
不動産屋の奥さんがあの時計らってくればければこの家に住むことはできなかった。 

いろんな思い出がこみ上げてきた。
一度、連絡をせずに出かけて深夜に帰った時、妻の姿が見えないことがあった。
ブチ切れた妻が怒ってどこかへ行ったのだろうと帰りを待っていたが、一向に帰ってこず、連絡が通じないまま朝を迎えた。
翌朝、押入れを開けると、衣装ケースの奥で妻がドラえもんになってぐうぐう寝ていた。起きた時は別に怒っている様子はなかった。

(この家じゃなかったら持たなかったかもしれない)

部屋中を拭き上げながらいつの間にか私はブツブツ
「ありがとございました。ありがとうございました。ありがとうございました。・・・」
と、念仏のように唱えていた。そして2時間ほど過ぎた頃、言いようない感情がこみ上げてきた。
涙がポロポロ落ちてきた。それでもおさまらず、挙句にウォンウォン嗚咽をもよおしながら号泣した。

15時の立会いまで1時間を残し、一切の掃除と修繕が終わった。

風が吹き抜けていく。

がらんとした部屋の真ん中にに一人座わり、Fさんにもらった菓子パンを食べた。
空き瓶に刺した白い花が一輪キッチンの窓際に残っている。
後ろの家のOさんが帰ってきたところで、出窓から「花入りませんか?」と差し出すと喜んで受け取ってくれた。
「母が挨拶したいというんで」
招かれていくと足が悪いお母さんが玄関まで這ってでてきて、赤と白の生地で作った手縫いの人形かざりをくれた。

30分早く、立会いの不動産屋の担当者が来た。泣いた後で気分がすっきりしていた。
この家に合わせてつくったカーテンをそのまま置いておきたいと言ったが、決まりのため全部撤去とこと。
カーテンを外すと部屋は朝から一日中吹いた風で一切の穢れがさらわれたようにカラッっとした気に満ちていた。

部屋の鍵を渡し、立会いが終わった。

最後に各部屋を確認しながら再度「ありがとうございました」と言って回った。


風の日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?