ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜

49  人知れず花虫


朝からしとしと。まとまった雨は随分久しぶりだ。

近隣の家の花木がしっとりと潤っている。
家と言っても空き家が多く、たまに管理のため親類が出入りしているのを見るが、無人である。
それにしても、家々の庭が見事なこと。
移り住んだ我家の庭にも以前は立派な黒松や梅の樹があったらしい。しかし、こないだ家の様子を見に来た売主のSさんの話では売却に出す前に一切引っこ抜いて処分したという。
「えーそうだったんですか、あっても良かったんですけど。もったいない」
「庭木あっと売れないとおもって全部片付けたんだ、あったらあったで大変だよ、剪定から何から」
「そうですか、確かに。まあ、周りの家の庭がどこも見事で見物できるから、なくてもいいですけどね」
80年代末に宅地化された周辺の家々はこぞって立派な庭を備えている。巨大な庭石が組まれ、大きく育った木蓮、桜、梅、桃、椿などが折々花を咲かせている。見るものがいなくなった庭で、半ば野生化した花木たちは自由に枝を伸ばし、生き生きとしてむしろ見栄えがいい。

しばらく家仕事に追われていたが、今日は春雨に濡れる花木を眺めながらひと時の休戦。


斜め後ろの家の藤棚が薄紫色に色付きはじめた頃の事。
藤花の芳しい香りが微かに漂うある朝、玄関前を箒で掃いていると、せり出した屋根の軒先からコソコソと音がしてくる。じっと耳をすますと、その音は雨どいの下に張られている横木の中から出ていた。
コソコソ、コソコソ・・・。
どうやら何かの虫が木をかじる音らしい。
よく見ると横木に大人の人差し指が入るほどの穴が空いており、音の出所はその中からであることがわかった。しばらく観察していたが、中を覗いてもその姿は見えなかった。

翌日。朝から気温が高く、玄関を開けると、モヤっとした空気が入り込んできた。
その生暖かい空気とともに、一瞬目に入ってきた黒い物体。ブーンと言う羽音をたて、その黒い物体は昨日見た穴の中に消えた。
(なんだ、クマンバチか)
むっくりとした黒いお尻が昨日確認した穴の中から見える。
クマンバチが木に穴を開けるなんて知らなかった。しかし、クマンバチはおとなしく、スズメバチのような攻撃性はないことは知っていた。
(可愛いじゃないか)
その時は気にもとめず見逃すことにして、仕事に出かけた。

その日、家に帰ると、妻が血相を変えて言う。
「ちょっと、クマンバチが巣作ってるよ!何とかしないと」
虫が嫌いなのは知っており、虫が出るたびに大騒ぎするが、クマンバチごときがどうしたというのだ。
「ああ、知ってたよ。可愛いんだよ。別に刺したりしないし、ほっとけばいいから」
「何言ってんの、よく見てみなよ、木に穴開けてんだよ」
「知ってるって」
「ちゃんと見てよ、軒先の木が穴だらけなんだって」
「穴だらけ?」
「南側と東側の雨どいの下のところ、30cm間隔でずーっと穴開けられてんだってば」
「え?」

夕食後懐中電灯で照らして確認すると、なんと昨日みた穴が確かに30cm間隔で続いている。
「うわ、なんだこれ」
穴の数は2、30個はあった。不思議なことに、東側と南側だけに掘られていて、西側と北側にはない。
「まいったな、これは」

暗かったので、穴の中の様子は分からないが、この穴の内部がどうなっているかよっては、かなりの痛手を覚悟しなければならない。
穴は、屋根の構造上、鼻隠しと呼ばれる部材の下側に掘られてる。雨どいの下に付けられた横板状の部材で、建築用語では垂木の先端を鼻先と呼び、先端に出た垂木を隠すから鼻隠しと呼ばれるそうだ。
夜中にこんなことをネットで調べながら、穴の中がどうなっているか気が気でならない。もし、鼻隠しの深部まで穴が掘られていたら、部材全部交換となり、これは素人では手に負えず、工事費も相当かかることが予想される。
それから、クマンバチの生態について調べてみた。
クマンバチは他の蜂のように集団の群れを作らないらしい。スズメバチやミツバチのように女王蜂がいて巣の中に何百匹という幼虫がいるわけではいのだ。その点、一個の穴については親一匹が持ち主ということになる。本来は木の枝の中に巣を作る。その構造は穴を開けた木の中に10個ほどの卵を産み、そこに小部屋を作り、蜂蜜のだんごのようなものを入れて幼虫を育てる。ちょうど4月ぐらいから巣作りを行い、卵を産み、幼虫は7月ぐらいに成虫となって飛び立つらしい。蜂というより鳥のような生態であることがわかった。寿命は1年ほどで、今年生まれた蜂たちがその巣で越冬し、翌年また新たに卵を産む。
つまり、我が家に作られたクマンバチの巣は去年か一昨年あたりからいた一族で造作されたということになる。

一匹や二匹ならどうってことないが、これだけの数となると話は別だ。おとなしく健気なクマンバチではあるが、これ以上家をかじられるとなると見過ごすわけにいかない。
(次の休みの日に中を調べてみよう)、そうと思っているうちにも穴の数が次々増えていく。

雨どいの鉄枠に蚊取り線香を何個もぶら下げて退去勧告を促した。蜂ジェットのような強力な殺虫剤を吹きかけることはしたくない。スズメバチのように危害を加えてくるのなら別だが、クマンバチ自体は害はない。できれば穏やかにどこかへ行ってもらいたいものだ。しかし、蚊取り線香は全く効き目がなかった。木酢液の匂いを嫌うというので散布してみたがどうってこともなかった。どうやら相当気にいられたらしい。

ようやく休みの日、脚立を立て、穴の中を調べることにした。
1日で穴を開けるぐらいだから相当なペースで掘られている。クマンバチは気温が低い日は活動しない。その日は花曇りで肌寒く、蜂の姿は見えなかった。
穴の中にいることはわかっている。しかし、中を針金でつついても全く出てこない。中に木酢液を吹きかけると奥の方でブーンという羽音がした。相当臆病らしい。

仕方なく、穴を一個解体することにした。

穴は鼻隠しの下から入って横に伸びて、ちょうど蜂一匹が通れるくらいの幅に掘られていた。うちの鼻隠しは下部に幅3cm、厚さ1.5mmほど飾り溝が掘られ薄くなっている。それが蜂に気に入られた理由であることがわかった。

蜂が東側と南側に巣を作っているのは日が当たり暖かいからだろう。そして、この溝があることで木板の厚さが日の暖かさを伝えるのに丁度いい具合だったのである。この飾り溝がなければこれだけ数が増えることはなかったに違いない。空き家は他にもあるのにやられているのはうちだけなのだ。化学塗料で塗装がなされていなかったことも蜂には好条件だった。木に触れるとザラザラとして木目が浮き出ており、自然系塗料が薄く塗ってあるだけなのだ。

「どうぞ、おこしなさい」と蜂に言っているようなものである。

ドリルドラーバーで横穴が掘られている箇所に表側から約3cm間隔で穴を開けていく。日の当たっている表側は薄く、メリメリとすぐに割れてしまった。

横穴の長さは約30cmほど続き、隣の穴とはつながっていない。一匹ごとの巣が30cm間隔で連なっている。中はまだ穴が掘られたばかりで、巣にはなっていなかった。思いのほか中は綺麗で奥の方にうずくまっていたクマンバチがようやく観念して飛び出してきた。全ての穴が30cmの横穴構造が出来ているわけではなく、まだ途中のものが多かった。
奇しくも、横穴は飾り溝が掘られた下部のみで収まっており、なんとか補修ができそうだった。

しかし、放っておくと次々増えてしまう。その日1日ではなんともしようがなく、養生テープで木板全体を覆い、これ以上は蜂がとまれなようにした。
その後数日、蜂との攻防が続いた。

巣を追われた蜂がなんども戻ってきて新たに穴を開けようとする。
晴れた日は10匹ほどが家の周りを旋回し、隙があればテープの隙間からまた穴に入ろうとする。いたっておとなしいクマンバチは攻撃はしてこないものの、針は持っており、いざとなれば刺してくるらしい。けたたましい羽音を立てて飛びまわられるとさすがにちょっとゾクッとした。

通りを挟んで向かいの家のAさんは植木仕事をしており、気になって様子を見に来た。
「クマンバチか、うちに蜂ジェット40本ぐらいもらってあるから、一本あげるよ」
と言って一度家に行って戻ってきた。
「蜂ジェットは奥の方にしまって出せなかった。これでも効くから、はい」
とハエ用の殺虫剤を持ってきた。
そのハエジェットを携えて、穴の解体と木部の補修が続いた。
いっそのことクマンバチが襲ってくれば、直接ハエジェットを吹きかけるのだが、クマンバチさんはいたって平和主義らしい。全く襲ってこないのだった。近づいてきたら、軒先の方にハエジェットを吹きかけ穴に近づけないようにするしかない。

低い脚立でやっと手がとどくところに鼻隠しがあり、ずっと首を上げて作業していると首がゴキゴキに固まって痛む。全くはかどらず、そうしてるとブーンとまたやってくる。
(あ〜いっそのこと、もう刺してくれよ)。
そうしたら、
(このヤロウ!!)とハエジェットをぶちかまし、一気に作業がはかどるのに。
そうもいかず、もどかしくもクマンバチ君をそれとなく追い払うしかなかった。

(まあ、幸い、自分で修繕できるほどの被害で済んだからこうしていられるんだ。楽しめばいいか)。
と思っていると、一匹のクマンバチが肩筋にとまった。
指を差し出すとちょこんとそれにとまる。
なついてきてるのか。まったく憎たらしい。

昨日、パテとコーキング剤で全ての穴を塞ぎ終えるとクマンバチの姿は見えなくなった。
花があるということは虫がいるということだ。
平和なクマンバチ君。どこかで穏やかに暮らしてくれよ。

雨露を滴らせた藤の花が少し茶色に色あせている。クマンバチの好物らしい。

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