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ベリーショートトリップ〜たまにどこか行っている〜

11  小さき花のブルース (つづき)


10月9日。前日よりの雨模様。
夕方になりだいぶ気温が下がってきた。
前日に会場入りし、イベントの様子をアップした辻村さんのインスタには「今夜21時から歌います」とある。
ジャンバーを羽織って、少し早めに18時ごろ家を出た。

坪沼という土地は仙台とはいえ、村田との境で、八幡神社とローソンがあるぐらいの辺鄙な場所だ。ナビをセットしたが、会場があるらしい場所は県道からさらに山の中に分け入る道の奥にある。
坪沼に入った頃は、すでに日が暮れ、辺りは街灯ひとつない暗闇。道に迷う。ヘットライトに照らされたイノシシ2頭、こちらを気にする様子全くなく、道を阻む。

田んぼの脇の細い道を数キロ進み、さらに、この先を行くのかというよのな悪路を進むと、一軒の家があり、会場はその家の脇から山の上に通じる道の奥らしい。
案内は何もない。いよいよ怪しくなってきた。
山道を300メートルほど進むと、道の脇に車が10台ほど止まっていた。やはりこの先が会場らしい。しかし、よく見ると停められている車の中にはタイヤの外れたものや、フロントガラスの割れた廃車が数台混ざっている。
車の列は20メートルほど続いてたが、やがて道が左に折れ、さらに細くなっているところで終わっていた。会場はさらにその道の奥らしいが車で登れるかどうかは危うい。
いよいよ怪しい。
(本当にこんなところでイベントが行われているのだろうか)
周りは木々に覆われ、闇が広がるだけ。山道を登れば会場に辿りつけるようではあるが、案内は全くない。
(やはり、怪しい。やっぱり引き返そうかな)
そう思って、車をUターンさせた。

雨脚が幾分強くなってきた。ワイパーの振りを一段早めに切り替え、フロントガラスから山の方を見上げるが何も見えない。
(やっぱり帰ろう)と思い、窓を開ける。
と、雨音にかきけされながら、かすかに、あの音が聞こえてきた。
次の瞬間、思わず、車のドアを開け、外に出た。
振動として体感に伝わってくる、あの野外ライブの、生音。
久しぶりに味わう、この感覚。血がさわぐとはまさにこういうことを言うのだろう。辺りが真っ暗闇であろうと、雨が降っていようと、もうお構いはない。すでに、体はその音の出所に行くことを決意していた。


車を道脇の車の列に止め、雨中の山道を登ること20分。山の上に広場が現れた。会場の右手奥に駐車場がありここまで車で来られたらしい。100m×30mほどの敷地にテントが所狭しと張られている。おそらく5、60人くらいはいるだろうか。至る所で火が焚かれ、雨で不完全燃焼を起こして出た煙が会場全体に渦巻いている。人々は燻製になったように燻されているが、そんなことを気にしている様子はない。火を囲みながら、アウトドアチェアーにゆったり体を埋めるようにして、誰もが楽しそうに談笑している。
(なんだここは?)
まるで秘密村のお祭りではないか。
テントの隙間をかき分けるように進むと、楕円形の広場の奥に古い日本家屋の廃屋が建っており、それがステージになってた。ステージの前には長方形の石がストーンサークルのように配列され、客席になっている。しかし、客はおらず、会場にいる人のほとんどは後方のテントサイトでキャンプをしながら音を聞いている風でいる。
会場の真ん中ら辺に出店スペースがあり、手作りのアクセサリーやら、酵素玄米のおにぎりやら、オーガニックの何かやらや、麻の何かやらの手書きの看板が掲げられ、ところどころ鼻をつく香の匂いが漂っていた。中央の屋台ラーメンが人気のようだが、今日はすでに完売らしい。梅醤番茶というのを買って飲みながら、あまり近づきすぎず、何となく物色していると、ステージからアイヌ民謡が聞こえてきた。会場はトンコリの土俗的な音色と憂いを含んだ独特の歌声によって呪術的な雰囲気に包まれていく。

しばらく、アイヌ民謡を聴いたのち、再び会場をうろついてみる。そういえば、入場料を払っていない。ホームページにはカンパとして2000円とあったが、どこで払ったらいいのかわからない。テントサイトの人に聞いてみたが
「あーカンパだから別に気にしなくていいみたいよ」
という感じでかなりゆるい。そして、なんとなく感じていた、この会場の違和感。
そういえば誰一人マスクをしていない。
そっとマスクを外す。久しぶりにマスクなしで人の中にいる。ここにいる人々と、私たちの日常のどちらがまともなのかわからない。
「みなさん、マスクしてないですね」
「うん、大丈夫。この風邪はさ、テレビ見なけりゃなくなるからね」
と、焚き火越しに顔を浮かばせた、白いひげを生やした赤ら顔のおじさんは預言者のように言った。
(確かに、そうかもしれない)
と、妙にその柔らかい物言いに納得させられる。

アイヌ民謡のステージが終わり、19時半。21時までまだかなり時間があり、次にステージに上がったフォーク風のおじさんは申し訳ないがちょっと聴かなくてもいいかなという感じだったので、一度会場を出ることにした。山を降り、鈎取の半田屋で夕食を食べ時間を潰す。20時半。そろそろ戻ろうかと時計を眺めつつ、あの奥まった山道を引き返すことに少し躊躇する。

再び会場に戻ったのは21時すぎ。山を降りてきた人に声をかけると、一時間押しているらしい。
予想通り、ゆるゆるである。
会場に辻村さんの姿を見かけ、CDを購入しサインを頂く。
まだ出番は先らしい。控室らしきものはなく、辻村さん、ずっと会場の中をニコニコしながらうろついている。
22時、一時間押しているにもかかわらず、タイムテーブルを見ると辻村さんの出番は次の次。
ようやく一つ前になった次のステージは、九州から車でやってきたらしい、50代くらいのダミ声のボーカルが率いるボンガーズというバンド。即興で歌詞を考えて歌うスタイルのようで、初めは九州からの道のりを歌ったりして面白かったが、後半はなぜか「ボンガーズ、ボンガーズ」とバンド名を連呼し続け、20分が過ぎ、ついに、ボンガーズの意味も知らされないまま、「ボンガーズ!」を絶叫したのち、40分ほどの演奏を終えた。


出演者は演奏を終えるとこぞって「石森さんおめでとうございます」と挨拶をしていたが、その主催者らいい石森さんという方は、ステージのすぐ前でずっと体をくゆらせながら踊っている人であった。赤いジャンパーに野球帽にジーパン。小柄で一見少年のように見えることが石森少年というハンドルネームの由来なのだろうか。焚き火に照らされた顔を伺うと、60過ぎの初老のじいさんであった。
この石森さん、主催者でありながら、完全に音楽に陶酔しきっているようで、一人踊り狂っている。まだステージの方を向いているから良いのだが、体を客席の方へ向けたならば、もはやステージは石森さんのコンテンポラリーダンスのためのバック演奏になりかねない。おそらく、昨日も明日もこの調子なのだろう。見るからにおめでたいようである。


ようやく、辻村さんの出番となった。一度トイレ(と言っても会場の隅に簡易トイレが一個あるだけで、これだけの人数をさばけているはずはなく、その辺もゆるいところなのだろうが)に行き、胸を膨らませ戻ってみると、
(おや?)
(誰だ??)
ステージに上がっているのはニット帽をかぶった白いひげのメガネをかけた初老のおじさん(こういう感じの人がやたら多い)。
ギターのチューニングを始めている。嫌な予感。
(まさか、歌うまいな)
と念じていたが、
「じゃ、歌わせてもらいます」
と、歌詞の書いたスケッチブックを譜面台に乗せた。すでに23時過ぎている。
(まじか・・・)
「あなたと~一緒に~月を~見たかった~」というようなフレーズを繰り返す感じでボロンボロンとギターを鳴らすフォークど真ん中の演奏が続く。
(飛び入りで、一曲だけだよな)
と願いながら聴き、ようやく10分ほどのリフレインが止む。
初老フォークシンガー、スケッチブックを手に取り、何やらまたペラペラめくり始める。
(まさかやるまいな)
と念じていると
「では次に、ナミさんに捧げる歌を」
といい
「僕は~どうして~生きていけばいいんだろ~」というような感じの曲をまたおっぱじめやがった(失礼)。
(知らんがな)と思いつつ、聴くしかない。
後半はやはりリフレインでたたみかけられ、こちらはもう限界に近い。
(まさかな、まさか、もうやめるよな・・・・予定にないんだから、やめるよな、もう3時間近くおしてるんだよ)
と、念じるもむなしく、またスケッチブックをめくり、「じゃあ、次は」とまさかの3曲目をおっぱじめやがる(失礼)。
0時を回る。少し激しめな曲調で、ギターをかき鳴らしているが、呆然としている私にはもう何を歌っているのか聞こえやしない。ステージの真下では石森さんがさらに我を失い踊り狂っている。
私はもはや限界に達してきた。
(やめてくれ・・・分かったから・・・もうやめてくれ・・)
念じをひたすら強くした。

ギターをかき鳴らす、初老フォークシンガー。
(やめろー、頼むから、もうこれで終わりにしてくれ~)
手をあわせる私。
次の瞬間
「あれ、ダメだこりゃ」
と演奏が止む。
「弦切れちゃった2本、じゃ止めます、ありがとう」

私の念力が弦を切るほど強かったのかどうか、ともかく演奏が終わり、初老フォークシンガーはステージを降りた。

0時過ぎ、ようやく辻村さんの演奏が始まった。
テントサイトのほとんどの人が寝に入っている。
客席には数人しかいない。
(ゆるいにもほどがあるだろう)
と思いながら、ステージの方を見ると石森さんはそんなことおかまいなく、踊りを止める気配はない。

いつの間にか雨は上がり、雲の隙間に星が出ていた。
約40分、しみじみ、この数時間を振り返りながら、辻村マリナさんの演奏を聴き入った。アンコールが終わったのは午前1時すぎ。
「それじゃみんなで最後に」と客席にいた誰かが声を上げると客席いたの数人がステージに上がった。どうやら聞いていたほとんどが出演者だったらしい。
そして出演者が揃って、
「地球が平和でありますように、この祈りこの歌に込めて」と繰り返し繰り返し、歌い続けた。

このイベントに集まってくる出演者のほとんどが、南正人(通称ナミさん)というシンガーを慕っているようで、南氏が作ったこの平和の曲はこのイベントのテーマ曲のようなものらしい。

その、道端に咲く小さき花のようなブルースを背にして、山を降りた。
(地球が平和でありますように・・・。確かに、世界がこんな風にゆるゆるなら、平和であるかも知れない)



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