ベリーショートトリップ〜たまにどこかに行っている〜

43 ベリーショートトランス8


正月から続いた住宅ローンの手続きはようやく終わりを迎え、来週に迫った家の引き渡しと引き換えに、イオン銀行から融資金が振り込まれことになった。
足繁く通ったイオンモールで最後の書類を取り交わして後、作ったクレジットカードで惣菜でも買って帰ろうとスーパーに立ち寄ることにした時の事。

夕時、5%引きの特売日とあってか、その日店内はやや混雑していた。

惣菜コーナの揚げ物売り場に行くと、おっさんの甲高い声が響いている。
どうやら店員に向かってクレームを浴びせている様子だった。

はじめは店員が何かしたのかと思い、からあげの値段と個数について悩みながら聞いていたが、その声、一向に止む様子はない。
声の主は小柄な50代ぐらいのおっさんだった。やや赤ら顔でメガネをかけ、野球帽を被りリュックを背負っている。

「なあ、お前さ、仕事しろよ、なあ、俺が若い時はよ〜、ほんと死ぬ気でやってたもんだよな、仕事する気あんのか、なあ、ほんと、ふざけんなよ、失礼だよなあ」

こんな調子である。罵声を浴びせかけられている店員の方は色白で黒縁メガネをかけた20代そこそこの男性。黒々としたストレートの髪の毛が眉毛の上でパッツリ切り揃えられている。店員は小声で淡々として応じているが、その対応ぶりが余計おっさんの激情を煽ってしまっているようでもある。

「なあ、失礼だよな、まったく、どういうつもりなんだよ、上司呼んでこいよ、ほんとによ、頼むから仕事してくれよな、なあTくんよ、ここの責任者誰なんだよ、え、T君、なあT君よ」
おっさんは店員のネームプレートに書かれている苗字を連呼する。
「あの、ここの責任は私でして、はい、はい」
T君はただおっさんの罵声に対してまったく効力を得ない返答を返すばかりだった。
5分ほど聞いていたが一向に収まらない。
周りの客は当然その様子に気づいてはいるが、知らぬふりで通り過ぎていくだけだった。
一人だけ、若い女性が
「うるさいよ!」と通りすがりざまにおっさんへ言葉を吐き捨てて行った。
その場に数分居合わせれば、この騒ぎの原因は店員T君の失態にあるのではなく、このおっさんの頭の方だというには気づく。
しかし、そのおっさんを咎めようとする人は誰もいないのだった。
「ほらよーTくん、うるさいってよ。迷惑だってよ。お前のせいで、俺がこんな声ださなけないんだよ。うるさいってよ。なあT君」
自分の声がうるさいと言われたことがさらに気に障った様子だが自分の声なのにT君のせいになってしまうからどうしようもない。
「事務所で話ししようや、なあ、事務所で、事務所行こうや、なあ」
おっさんは手に持った買い物かごをT君に押し当てながら言い寄った。
(事務所で上役を交え話をすればそれなりにカタがつくだろう、ようやく収まるか)と、安堵の気配が周りに広がった。
しかし、困ったのはT君である。何ということか
「あ、いえ、ここで大丈夫です、ここで、わたしが、」
と、せっかくの解決のきっかけを自ら放棄してしまうではないか。
(T君の方もちょっとおかしいんではないか?)
なぜか頑なにT君は事務所に行こうとしない。
「ですから、ここは私が責任者ですので」とバックヤードに向うとするおっさんに動じずひたすら一辺倒な返答を続けるのだった。
「迷惑なんだってよ、俺の声が、わかる?だから、事務所で話せばいいんだよな、迷惑なんだから、事務所行こうよ、ほら」
一体どっちが悪いんだかアホなんだかだんだんわからなくなってくる。
そして、バックヤードの入り口でまた罵倒と通り一辺倒な返答が繰り返されるのだった。
それからさらに5分ほど耳を傾けたが、しかし、一体このおっさんは何を怒っているのか、肝心のその内容が全くわからない。
「ふざけんなよ・・。失礼だろ・・・、仕事しろ・・・なあ、T君よ」。何かに怯えてキャンキャンわめくように、どこか顔も座敷犬た似ているおっさんは甲高い声で喚き散らすだけなのだ。
ようやく5個入りの唐揚げパックを手に取った私は、もうどうにも気になり、二人の中に割り込んだ。
「あの〜何かしたんすか?」
おっさんの方へ投げかけた。
「何、あんた」おっさんは座敷犬が突然見知らぬ人間を見たように一瞬首をすくませ目を見開いた。
「いや、彼、何かしたんですか?さっきから聞いてたんすけど、何をしたのか気になって」
「ほら、こういう人が入ってくるでしょ。なあT君」おっさんは目をキョロキョロさせにやつきながらT君の方を見る。
「あの、聞いてるんですけど、さっきからうるさいし」
「なあ、T君、あんたどうすんのこれ、何?この人?グルなのもしかして?ねえ?」おっさんはまたT君へ振る。

つまり、自分の言動が周りに影響を及ぼしているという自覚は全くなく、すべてT君が原因らしい。被害妄想障害の特徴に当てはまる。
「あの、彼どう見ても困っているようにしか見えないんですよ。何かしたんなら、どうしてほしいか、言えばいいじゃない」
「あーあーこれだ、あなた何が言いたいの?なあT君、言ってやってよ、この人分かんないんだから」
「何したんですか?」
T君に聞いてみた。
「あ、いや、ここは私が、何とかしますので、はい、大丈夫です」
「いや、何をしたのか知りたいだけなんですよ。さっきから聞いていると、まったくラチがあかないというか、あなたが悪いことしたようには思えないんだけど・・・」
おっさんの方を見ると両手の手のひらを上向きに開き、どうぞ二人でお話しくださいというそぶりで顔をそらした。
「あのさ、何があったのか教えてもらえないの?」
「あ、いえ、ここは私が、何とかしますから、お客様、どうぞお構いなく、はい」
「あのさ、あなたのそいう態度もいけないと思うのよ、こんなおっさんの相手してたら仕事になんないでしょ。はっきり言いうことは言わないと、ずーとこの調子だよこの人。誰か呼んでこようか?」
「いえ、大丈夫ですから、はい、ここは私が・・はい。」
T君は私の目を見つめる。
(どうかこれ以上入ってこないで)
そういっているように見えた。


「・・・・・、そう、大丈夫、なの・・」

それ以上介入しようがなかった。

おっさんの方を見ると終わりましたかと言う風に目を見開き、額にシワを寄せながら首を傾げた。

「じゃあ・・・頑張ってね」

T君の目を見てつぶやいた。
私はおっさんに何か一言言ってやろうと思い、顔をむけたが、いい言葉が思いつかず、目線を下げた。
おっさんのお買いものカゴにはちくわ1パックと惣菜弁当、氷結生2缶。

おっさんは何も言わず私から目を背け、再びT君に向かった。

私はその場を後にし、売り場を1ラウンドして、会計を済ませ、再びバックヤード入り口の方へ向かった。

二人はまだ同じ調子でやっている。

うまい具合に何かと何かがぴったっとはまってしまった、としか言いようがない。

もう一度介入する気はなく、遠目に見送って帰ることにした。

(閉店までやる気か)。


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