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Day2 宮本 亞門 さん / 演出家@Climber2021 での学びまとめ速報<1>


@Ryo_MAHOLAのTwitter でつぶやいたものをまとめながら学びをメモにしておきます。

引きこもりの暗くて辛くて死にそうな時代の一筋の光明、感じたレコードの音楽が全てを決める原点になった

とても元気で明るい挨拶からの登壇。繊細な人だと思っていたけど、元気で明るい、エネルギーが外に向かって出ている人だと感じる印象は、彼の努力からきているのだと、後でわかります。

宮本さんのClimbers2021の講義は、陰キャで引きこもりだった少年時代の共有からはじまりました。

当時はまだ、自分が「変わっている」ことを自認して自己表現することも許されなかった時代背景。そして他人と自分は違うよね、なんて多様性という言葉が日常に入るのはもっとずっと先。30年後とか40年後のこと。

(補足:)人と感覚が違う、感性が違う。そういうことを思ってはいけなかったし、それはダメなこと、いけないこと、のような雰囲気が殊更強かった。いや、今もずいぶんと寛容になりオープンにはなっているけど本質的な部分は一人一人の心の中にある。これは、Day2で井原さんが語っていた一言にも如実に現れている。

とにかく女性として男性の中で戦ってきたトップレーサー(の私)が
チームに(スタッフとして)初めて女性が入ってきた時に、
自分が受けてきたこと(今まで散々受けてきた女性であるという偏見・
差別的思考)と同じ反応を示してしまった。
(ってのが人間の本質かもしれない。) 
by 井原慶子 on Climbers2021 Day2.

繊細な心と個性を表現できる経験を有していない少年は、引きこもりになた。

酔っ払った親父が部屋の外で荒れ狂ってた「こんなふうになったのはお前(母)の育て方が・・・」まるで、ドラマのような一幕。宮本さんの母は偉大ですね。諭すように話をして、病院に行く約束をしたとのこと。

(補足:)この精神科の先生にであったのも大きかったんでしょうね。壇上でも、「鶴瓶さんのような人だった」って言っていますが精神科の先生ってのは多くの患者さんとコミュニケーションを取る必要がありチャンネル合わせるためにチューニングすることで大体の方がご自身で軽くうつ病だったりします。ただ、たまに精神的にものすごく強い方が存在していて、相手の精神状態に合わせずともコミュニケーションが取れる方(少し前で言うと鬼殺隊の柱のような存在ですな)がいます。世の中を絶望側空しか見れない青年にとってはこの光を見れる可能性が救いになったのかもしれないなぁ。

(補足2:)自分の中にある感覚・感性。「あの時のあれ」をどうやったら具現化して形にできるのか。それを他人と共有するところまで落とし込めるのか、そういう作業をしたくて演出家という道を選ぶ。それはもう、アーティストや創造者でしかない。何十年かけても変わらずにやる。これは、実は「偉大」でも「有名」でも「経験豊富」でなくても持つことができる我々でも出来る心持ちだと思う。

What do you wanna do, not wanna be. なりたいものじゃなくてしたいことはなんなのさ?

順風満帆ではなかったという表現者としてのスタート。迷惑をかけてしまった母にこれからの私を見ててくださいね、というタイミングで母が倒れる。デビューの初日前日。なんという人生のドラマ。

そしてそこから話はイギリスに飛び、成し遂げたいものの本質、について語ってくれました。

なりたい姿ではなく、形にしたいことを示せ、という誰かのアドバイス。

(個人的意見:)なりたいものは特に経験不足、知識不足、思慮が深まらないと、「肩書き」「役職」、「規定のもの」、「箱の外側に書いている名前」に定めがち。しかし、本当に物事の本質を決めるのは、そうじゃない。肩書きがなくてもその肩書きに近いことをやっている人はたくさんいる。逆にある役職を持っているにも関わらず、その役割をしていない人もいる。
本当に必要なのは箱に書いてある名前ではなく、箱の中身に何が入っていて、それがどんなものなのか、ってこと、そんなことを上記では表現したいのかもしれませんね。

ここで彼は演出家、表現者、という外側のレッテルではなく、本当に自分がやりたいことの本質に迫ろうとします。それが、引きこもり部屋の音楽だった、と。

些細な日常からでも人生で振り返ることのできる原点は見出せるのじゃないだろうか

(補足:)きっと宮本さんが伝えてくれたのは、人生を楽しむヒント。壁を乗り越えるチャレンジをする人たちへの応援メッセージ。誰しもが順風満帆ではない。でも回帰できる原点は、きっと誰しも持っているのでは?それは決してドラマティックなものでも壮大なものでも尊大なものでなくてもいい。むしろ恥ずかしいと思っているもの、辛いと思っているものの中の些細な出来事に自分の心が揺さぶられる、心が燃える瞬間の原点はあるのかもしれない。

(個人的意見)30歳も超えて、40歳も超えてくると、小手先は上手くなっていきます。そしてそれはご飯を食べる、生きていくのにとても重要なことだと思います。でも、20代の頃にがむしゃらにやってきたことは本当に財産。経験やスキルを積み上げていくって文脈だと、上記になるんだけど、じゃあ、心を燃やすって観点で、年齢を重ねて行った時に維持できるもの、燃やし続けられるものをどれだけ多くの人が持っているのだろう。いつでも戻れる原点があること、それを見つけておくことはいくつになっても、どんな状態であっても大事な観点な気がする。

私の場合は、人の死を通して、自分の人生を常に振り返ってきた。入社2年目で福島さんの死を通して仕事のあり方を考えたし、30歳のときの義父の死を通して人のあり方、向き合い方、なんのために生きるのか、なんのために仕事をするのかに向き合ったし、40歳の自分の父親が孤独死していることを通して人生の後半をどう過ごしていきたいのか、人生で抱えるべき孤独や悲しみと日常でどう向きあっていくのかを考えた。

後半につづく。


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