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都合のいい異性の話。


昔村上春樹作品を女性の知り合いに薦めた際、はっきり「作品が嫌い」と言われたことがあります。小説の好みは人それぞれなのでそういうこともよくあるかと思いますが、理由は「出てくる女性が皆、都合がよく、気持ち悪い」とのことでした。うん、なるほど、そうだよねって自分も思ったことを覚えています。

都合がいい女性っていったい何でしょうか。自分が村上春樹作品から感じたところでいうと、①登場人物の男性の性格に理解を示し、否定しない。②自分の都合を押し付けない。③料理上手で、何となく甲斐甲斐しい。④性的に寛容でオープン みたいな部分かと思います。村上春樹作品にとって、女性や母親は特別な意味を持っているのですが、それでも「やりすぎ」な感じは否めないと思います。正直言って、ある程度の人生経験があれば、こんな人間が世の中にいないことはわかりきっているのに、でもそこで本を閉じないのは、やはり物語の段取り上仕方ないと割り切っているか、本当にこのあたりがリアルであると思っているかのどちらかであるかと思います。

さて、こういった現象は限定的ではありません。少女漫画に出てくる男性だって現実味がなく画一的だし、少年漫画の主人公だって強すぎたり育ち良すぎたり、成年男性向けコンテンツに出てくる「エロいお姉さん」だって、どう考えたって現実にいるはずない。でも、現実にこの現象は起きています。

問題は、「世代観」であると考えています。村上春樹さんが作品を書き始めたのはざっくり40年くらい前。一つ確実に言えることは、私たちの「ジェンダー感覚」は変化を遂げてきたということです。また、現在のジェンダー論は、「かつて歴史上存在しなかった」フェーズに来ています。

我々人類は、戦争と平和を繰り返し、王朝や政権も興亡を繰り返してきましたが、これまでかつてジェンダー論自体が変遷したことはないのです。女性が求める女性像は確実に変わっている一方で、男性が求める女性像は変わっているのでしょうか。男性が求める女性像を、女性が「気持ち悪い」と表現することはある程度受容される時代であることは事実として、男性が求める女性像それそのものはどの程度変わっているのでしょうか。男性が求める男性像は変わっているのでしょうか。女性が求める男性像は?
ジェンダー論がはらむいくつかの論点を、少しずつひも解いてみたい。そんな思いでいます。



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