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答え合わせ…したいですよね?(雑記)

自分が正しいと思っていることや信じていること、これらについて時々答え合わせをしたくのある時ってありませんか?

例えば人の話をしっかり聴く、傾聴力が大事だと考えているとしましょう。しかしこの傾聴力が大事であるということを一日、一週間、一か月のスパンで何回くらい意識するでしょうか。逆に言うとどんな時に強く重要性を意識するでしょうか

例えばあなたが5人に部下を持つチームリーダーであるとして、5人の部下全員が、あなたに適切な傾聴力がないという理由だけで一気に辞めてしまうとします。こんな時、あなたは必ず傾聴力が重要だという事実と突き付けられることになり、何らかの対策を講じることになるかと思います。本ケースは①生涯忘れられないような事件が起きる②その原因が明らかであり、自分にある という2点を示しています。つまり何が言いたいか言えば、これくらい極端なケースを別とすれば、人は特定の事柄についてその重要性を意識し続けることは難しいということです。どんなに頑張って意識していても、人は忘れる生き物で、思念も時とともに薄まっていきます

なので人は時に自分が大切に思っていることや信じていることを再確認したくなります。これが答え合わせです。具体的には誰かに相談したり、関連する本を読んだり、人によっては自分で書いたメモを見返したり、口に出して唱和したりします。

前置きが長くなりましたが、ポイントは誰もがみな答えを自分の中に持っていて、時々その後ろ盾が欲しくなるということです。

ちなみに話は大きく脱線しますが、学歴や職歴も後ろ盾です。どんなに立派な学歴や職歴が履歴書上に存在していたとしても、それ自体が社内でのパフォーマンスに直結するわけではないし、何なら会社の売り上げや利益、新規顧客の獲得に直結するわけではありません。でも採用責任者はある一定レベルの後ろ盾が欲しいわけです。だからこそそれらを参考にはしても絶対視、まして神格視してはなりません。

話を戻しましょう。良いか悪いかは全く別問題として、社会人向けの教育産業はこういった心理と強く結びついていると自分は考えています。例えばMBA取得を目指している人は、その重要性にもう気付いているから受験するわけです。経営戦略や人材マネジメント、財務分析、プロジェクトマネジメントを学ぶことが自分のキャリア形成にメリットがあると明確に理解しているからこそ、学ぼうとしているわけです。学びたいものも動機も、自分の中ではクリアに認識しているので、それらを学んだ後にこれは絶対に役に立たないとは思わないはずです。

もし自分が何を学べばどんなメリットがあるかをしっかり認識していたとするならば、どこか学校に通うことは最初は選択せず、まずは独学し、どうしても必要であれば学校に行きますが、多くの人はそうは考えません。なぜならば必要なのは答えではなく後ろ盾だからです。同じ志を持つ仲間や先生と出会い影響を受ければ、必ずそこは満たされます

教育に自分の持ち得るお金や時間を際限なく注ぎ込むことは、個人的には大賛成です。ただし、結局のところ自分が求めているのはどんなことなのか、一度立ち止まって考えみてもいいかもしれません。そしてさらに言えば、一番自分にとって簡単で経済合理性のある後ろ盾探しをしてみてもいいかもしれません。

#教育

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