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大人って時間経つのはや~い

コロナって何年目だっけ?って考えるときに、送別会をせず送り出した退職したおじさん(上司)の人数を数えて確認してる。
定年退職のことを卒業って呼ぶのちょっと笑っちゃう。


それとは全然関係ないんだけど、子供たちの1年と大人の1年は同じなのかな、と最近思う。

教育の現場のちょっとだけ近くで働くようになった去年。
運動会とか修学旅行とか、いろんな行事の中止のお知らせをたくさん聞いた。右へ倣えでどんどんなくなっていく。

わたしはもう30歳をこえたけども、学生時代の友達と会うといまだに体育祭とか文化祭とか修学旅行の話題が出る。
あのときのあれ、めっちゃ笑ったよな~とか、あのときのあいつまじで意味わからんかったな!とか。良かったことも、悪かったことも、いまだに色濃く残っている。
みんなで放課後残って、学校の会議室で受験勉強してるときに友達がおならした話、これから先も一生笑うと思う。あの状況は密だから、今なら離れた席で勉強してて、隣でおならを聞くこともないんだろうな。まぁ、おならは聞かんでいい気もするけど。くさいし。

なんか、そういう30代とかになって振り返ったときに「あれは青春だったのか」と実感するような思い出を作る機会を、奪われているのでは…?って気になる。気になるようになった。仕事してるから。

我無権力。なのでどうしようもないけど。

大人たちが毎年やってる表面をつるっと撫でるような、了解を得るためだけの会議はばんばん中止にしたらいいよ。どんどんリモートにしたらいい。


でも同時に大人たちも「じゃあ中止で~」ってさらっと中止にしてるわけじゃないこともわかってほしいなと思う。とくに外の大人たちに。
教育に関わる人たちはやっぱり子供を大切に思ってるし、いろんな行事が教育上とても重要なこともわかってる。
まぁ結果は変えられないんだけど。

大人が会議をリモートにするのと、学生が授業をリモートにするのは同等じゃないと思う。
大学に入学してから最初の数か月(1年以上?)、だれにも会わないなんて悲しすぎる。わたしは今でこそ友達も多くないけど当時はウェイ系だったのだ。(ウェイ系って古い言葉だね)
あの「ウェーイw」のしょっぱなの1年間をなかったことにされたら、それからの人生全部まじでほんとに全然別物になった思う。というかそもそもウェイじゃなかったと思う。(ウェイってなんなん)
そしたらこんな強い妻になって夫を尻に敷くこともなかったなぁ。だとすると、もしかしたらなくてもよかったかもなぁ。
いやダメだな。あんな楽しいだけの日々がないことになるなんて。
だってもう大学の4年間だけ繰り返して生きたいもん。繰り返せるなら次は勉強する。初回でやっとけよとは思うけど。

高校、大学ってなにが起こってもだいだい面白かったから、いまの学生さんたちがあのころのわたしたちみたいに何もかも面白いと思って過ごしてくれたらいいなぁと勝手に願ってる。
どうにか楽しい日々を過ごしてほしい。
何年もあとになって思い出してげらげら笑える出来事をたくさん作ってほしい。
たぶんそういうの、大人より若者のほうが上手なんよね。
もうそう思って願うしかできることはない!!がんばれ!!!


めちゃくちゃ端的に言うと、
いろんな機会がなくなってどうにかしてあげたいと思ってるけど無力な大人は、学生のずべてを楽しむポテンシャルに期待するしかできねぇわって話。

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