地方大学生のぼやき#35「吐露」

社会に参入することによって、それまで意識することのなかった様々な「競争」に自分が、巻き込まれていくことにずっと納得いかなかった。

それが自分の人生をより良くするものだなんて思えなかった。

生きていて、ずっと違和感があった。映画を見ても、小説を読んでも、漫画を読んでも、テレビを見ていても、すぐに登場人物の職業、生きている目的・理由、何を考えて何を楽しみに生きているのかを、真っ先に考えてしまうことに違和感があった。

結局金なのか、それが悲しかった。本当に泣きそうなくらいに。みんなそれに疑問も持たず、当たり前の様に(疑問を持っていたり、迷っていたりするのかもしれないが)社会に参入しようとしていることに果てしない孤独感と悲しみを覚えた。

これまで、平等に接して楽しい時間を過ごした友人関係も、きっとこれから仕事の話が多くなる。職場での待遇・人間関係の愚痴が増えるのかな。それが嫌だった。そこで、お互い探り合う様に、自分の今の境遇と重ねて比較するのだ。嫌になる。

その仕組まれた競争によって成り立っているこの国で生きていくことは、そんなに楽しいものなのかな、希望があるものなのかな、人と人とが深い心で通じ合う瞬間をどんどん奪っていく社会で生きていくことに意味なんてあるのかな。そう思った。

そのような仕組みで成り立っているこの国から、存在を肯定してくれている気がしなかった。むしろ、お前の様にこの国のシステムに適応できないやつは、いても意味がないよ、どっか行きな、そう言われている気分だった。

生きてる理由がない。だけど死ぬ勇気もなかった。苦しかった。
ほんとうに分からなくなった。自分は生きたいのか、消えたいのか。わからない。わからない。わからないことは怖い。怖いことは辛い。辛い。辛い。辛い。

けど、絶対指摘される
「お前何にも経験してないじゃん。わかった様な口を聞くなよ。」
ああ、怖い。その通り過ぎて、何も言えなくなる。思考が停止する。

何もしてない。なんの武器もない。何も経験してないくせに、分かった振りをして、何がそんなに怖いんだ?なんでこんなに怖いんだろう。

なんで、正直者で優しい人が損をしてしまう世の中なのだろう。嘘をつくのがうまくて、ずる賢い奴が、なんで上手く行くように仕組まれてるのだろう。優しい気持ちは、正直な気持ちは非効率的だから?いらないの?

昔から好きだった、『魔女の宅急便』が。知らない街で、知らない人と優しさで繋がっていくあの感じが好きだった。
『すずめの戸締り』も知らない街で優しさには優しさで恩返しする描写があって好きだった。泣きそうになった。

人と人とが心で通じ合う瞬間。それだけが、この国のシステムから外れた、本来もっともっと大切にしなきゃならない人間の本質なんだと思ってる。それを信じることだけが頼りなんだ。それを信じることだけが、この国で生きていく理由になるんだ。

その瞬間を得るためには、結局この社会に参入しなきゃならないんだろ。
わかったよ。
参入するよ。

でも、ダメだったら、絶望しちゃったら、それまでだな。

その時はさよなら。


ただ、僕は優しさを見失わない人間になることを毎日の目標にして生きていく。

経験を優しさに変えていくんだ。

それがこの国のシステムを餌にして、このシステムから脱出できる方法なのだから。

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