「黒き魔人のサルバシオン」4

「よう相棒、二時間ぶりくらいか?」

 隣町のニースまで買い物に行くという家族と別れた後、待ち合わせ場所のヌール広場に到着したエルキュールに、声がかけられた。

 広場の長椅子の背もたれに寄りかかっていた身体を起こし、グレンはエルキュールに歩み寄る。

「相棒……? 俺と君はそこまで親密な仲だったか?」

 出会って間もないはずだが過剰に親しげに声をかけたグレンに、エルキュールは余所行きの固い態度で返す。

「とはいってもなあ……こっちはまだお前の名前を知らねえんだ。オレがせっかく名乗ってやったのに……つれない奴だ」

「……エルキュールだ。確かに名乗らなかったのはこちらが悪かった、謝ろう。ところで魔獣を狩るという話だが、具体的にどこに行くんだ?」

 自分だけ名乗っていなかったのは礼節に欠けていた。自身の非礼を詫びつつエルキュールは話を進める。

「ああ、そうだな。そんなに遠出するつもりはないぞ。んー、あっちのほうに少し行った原っぱなんかどうだ?」

 グレンが指さした方向は、エルキュールが朝の日課として魔獣を狩っている北ヌール平原の方角だった。

「わかった。それなら早速行こう」

 我先に歩き出したエルキュールを見て、グレンも彼に並ぶように歩いた。

「そう言えば、少し聞きたいことがあるんだが……どうして俺に声をかけたんだ?」

 道すがら、エルキュールを隣を歩くグレンに尋ねる。いつもなら人に自分から会話を振ることなどないのだが、今日のこれまでの出来事を経て、もう少し人と関わってみようとエルキュールは考えていた。

「ハハハ……知りたいか? そりゃ、気になるよなあ? どうして自分が選ばれたのか……何か隠された意図、壮大な陰謀があるんじゃないかってな」

 エルキュールにとっては当たり障りのない会話のはずだったが、グレンは回りくどい言い回しで話を大きくする。いちいち狂言を挟まないと会話ができないのか。

「別にそこまでは言ってないが」

「お前の気持ちは分かってる、みなまで言うな。教えてやろう、お前に声をかけた理由はな――」

 エルキュールの言葉を無視して、一瞬間を置いてグレンはにやりと笑う。勿体ぶった彼の態度に、そこまで壮大な理由があるのか、エルキュールは彼の続きの言葉に耳を傾ける。

「初めて見たときに感じたんだ、お前こそがオレの相棒にふさわしいってな……これが一目惚れってことか……」

 どこかの貴族も似たような理由でアヤに声をかけていた気がする。今日は常識に欠けている人と縁がある日なのか、それとも人間とは一般にこんなものなのか、エルキュールは頭を抱えた。

「はあ……つまり、大した理由なんてなく、ただの勘だということか」

 気持ち悪い言い方ではあったが、とどのつまりはそういうことだろう。言及する気も失せるが、相棒の設定もまだ引きずっているようだった。

 鈍感なエルキュールでも、グレンが本気で言っていないことに気づき前に向き直る。
「つーか、お前の方こそなんでオレの頼みを簡単に引き受けたんだ? 普通、知らねえ奴にいきなり声をかけられたら気味悪いと思うだろ」

 自分のことを棚に上げてグレンはエルキュールに尋ねた。一方的に探られるのは不公平だと感じたが、エルキュールは諦めたように息をつく。

「――今日は人との縁を大事にしようという気分だったというのと、個人的に調べたいことがあったから、そのついでに引き受けたんだ。特段深い理由はないが……それとも、君は俺を騙しているのか?」

「へぇ……? 随分とお人好しだな。だがまあ、安心しろ、別に騙してはないぜ」

 見定めるような視線を送りながらグレンは不適に笑う。この男は自分が頼みを聞いてもらっている側の人間であることを自覚しているのだろうか、エルキュールの口から本日幾度目かの溜息がこぼれた。

 そのまま歩き続け街の入り口にそびえたつ門の前が視界に入ったところで、それまで余裕綽々だったグレンの足が不意に止まった。
 不審に思ったエルキュールは彼のほうを見やる。

「……どうかしたのか? まさか、あれだけ余裕ぶっていたのにここに来て怖気づいたのか?」

 グレンの軽口を真似てみて、エルキュールが尋ねる。このいい加減な男には、これくらいが丁度いい。

「……あー、そうだな、すこーしばかり怖くなってきたぜ……ちょっと回り道して行くかぁ……?」

 グレンは目線を門のほうから逸らし、おどけた調子で提案した。

 だが、その提案に大人しく乗るつもりはエルキュールにはなかった。彼が視線を逸らす直前、門の前に立つ騎士を見つめていたのを、見逃さなかったからだ。見たところ外の魔獣を警戒のためのヌールの駐留騎士だが――

「……もしかして、騎士が気になるのか?」

 エルキュールの直球な言葉に、グレンは驚きの表情を浮かべた。

「あー……分かっちまったか。鋭いねぇ、相棒」

 オルレーヌにおいて騎士の存在は目新しいものでもない。王都から離れているヌールではその数は多くはないが、特に気にすることではないだろう。

「騎士に過敏に反応するということは……やはり、君は俺を騙そうとしている悪人だったのか?」

 あくまでもおどけた調子で返すグレンを、エルキュールは目を細めて訝しむ。グレンについては旅をしていることぐらいしか聞かされていない上、こちらを煙に巻こうとするきらいがあることは短い間でも理解できた。
 それの上、騎士に対してのこの態度。流石に追及せざるを得ない。

「もしそうなら、このまま君を騎士に突き出さないといけなくなるな」

 畳みかけるエルキュールに、グレンは大きく溜息をつき――

「……別にそんなんじゃねぇよ。ただ、個人的に騎士の連中が気に入らないだけだ」

 そうぶっきらぼうに答えた。そんな彼の目は騎士に向けられているように見えるが、どこか遠いところを見つめているようにも見えた。

「まあ、なんてことはない。行こうぜ」

 暗い雰囲気を消し、いつもの調子に戻したグレンは堂々と先へ進む。

 何か騎士に思うところでもあるのだろうか、エルキュールは思案しながら彼の後を追った。

「やあ、そこのお二人さん。この街の外に何か用かな?」

 門に近づくとこちらに気づいた騎士が声をかけた。今朝の魔獣情報によると、この先にも当然魔獣が大量発生しているだろう。今朝にエルキュールが幾体か狩ったとはいえ、その脅威は変わらない。

「通常なら魔除けの道具があれば、一般人も自由に通行させるのだが……今朝の報道は見ただろう? すまないが、魔獣が大量発生しているから一般人のみの通行は認められないんだ。……最近は騎士の多くが王都の方に戻ってしまってね、手が足りないんだ」

 騎士の当然の対応を前に、エルキュールは身を固くした。いつもは騎士の目につかない時間帯を狙って街の外に出ていたため失念していたが、本来魔獣と接触する可能性が高い場合は、魔獣と戦えることの証明が必要なのだ。
 アヤの持っている魔法学校の記章もこれに該当するのだが、生憎エルキュールはいずれも所持していなかった。

 どうしたものかとエルキュールが思案している姿を見て、グレンは彼を怪訝な表情で見ながらも、騎士のほうに近づいて懐から黄金の意匠があしらわれた記章を取り出した。

 ――オルレーヌで発行されている魔法士の記章である。

「ふむ、君は魔法士か。そちらのグレーの髪の彼は君の連れかい?」

「ああ、そんな感じだ。魔法士なら通っても構わねえだろ?」

 取り出した記章を戻しながら、グレンは騎士に確認する。

「結構。とはいえ脅威は依然として変わらない。連れの安全には十分に気を配ったほうがいい」

 騎士の忠告の言葉に「もちろん、そのつもりだぜ」と軽く流し、グレンは門の外に歩き出し――

「早く来いよ、置いていくぞー」

 立ち尽くしていたエルキュールにそう呼びかけた。

 「お前、魔法士の資格を持っていなかったのか?」

 門を出てから少し歩いたところで、グレンは後ろをついてきていたエルキュールに尋ねた。その表情は心底意外だと思っているようだった。

「まあ、そんな驚いたような顔をされても、俺は一言もそんなこと口にしていない」

 なぜエルキュールが魔法士であることを前提に話が進んでいるのか、疑問ではあった。確かにエルキュールは魔法を使えることも魔獣と戦うこともできるが、魔法士の資格をとってはいなかった。

 魔法士に限らず、その上位資格である魔術師や魔法技師など魔物が発生する地域への出入りが許される資格はいくつか存在するが、それらの取得には筆記や実技の試験や魔力や身体能力を測るための身体検査といったことが必要だ。そんなこと、魔人であるエルキュールには無理なことである。

 試験では武術や魔法などを含めた戦闘力と魔法に対する知識を評価するが、これはエルキュールにとって然したる問題ではない。このヌールで暮らす間、魔物を狩り続けたことでエルキュールの戦闘力は一般的な騎士と比べても高いといえる。魔法の知識も魔法書を読んでいた経験から、試験を突破できる水準にあるだろう。
 ところが、身体能力の検査だけは話は別だった。そんなものを受けたが最後、エルキュールが魔人であることが明るみに出て、この国に住むことができなくなってしまうだろう。

 しかしそれ以前に、そもそもエルキュールが魔獣と戦えることをグレンは知らないはずであるが――

「は? でも、お前毎朝魔獣を狩って……」

 そこまで言いかけて、グレンはしまったという顔をして口を閉ざした。エルキュールの疑問は瞬く間に解決され、やがてある確信に至った。

「……そうか、君は俺のことを以前から知っていて声をかけた、そういうことだな?」

 どの程度グレンが知っているのかは分からないが、そう考えれば彼の先ほどの発言も、エルキュールに声をかけた理由も説明できる。

 人目につかない時間帯を狙っていたにもかかわらず、ばっちり目撃されていたらしい。その表情に警戒の色を滲ませながら、エルキュールはグレンの説明を求めた。

「……やれやれ、オレとしたことがこんなミスを……」

 グレンはエルキュールの言葉に大仰に天を仰ぎ――

「お前の言うとおりだぜ。確かにオレは以前からお前のことを知っていた」

 先刻のエルキュールの発言に肯定し、それまでの経緯を語り始めた。

「……つまり、一週間前にヌールに始めて来た夜、旅の疲れを癒すため酒場で朝まで酒を飲んでいたら、その酒場の窓から俺が武器を持って街の外に行くのが見えたと」

「ああ」

「こんな朝からどこに行くのか気になったから、酒瓶を片手に後をつけてみたものの、酩酊して頭が働かないうえ慣れない場所で迷子になったと」

「そうだ」

「……そのままふらふら酔っぱらっていたところを騎士に駐留所へ連行され、きついお叱りを受けたと」

「……あー……まあ、そうだな……」

「そこでちらっと聞いた話では、ここ最近報告にあった魔獣が、知らぬ間に討伐されていることがあるらしい。それはもしかしてあの時見た男の仕業だろうか、俺に興味を持った君はその後も酒場で酒を飲みながら張り込み調査し、やがて俺と出会うに至った……こういうことか?」

「おお、その通りだ、要約お疲れさん」

 グレンは無駄に長い彼の話をまとめて整理したエルキュールに対して、ねぎらいの言葉を贈った。

「事情は分かった。けど、君は随分酒が好きなんだな……お金が尽きたというのも単に君が後先考えずに飲んでいたからだったんじゃないか?」

「ハハ、面目ない。だが、もう心配する必要はないぜ。あの時、騎士の連中にこっぴどく叱られてからオレは学んだ……何事も節度が大事だよな?」

 エルキュールに指摘されたグレンは、反省しているのかはっきりしない笑顔で答えた。
 ひょっとしたら、騎士が嫌いと言っていたのもそれが原因なのかもしれない。つくづくいい加減な男だと、エルキュールは唖然とした。

「それに、俺のことを最初から知っていたのなら、どうしてそれを隠してふざけた態度をとっていたんだ?」

 ヌール広場にて、グレンは会話するのが億劫になる話し方で、エルキュールに接近してきた。
 初めからさっきのように説明してくれれば、とエルキュールは恨めしげにグレンを見つめる。

「ふざけていた場合じゃあねえが……まあ、なんつーか……ぶっちゃけて言うとお前に声をかけたのは興味だけじゃなくて、お前のことを警戒してたからってのもある」

「……警戒?」

 勝手に興味を持たれていただけでなく、警戒もされていたらしい。エルキュールは思わぬ言葉に目を丸くした。

「ああ。日が昇る前に武器を持って街を出る黒づくめ男……怪しさ満点だろ」

「……言われてみれば、確かに」

 今まで考えたことなかったが、グレンの言う通り自分のことを客観視すると、エルキュールは自分がいかに怪しい存在であったかを悟った。
 この服装は魔人であることを悟られないためのものだが、このような疑いを招くのならこの服装も考えものだ。

「だろ? だからもしお前が悪人だったときは、都合よく魔獣狩りを手伝ってもらった後騎士に突き出そうかと思ってな。それにただの悪党ならまだしも、最近はアマルティアの存在もあるしな」

「……なるほど。魔法士の資格を持つほどの君が、わざわざ俺に手伝ってもらおうとしたのは、そういう狙いもあったのか」

 グレンに疑われていたことに納得がいっていない様子ではあるが、エルキュールはひとまずその理由を認めた。

「君は俺のことをお人好しだと評したが、そっちも大概だな。ただの旅人であるにもかかわらず、わざわざ疑わしいものを監視し、あわよくば捕らえようとするなんて」

 少なからず自分に敵意を向けていたことを咎めることもなく、エルキュールは純粋にグレンの行動に感心した。また、彼もアマルティアを警戒しているという情報に、妙な親近感を覚えたというのある。

 しかし、エルキュールの賞賛に、グレンは居心地悪そうにその赤い髪を掻いた。

「それは……違いねえな。……ったく、こういうのは卒業したってのに」

「……?」

 後半の部分は小声であったためよく聞き取ることはできなかったが、ようやくもっともらしい理由が聞けたので、エルキュールはそれ以上の追及を止めた。

「……さてと、オレのことはもういいけどよ……結局のところ、お前は何で資格を取らずに魔獣を狩っているんだ?」

 グレンはその話題から逃げるように話を最初に戻した。彼の目は「次はお前の番だ」と語っているようである。

 彼の言葉にエルキュールはその表情を硬いものに変えた。

 このことはエルキュールの秘密にかかわるため正直にすべてを話すわけにはいかないが、全く説明をしないで乗り切るには、彼のしていることは珍妙すぎた。

 資格を取れば様々な便宜が図られる。先ほどのように騎士に通行を止められることもない。国や地域から魔獣関連の依頼を受けることができ、それを頼りに生活することもできるが――

「魔物との接触は常にリスクが付きまとう。オレたちリーベは魔物に汚染されると自身も魔物になっちまう、それは知っているだろ?」

 魔物が持つ汚染能力。それこそがリーベ、とりわけ人間が魔物を忌み嫌い排除する最大の理由である。
 仕組みは詳しく解明されていないが、彼らの魔素に長時間曝され続けたり、物理的な攻撃によって致命傷を受けてしまうと、リーベは魔物へと変貌してしまう。
 そうして他の生物を汚染し、同種へと変えることで魔物はその数を増加させているのだ。

 どれほど強い力を持っていたとしても、リーベである以上この摂理に抗うことはできない。
 よって、資格があるならまだしも、一般人が魔獣と相対するということは金稼ぎ目的だとしても、非常によくない行いだといえる。

「……魔獣を狩っているのは、彼らを放置しておくと脅威になるからだ。今朝の報道でも触れていたし、君が先ほど言ったようにアマルティアの存在もある。いつ魔獣がこの街を襲ってくるのか分からないだろう? ……もう二度と彼女たちに迷惑をかけないためにも、この街の安寧は保っておきたいんだ」

 エルキュールはその瞳の裏にかつての情景を浮かべながら言葉を連ねていく。

「資格を持っていないのは、単に必要ないから取っていないだけだ。俺はただ、この街が安全ならそれでいいんだ……それ以外は求めていない」

 今朝は思わぬところで報酬を受け取ってしまったが、家族と暮らすこの地を守りたい――それがエルキュールの紛れもない本心であった。

「……ほーう、ただ守りたいから、ねぇ……打算もなくただ誰かのために魔獣と戦う奴がいるとはなぁ」

「そんなにおかしい理由か?」

「……ハハ、いや、ちっともおかしくなんてねぇよ。立派だと思うぜ、オレは」

 エルキュールの純粋な目に、グレンの表情も和らいだ。そう語る彼はどこか懐かしいものを見るようであった。

「あと、悪かったないろいろと。疑ったりこれまでの態度も含めてな」

 それからグレンは表情を真剣なものに変え、エルキュールに自身の非礼を詫びた。

「別に、そういうことには慣れているから気にしなくていい。それより、ここまで行動を共にして俺の疑いは晴れたのか?」

「それはもう、完全にな。……お前は悪事を働くには向いてない奴だ、バカみてえに素直だしな」

 グレンは表情を一転させて笑う。こちらに媚びるようなものでも、貼り付けたものでもない、心からの笑みであった。

「馬鹿みたい、というのは誉め言葉として相応しくないと思うが……うん、ありがとう」

 誉めているのか貶しているのか分からないが、エルキュールはとりあえず礼を述べた。一応、自身のことを信じてくれたということだろう。

 一方、そんな彼の言葉にグレンは目を丸くして、おかしそうに笑った。

「……クク、ハハハハ! そういうとこだぜ、全く、ハハハ!」

「……もういい。一人で盛り上がっているところ悪いが、話はここまでにしよう。時間は限られているんだ、そろそろ出発しないと」

 ようやくからかわれている事に気づいたエルキュールは話を切り上げた。

 すっかり話し込んでしまったが、こんなことを家族以外の他人に話したのはこれが初めての事だった。思わず高揚した気分を隠すように、エルキュールは先を行く。

「おーい、待てよ、エルキュール! オレという主役がいないと始まらねぇだろ?」

 エルキュールのすぐ後ろをグレンが追う。遠かった二人の距離が少し縮まったようだった。

 グレンの宿代を賄うため、二人は平原を歩き魔獣を探していた。ヌールの門付近から移動して少し経った頃だが、辺りを見回しても魔獣の影すら見えない。

 魔獣がいなくては換金用の素材も手に入らない。思うようにいかない状況に、グレンは苛立ちを隠せなかった。

「この辺にはいねえみたいだな……ったく、普段は魔獣なんてそこら中に湧いてやがるってのに」

「ここ一帯の魔獣は、既に俺が討伐してしまったからな……」

 エルキュールは毎日の日課として魔獣を狩っているが、今回はそのことが仇になってしまったようだ。

「クソ……この調子じゃ結構時間がかかりそうだな……ん? お、そうだ――」

 怠そうに愚痴を吐いていたグレンだったが、何かを思いついたように表情を綻ばせるとエルキュールの方を見た。

「なあエルキュール、金は無理でもお前が狩った魔獣の素材があれば、少しばかり譲ってくれねえか? 」

「……結局物乞いじゃないか。それに、もう今日の分はもうすべて換金してしまったんだ」

 妙案を思い付いたかのような顔に、エルキュールは一瞬期待を寄せたが大した案ではなかった。金も素材も無償で他人にくれてやるほど、エルキュールは優しくはない。

「あー……じゃあ、アレだ、魔法はどうだ。ほら、あの……遠くの様子をみたりするヤツだ……何だっけなあ……」

「ビジョンのことか? 悪いが、光の上級魔法なんて俺には扱えない。闇魔法なら多少の心得があるが、他の属性は少ししか使えないんだ」

 簡単にグレンは言うが、上級魔法やその上の特級魔法のような難解な魔法は魔術師などの限られたものにしか扱えない。
 ヌール広場にあるビジョンを発動する魔動鏡はもちろん、その他の魔動機械も優秀な魔法技師の存在があって初めて成立するのだ。

 特にエルキュールは光属性の魔法はあまり得意ではなかった。あまり専門的には知らないが、個人によって魔法の適性はまちまちで、エルキュールの場合は闇と対極の光属性の適性が欠けていた。

「心配しなくても、もう少し先に行った平原になら嫌というほど魔獣と出会えるだろう」

「ホントかぁ?」

 信用しきれていない様子であるが、エルキュールにひとまず納得したグレンは彼の後を歩き続ける。

 その言葉はすぐに現実のものとなった。

「おっ、いたいた……なあ、あの兎型魔獣なんかどうだ?」 

 エルキュールが狩りを行っている場所から、より先に行った平原。グレンはここから少し離れた場所に見える魔獣の群れを指さした。そこは狼魔獣ではなく兎魔獣の縄張りなのだろうか、ほかの種類の魔獣は周りに確認できない。

「構わないが、少し数が多いな……」

 彼らの体躯は小さいものの、数は十体近くに及ぶ。一体の力はそれほど高くはなさそうだが油断できない相手だろう。エルキュールは硬い表情でその魔獣の群れを観察している。

「何言ってんだ、数が多いほうが手に入れる素材も多いだろ? 簡単な論理だぜ」

 よほど自分の腕前に自信があるのか、グレンは鷹揚に構えている。そして、自らの背中にあった大剣を手にした。

 それは見事な大剣だった。炎がそのまま剣を形成したと見紛うほど燃えるような赤い剣身。恐らく、火の魔素を大量に含んだ魔鉱石で鋳造されたものだろう。
 これだけ見ても凡庸な剣ではないと分かるが、それだけではなかった。

 その剣身には魔法術式が刻まれ、柄の方には銃砲のようなものも備わっている。

「ふむ……ただの剣ではないみたいだな」

「ああ、オレは銃大剣って呼んでるが、ただ斬るだけの代物じゃあねぇ。この銃砲から魔法を放つことができるんだ」

「へえ……それは大したものだが、魔法ならただ詠唱すれば放てるだろう?」

「それはそうだが、自分で放出するより術式が付与されたモノを使った方がオレには合ってるんだ。昔から魔法は苦手なんでな」

 放出と付与。魔法には二種類の形態がある。

 自ら魔素を操り詠唱して発動する放出。物体に術式を刻み込み、それに魔力を注ぐことで機械的に効果を発動させる付与。
 一般的な魔動機械や、ヌール広場にある魔動鏡も光魔法・ビジョンの術式を付与されたものである。

「特に魔獣との戦闘では迅速な対応が求められるだろ? オレの技術じゃ簡単な魔法ならまだしも、魔獣にダメージを与えるような強力な魔法を放出する余裕がねえ」

「なるほど。その術式と銃砲を使えば自分で魔素を操る手間が減って、効率的に魔法を使えるわけか……」

 本で得た知識と照らし合わせながら、エルキュールは琥珀色の瞳を見開いてまじまじと剣を見つめた。効率的な構造に感心したというのもあるが、大剣と銃砲が合体したその造形がエルキュールの琴線に触れた。

「ハハ、そんなに気になるか?」

「……ああ、すまない、少し見すぎたな」

 流石に注視しすぎてしまったと、エルキュールは顔をそらした。

「別に構わねえが……つーか、エルキュール。お前、あのいかつい武器を持っていねぇようだが……まさか、忘れたとか言わないよな?」

 グレンの指摘通り、エルキュールの手にはいつも所持しているハルバードがなかった。エルキュールが身に纏っている外套の中にも、彼の得物である巨大なハルバードを収納できるスペースは見当たらない。

「あっ、しまった――」

 エルキュールの吃驚に、自分の考えが当たってしまったことを察してグレンの顔が引き攣る。エルキュールが戦えないとなると、あの大量の魔獣とグレンは一人で戦わなければならない。それを本気で嫌がっているようだ。

「ふ、冗談だ、忘れてなんかない。少し待っててくれ」

「あ……?」

 その様子を見て満足したのか、薄く笑ったエルキュールは意識を集中させ――

「――ゲート」

 闇魔法を詠唱した瞬間、二人の間の頭上の空間にぽっかりと円状の穴が出現した。その穴の中は漆黒に包まれており、闇の向こう側はどこに通じているのかわからない不気味さを漂わせている。

「うおっ!?」

 そこから銀色の光がきらめき、何か長い棒状のものが降り注ぎ地に突き刺さった。見やると、そこには件のハルバードが突き刺さっていた。
 黒の柄に、装飾が施された銀色の刃。斧と槍の役割を兼ねるその武器は、エルキュールも気に入っていた。

「……おい、危ねぇだろ!?」

 状況を理解したグレンが叫ぶ。ハルバードが落下した地点がずれていたら、二人どちらかの頭に突き刺さっていたことだろう。

「ほら、忘れてなんかいないだろう? ……君を見習って冗談を言ってみたんだが、気に入らなかったか?」

「そっちじゃねぇ! いきなり頭上からハルバードを降らすなってことだ!」

「ああ、それは悪かった。だが、これから忘れ物を家に取りに行っていては時間がもったいないだろう?」

 本気で悪いとは思っていないような態度で、エルキュールは地面からハルバードを引き抜く。

「それはそうだけどよ! ……って、ん? つーかお前、結局持ってくんの忘れてたんじゃねえか! なーにが『ほら、忘れてなんかいないだろう?』、だ!!」

「――確かにそれはそうだな。今日は少し忙しかったから、武器を取りに行く暇もなかったんだ」

 任意の空間の二点を繋ぐ闇魔法・ゲート。その便利さに胡坐をかいて武器を携帯することに注意がいかなかったというのもある。

「……はー、まあいいさ。そんなことより、さっさとあいつらを――」

「ギギィー!!」

 グレンが意識を切り替えようとしたその刹那、兎型魔獣の鳴き声が耳を打った。それも思ったより近い。どうやら騒ぎに気づいた魔獣が接近しているようだ。

「ふっ――」

「おらっ!」

 近づいてきていた魔獣に攻撃を繰り出したのは、二人ほぼ同時であった。攻撃にひるんだ魔獣は体勢を崩す。
 続けて二人は目の前の魔獣の額にある無防備に曝された青色のコアを正確に破壊すると、互いに背中合わせの構えをとった。

「ギギ……」

 同朋をやられた魔獣たちはいったん二人に襲いかかるのをやめ、二人を囲うように並んだ。
 二人と相対する兎型魔獣は、その毛に覆われた体に交じり、輝く紺碧の魔素質が不格好に埋め込まれている。魔素質やコアの色から、水の魔素を含む水属性の魔獣のようだ。

 魔獣に人間のような仲間意識があるかは定かでないが、その目は憎悪に塗れているようだった。

「……俺が彼らの動きを止める。その間に攻撃を仕掛けてくれ」

「……ハ、了解だ」

 魔獣の包囲に気を乱されることなく、二人は初めての共闘とは思えないほど手早く作戦を共有すると、エルキュールが上空へと跳躍した。 

「――シャドースティッチ」

 そして滞空したまま小型の矢のようなものを複数生成し、それぞれ魔獣のほうへ放つ。

 しかし、魔獣たちはその矢の攻撃を飛んで躱し、そのままエルキュールのほうへ攻撃を仕掛け――

「グ……?」

 だが、その攻撃はエルキュールに届く前に止まった。エルキュールが特に行動を起こしたわけでもなく、グレンが攻撃を止めたわけでもない。そして、魔獣が攻撃をやめたわけでもない。

 ただ、攻撃を繰り出した体勢のまま、時が止まったかのように魔獣の動きが静止しているのだ。

 その理由は魔獣が跳躍した地面にあった。その地点には、魔獣の影と先ほどエルキュールが放った矢が影に重なるように突き刺さっていた。

「だあぁぁーっ!」

 動きを止めた魔獣に、グレンは次々と炎を纏った斬撃を浴びせた。烈火の剣を喰らい、コアを砕かれた魔獣はもれなく地に伏した。
 水と相反する火属性の攻撃というのもあるが、見事な腕前である。

「よく合わせてくれた、グレン」

 地面に着地したエルキュールは労いの言葉をかける。今回は彼の力があったからこそ、十匹近くいた魔獣を容易く片付けることができたといえる。

「これくらい大したことねぇよ。それより、闇魔法ってのはあんなこともできるんだな。どういう仕組みなんだ?」

「ああ、あれは矢で対象の影を貫くことで動きを止める、という魔法だ」

「ほーぉ、なるほどねぇ……っと、そうだ、素材を回収しないとな」

 エルキュールの魔法に一頻り感動した後、グレンは兎魔獣の残骸を漁り始める。爪、歯、毛皮などを慣れた手つきで採取していく。
 そんな様子を横目に、エルキュールもグレンが斬った魔獣を確認する。もちろん、エルキュールも完全な善意でグレンに同行することを引き受けたわけではない。
 今朝の報道を聞いてから改めて魔獣を調査しようと考えていたので、グレンに協力すれば自分も効率よく調査ができると思ったからというのもある。

 動かなくなった魔獣の体に異常がないか観察する。

「……この個体は……む、これは特に何もないな……」

「何探してんだ?」

 一通り物色したのか、グレンが横から顔を覗かせる。

「この魔獣が操られた形跡がないかと思ってな」

「……なるほどな、アマルティアの連中か。魔獣を操るって話だが、痕跡とか分かるもんなのか?」

 今朝の報道では魔獣の大量発生には、アマルティアの介入の可能性があるという話だ。魔獣を操る能力を有しているらしいが、エルキュールも操られた魔獣が通常の魔獣と比べて差異があるのかは詳しく知らなかった。

「見たことはない……だが、調べてみないと気が済まないんだ」

 魔獣は凶暴化している一方で、鑑定屋のアランが言っていたようにヌールの騎士の数は多くない。魔獣だけでも十分な脅威だというのに、アマルティアまでもこの地に潜んでいるとなれば、警戒をするのは当然のことである。

「……これは……?」

「どうした、何か見つけたか?」

 残りの一匹の魔獣を調べていたところ、エルキュールは何かに気づいたのか動きを止めた。

「――――」

 違和感の正体を探るため、エルキュールは魔素感覚を研ぎ澄ませる。本来は魔素を感じ取り魔法を使用するためのものであるが、応用すれば物体や魔法が持つ細かい魔素の成分を見ることもできる。

 魔獣の操作に何かしらの道具や魔法が使われている場合、魔素感覚を使ってその異物を見つけることができるかもしれない。

「……魔法の術式か? けど、この術式は見たことがないな……恐らく、魔法書にも記述されていない」

 魔獣の魔素に集中したことによりその首元の術式を認識することができたが、エルキュールの顔は戸惑いに溢れていた。

「術式が見えたのか? ……ちっ、オレにはさっぱりだぜ……」

 置いてけぼりのグレンは明後日の方向を見てぼやいた。魔素感覚には個人差があるようで、エルキュールには見えているものはグレンには見ることができなかった。

「俺にもこれがどういうものなのかは分からない。だが、不気味な感じがする……俺はもう少し調査をしてみる、君は手に入れた素材を換金しに戻るといい」

 十体分の素材があれば、一泊するには十分すぎるだろう。この先は危険も多い、知り合ったばかりの人間をエルキュールの個人的な用事に巻き込むわけにはいかない。

「……おいおい、勝手に決めんな、オレにも手伝わせろよ。元々お前に声をかけたのは、アマルティアにも関係してるんだぜ?」
 
 エルキュールの善意から提案を蹴り、グレンは同行を申し出た。

「……いいのか? 確かに君がいれば助かるが……」

「もちろんだ。お前は随分あいつらのことを気にしてるみてえだし……放っとけないんだろ?」

 そういうグレンの表情は真剣そのものであった。軽薄な印象が目立つが、実はそれだけではないのかもしれない。やはり人を理解するのは一筋縄ではいかない。エルキュールは彼の評価を改め――

「ありがとう、グレン。なら、一緒に調べよう」

 感謝の意を示した。それからエルキュールがもう一度魔獣のほうを見やる。すると、その体は禍々しい瘴気を発し、やがて消失した。
 手掛かりは十分とは言えないが、仕方のないことだった。活動を終えた魔獣は数分で消滅してしまう特徴があるからだ。

「ふう、消えてしまったか……」

「ま、消えちまったならこのままここにいても仕方ねえだろ。もう少し先へ行ってみるか?」

「ああ、そうしてみようか……いや、少し待ってくれ……何か落ちているな」

 先ほどの術式が刻まれた魔獣が消えた跡に、何か輝くものが見えた。エルキュールは手のひらに収まるほどの大きさのそれを拾い、顔の前に持ち上げた。

「石の塊のようだな……何でこんなものがここに?」

 表面に目を向けると何か奇妙な模様が描かれているものの、途中で不自然に途切れているのが見える。
 この塊だけでは不完全さが拭えない。恐らくだが、この塊は全体から欠け落ちた欠片に過ぎないのだろう。しかしこれだけでは、全体がどんなものであったのかを判断することはできない。

 それでも、明らかに自然物でないそれは、この緑の平原には似つかわしくないものだ。元々は遺跡のような別の場所にあったことは確かである。

「んー……こいつが落ちてた場所から考えると、魔獣が持っていたものじゃねえか?」

「そうかもしれない……でも、こんなものに魔獣が興味を持つとは思えないな」

 魔獣に理性などなく、自分たちに敵対するものを襲い、リーベを汚染することしか能がない。奴らにとってこれはただの石ころに過ぎないだろう。

「そうとも限らないんじゃあねえか? こっちを見てみろよ」

「……光の魔鉱石か?」

 グレンが示した塊の裏側を見ると、白い鉱石が石の中から顔を覗かせていた。

 魔鉱石といえば、その内に高密度の魔素を含んでいる鉱石だ。鉱石内の六属性の魔素の中で、最も比率の高い属性の魔素によってその色を変える。火なら赤、光なら白といった具合だ。

 高純度の魔素で構成される魔鉱石はその硬度を見込まれ、精錬することで宝石や武具の作成に用いられることもあるが、加工されていない天然物はその魔素が周囲に漏れ出ているため面倒を引き起こすこともある。

 例えば、魔素を吸収して生きている魔獣を寄せつけてしまうこととか。

「ああ。にしても、あの魔獣がこれを持っていたってことは、元々これがあった場所をたどれば、術式の手掛かりに繋がるんじゃねえか?」

 グレンの言う通り、この石片があった場所に行けば、あの魔獣の術式の由来も分かるかもしれない。

「そうだな。ここからさらに北に行ったところに、古い遺跡があったはずだ。とりあえず、まずはそこに行ってみよう」

「おう、そこにアマルティアに繋がる手掛かりがあるかもしれないなら、行ってみるしかねえな」

 意思を合わせた二人は北に向かって歩き始めた。
 
 それを後押しするように、昼に差し掛かった平原に風が吹いた。

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