「黒き魔人のサルバシオン」9

『この世界にお前らバケモノが生きる場所なんざねえんだよ!!』

 ――これは誰の言葉だっただろうか?

 あの頃のことは朧気ながらにしか覚えていないらしく、生憎とこの言葉の主の顔は思い出せない。

 記憶が蘇るたびに心を抉られてきたというのに、不思議な感覚だな。

 思えば、これが始まりだったか。

 この世界に俺の居場所など存在しない。その事件を経てからというもの、心の片隅ではずっとそう思っていたんだ。

 それでもこの世界で何とか生きてこれたのは、間違いなく母さんとアヤのおかげだろう。

 当時、半ば廃人だった俺に教学を、道徳を、愛情を与えてくれた。この世界で生きる術を教えてくれた。

 この恩は、きっと生涯忘れない。

 母さんもそうだが、まだ小さかったアヤに苦労を掛けさせてしまったことは、謝罪しないといけないな。

 ヌールに至るまで家もなく、魔物の脅威に怯えながら各地を転々としたことは、臆病な性格だったアヤにはさぞかし辛かっただろう。

 ――そう、辛かったはずだ。辛かったはずなのに、俺が謝るたび「いつかお兄ちゃんを守れるくらい、強くなるから」と言って、笑いかけてくれたことは忘れられない。

 その言葉通り、本当に強くなったのだから、本当に凄いと思う。
 名の知れた魔法学校に入学したこと、臆病な性格を直すために人と話す練習をしてきたこと、数えだしたらきりがない。

 もし、それらのことに俺の存在が関わっていたとしたら、少しは共に過ごした甲斐があったのだろうか。

――いや、流石に厚かましすぎるな。

 俺もそんな君たちに認められるために、共にいることを許されるために、必死だったな。

 その中でも、魔人としての力を抑えることは容易ではなかった。

 イブリスは外界にある魔素を吸収することで自らの糧とし、その際にコアが発光するのが特徴だ。

 もちろんリーベである人間の世界で表立って魔素の吸収はできない。基本は人目のつかない夜に、場合によっては何日も行えないときもあったな。

 魔素が欠乏するたびに身体が激痛に苛まれ、魔素質が崩れ、たちまち動けなくなる。

 そうでなくても、外に出るにはコアと魔素質の痣を隠さないといけなかったから、慣れるまでは本当に大変だった。

 結局まともに生活を送れるようになるまで、五年もの間二人に厳しい生活を強いることになってしまったのは全く情けない話だが。

 それからは、受けた恩を何とか返そうと思って、魔法書を読み漁り、武術を学び、襲いかかる魔獣を駆逐してきた。

 最初は自分と同種の生き物を滅ぼすことに幾ばくかの抵抗があった。

 しかしそれも、ハルバードを一振りするごとに、魔法を放出ごとに、徐々に鈍麻していった。

 魔獣に対し容赦は必要ないはずだ。

 魔獣はあの村を焼いた。人々の心を傷つけた。俺たちから住む場所を奪った。

 ――そして何より、いつも俺の心を酷く波立たせる。

 魔物を見ると、自分の罪深さを意識せざるを得ない。そんな存在と自分は異なるものだと、否定したくてたまらなくなる。

 魔獣を狩るうちに、自分の中には確かにそういった感情が芽生えていた。

 家族のため、人のためだというのは、単に自分の本心を嘯いていただけなのかもしれない。

 俺はただ自分を守りたかっただけ。それは心が傷つかないように、ということだけでなく、魔獣を殺すことで自分も人間の仲間であると、家族と共にいてもいい存在だと証明したかったのかもしれない。

 考えるうちに、自分の存在が気味悪く思えてきた。

 そんな感情を持っていいはずがない。

 俺がすべきことは、極力周囲に馴染むこと。これ以上、母さんやアヤに迷惑をかけないこと。

 それ以外のことは考えないようにした。

 ひたすらに無心になるように努め、何の感慨も抱かずに魔獣を狩り、他人との交流も断ち、見るべきものから目を背けることを選んだ。

 ――今日という日を迎えるまでは。

 改めて気づかされたんだ。

 母さんやアヤがどれだけ俺のことを気遣ってくれていたかということ。

 どれだけ他者を避けていたとしても、自分の周りには僅かに他者との絆があったということ。

 自分の中で自分の限界を定めてしまっていたということ。

 そして、やはり俺の在り方は間違っていたということを。

 あのアマルティアが、遂に俺たちの街を襲ってきたんだ。

 以前から名前と簡単な情報だけは知っていた。俺と同じ魔人で組織された集団であること。水面下で魔獣を率いて活動し、リーベに敵対していること。

 その幹部だというザラームが俺の目の前に現れた。

『エルキュールよ、貴様の在り方はそれで正しいといえるのか? リーベに諂い自身を抑圧しながら生きる在り方が』

 彼は俺を仲間に引き入れるために、今回の騒動を起こしたらしい。

 意味が分からなかった。どうして俺なのか。どうしてそんなことのために魔獣を街に放つという残酷非道が為せるのか。

 だが実際、街を襲い人間を汚染するのは二の次であったようで、俺がその件を断ると彼らはあっさりと退却した。
 去り際に再会を期する忌々しい言葉を吐いていたことから、別に諦めたというわけでもないのだろう。

 本当に最悪な気分だった。

 このままいけば、うまくやっていけると思っていた。窮屈ではあるが、ささやかな幸せを享受できるものだと勘違いしていた。

 とんでもない誤解であった。

 どれほど巧妙に忍んで生活しても、結局は俺の存在は周囲に不幸をもたらす。

 アマルティアの目的が俺であり、彼らは手段を選ばないと分かった以上、それは確実だろう。

 俺の在り方は間違っていたということだ。

 母さん、アヤ、二人には本当に感謝している。

 ありがとう、俺を人間と変わらず接してくれて。俺の存在を認めてくれて。

 感謝している。一緒にいられて幸せだ。

 ――幸せなはずだ。

 ついさっきまでは二人のことを思うと胸が暖かくなった。これからも共にいられるよう頑張ろうと思えた。

 なのに、今はとにかく心が痛い。

 共に過ごした日々までも、間違いだったように思えて仕方がない。

 本当に俺は君たちのそばにいるべきだったのか? 君たちの幸せを望むのなら、恩を返したいと思うのなら、離れるのが正しかったのではないだろうか? 

 たとえ絆を感じても、それは捨て去るべきだったのものではないのか? 想いが膨れ上がる前に、関係を断つべきだったのではないかとすら思う。

 築き上げてきた関係がまるで枷のように感じられる。こんな想いは抱きたくなかったな。

 俺はアマルティアを追うことに決めたよ。

 奴らを野放しにしていては、安心して二人と共にいられない。周囲が傷つくのに、これ以上耐えられない。

 しばらくは家に帰れない。二人を巻き込みたくないんだ。

 黙っていなくなることになって申し訳ない。

 身勝手なことだと分かっている。これが単なる「逃げ」であることも。

 それでも、俺には今一度自分の存在価値を見つめなおす必要があると思う。

 いつか、アマルティアとの決着がついたら、俺のせいで二人が傷つかないと確信できたら帰ってくる。

 十年間ありがとう。

◇◆◇

「よし、これでいいだろう」

 運よく倒壊を免れた自宅の居間、今朝食卓を囲んだばかりの長テーブルに向かっていた俺は、それまで文字を綴っていたペンをそっと下ろした。

 手紙を書くという経験は初めてのことで、未だうまく頭が回っていないため変なことを書いていないか心配だ。

 したためた手紙を封筒に入れ、目立つように宛名を書き机の上に放る。

 今頃この街の惨状は多くの人に知られていることだろう。これからどうなるかは判然としないが、数日後には国からも災害救助用の騎士が駆けつけ、より大規模な捜索と復旧の見通しが立てられることだろう。

 その時に、この手紙も彼女たちの手へと渡るはずだ。

 ――さて、もうやり残したことはない。

 徐に立ち上がり、旅立つまえの最終確認を行う。

 ザラームによって破かれた服はもう替えてある。ここに来るまで人に会わないか冷や冷やしたが、もう心配の必要はなくなった。

 低下していた体力もある程度は回復した。アマルティアの連中は厳しいだろうが、周辺の魔獣程度なら難なく撃退できるだろう。

 用意が整ったことを確認し、玄関の方に向かう。

 扉の取っ手に手をかけると、二人と別れた時の光景が頭に浮かんでくる。

 ――これ以上はやめよう。

 俺は首を横に振ると、未練を断つように勢いよく扉を開けた。

 家から出て、とりあえずはこの街を出ようと考えていたエルキュールだったが、街が存外静かなことに気づきその足を止めた。

 先ほどまでは辺りに魔獣が闊歩し炎に包まれていたというのに、今となっては魔獣の姿は忽然と消え、燃え盛っていた炎の勢いも弱まっていた。

 それでも、ここまで倒壊した家屋が多いと復旧に時間はかかるだろう。すぐに以前のような生活に戻ることは見込めない。

「……変に冷静な自分が嫌になるな」

 どこか他人事のように荒れ果てた街を分析していたエルキュールだったが、不意にその眉を歪めた。
 彼も当事者であることに変わりはないはずなのだが、その態度は不思議なほど落ち着いたものであった。

 そんな光景に慣れてしまうくらい、長い時が流れたというのもあるだろう。

 しかし、そんな量的な問題では到底片付けられないものが、エルキュールの心に重く沈んでいた。

 アマルティアとの邂逅、それに伴う自己認識の変容。

 世界と自分との間の壁が一際厚くなったような感覚をエルキュールは感じていた。

「とりあえずの脅威は去ったのか……?」

 せめて生存者が無事に避難できたのかだけは、この街を発つ前に確認しておくべきだろう。
 この地に災害を招いた遠因として、それくらいは行って然るべきだ。

「郊外に出てみれば何か分かるかもしれないな」

 もう、あらかたの救助は済んでいるはずだ。そう判断し、エルキュールは歩みを進める。

 ――目指すはアルトニー方面。ニースの方には足が向くはずもなかった。

 ヌールには街の外に出る三つの門がある。

 一つは、今朝アヤとリゼットを見送ったニースへと続く東門。

 一つは、グレンと共に魔獣を狩りに言った際に通った北門。

 そして、最後がアルトニー方面に造られた西門。こちらを通るのはおよそ三年ぶり、初めてヌールの街に来た時以来になる。

 北ヌール平原に魔獣を狩りに行くとき以外は、この街から外に出ることはなかったからだ。

 そう考えると、いかに自分が閉鎖的な空間で生きてきたのかと、エルキュールは実感せざるを得なかった。
 それでも何故か、アマルティアの連中に目をつけられる羽目になってしまったが。

 自責やら怨恨やらで混沌とした心気を宥めながらエルキュールは道程を行っていたが、前方に見える人影にその足を止めた。

「あ、あなたはもしかして……!?」

 その人物もエルキュールの姿を認めたらしく、こちらに向かって小走りで駆けてきた。
 その様子から人影に敵意はないことは分かるが、緊張した面持ちでエルキュールは待ち構えた。

「や、やっぱり……! あなたはエルキュールさん、ですか!?」

「……ええ、そうですが」

 人影が近くまで来たことでその姿もはっきり見て取れる。見慣れた鎧を装着しているところから推察するに、ヌールの騎士であろう。

 ヌール広場で会ったあの三人の騎士とは別の騎士であるが、どうしてエルキュールのことを知っているのか。
 不信感を募らせるエルキュールとは対照的に、騎士の男は相手がエルキュールだと分かると安堵したように息をついた。

「はー、よかった! グレンさんがあなたのことを捜していたんです、こちらへ来てくれませんか?」

「グレン、か……」

 しばらく人と関わるのは御免だと考えていたエルキュールだったが、そのよく知る名前に表情を穏やかなものに変える。

 ついさっき別れたはずなのに、まるで何年も会っていないかのような感覚を覚える。

 しかし、この騎士とグレンとの間にどんな繋がりがあるのか、そんな疑問が新たに浮上してきた。

 エルキュールがこの誘いに乗るか決めあぐねていると――

「――話はグレンさんに直接聞いてみてください。さあ、こっちです!」

 エルキュールの思考を察したのか、男はそれを汲み取ったうえでエルキュールを促した。

 エルキュールと別れた後、グレンはこの街で救助活動をしていたはずだ。彼に聞けば、そこらの詳しい事情も把握できるだろう。
 そうすれば後顧の憂いもなくなり、この街を出発できるというものだ。

 方針を定めたエルキュールは、その騎士に従うことに決めたのだった。

◇◆◇

 西門をくぐると、月明かりに照らされた平原に入った。北ヌール平原とは異なり、こちらはアルトニーへと続いている関係で人や馬車が通るための道がある。

 また、その道に沿うように幾つかの天幕が掛けられていた。周りにも人が疎らにいる。避難誘導を受けここまで来た住民たちと、それを一時的に収容するための施設群であろう。

 ものの数時間でこれらの設営が整えられたことに感心していると、エルキュールをここまで連れてきた騎士が懐から通信機のような物を取り出し、何か連絡を取っていた。

「さあ、こちらですよ」

 それから道沿いにある天幕の一つを指し示し、エルキュールの前を歩き出した。予想外に人が多いことに緊張したが、ここまで来て引き返すことなどあり得ない。エルキュールも男の後に続く。

 入口に垂れ下がっていた暖簾を手で押しのけ中に入る。

「皆さんただいま戻りました。この通り、エルキュールさんも連れて参りました」

 天幕内には入ってきたエルキューらを除き、二人の先客がいた。
 一人はもちろんグレンだったが、もう一人の禿頭の騎士はエルキュールの知らない人物である。
 気にはかかったが、とりあえずそのことは置いておく。自分から積極的に話を動かそうという気力がエルキュールにはなかったのだ。

「おお、ありがとな。……ったく、無事だったかエルキュール?」

 エルキュールを連れ来るという役目を終えた騎士は一礼してから外へ戻っていった。グレンはそれを見届けてから、エルキュールに声をかける。
 いつもは苛烈に燃えるような深紅の瞳は、この時に限っては温かみのある色をしているように見えた。どうやら、相当エルキュールのことを心配していたようだ。

「……ああ、特に怪我とかはしていない」

 実際、エルキュールの経験した精神的な摩耗を考えると、決して無事だとは言えない状態であろう。
 しかし、そこに至る経緯は他人に口外するにはエルキュールの内面に深く関わりすぎている。その代わりに、身体の具合はひとまず問題ないことを伝えておいた。

「この方がエルキュール殿、ですか……おっと失敬。某はニコラス・バーンズ、ヌールの騎士を束ねるものです。よくぞご無事で」

 言葉少なにエルキュールの安否を確かめたグレンの横で、禿頭の騎士が口を開いた。
 柔和な表情に古風な言葉遣いが特徴の男であるが、力強い精力も漲らせていた。騎士隊長という肩書も納得の出で立ちであった。ニコラスの丁寧な態度に、エルキュールは軽い会釈で返す。

「……? まあ、無事ならよかったぜ。そうだ、お前にも伝えときたい話があるんだが――」

 一段と物静かなエルキュールに若干の違和感を覚えたのだろう、グレンは眉をひそめた。
 しかし、それも一瞬のこと。怪訝の色はすぐに消え、彼はエルキュールと別れた後の自身の経験について語りだした。

 グレンは極力私情を抑え、事務的にこれまでに判明した出来事を語った。

 主犯は仮面の男のザラームと、その部下と思しき二人の少女。そのいずれも魔獣を操る能力を持っていたという。

 彼らが街にある三つの門から同時に襲撃を開始したようだ。というのも、街の破壊状況は魔獣が攻めてきた三つの門の周辺が特に酷く、そこから中央区に至るにつれて損傷は浅く広くなっていたという。
 崩壊の度合いはまちまちだが、広範囲に及ぶため完全な復興には時間を要するだろうとのことだ。

 この襲撃から避難できた住民は人口の三割程であった。その住民は、現在急遽造られたこの天幕内で一時的に滞在しているらしい。

 残りの七割のうち三割は、街の外への外出していたものもいたようだ。事件当時が休日だったことやニースの大市も関係しているのだろう。

 逆算すると行方不明、死亡及び魔人と化した住民は四割ということになる。想定外の奇襲とはいえ、多数の犠牲者を出してしまったことにエルキュールは悔しげに俯いた。

 エルキュールにとっては想定外の事ではなかったからだ。アマルティアが街を襲う前に、あの遺跡でザラームをどうにかできていれば、もう少しうまくやれば結果は変わっていたかもしれない。

 そんな後悔をせずにはいられなかった。エルキュールの様子を見兼ねたグレンが、滔々と述べていた報告を一旦中止する。

「――お前の考えていることは分かるが、あの遺跡の時のオレたちにはあれが限界だった。例え念入りに準備しても、そもそも襲撃前には間に合わなかったはずだぜ」

「あの遺跡……?」

 その慰めの言葉に反応したのは、グレンの横にいたニコラスの方だった。確かに、ニコラスにとっては把握しかねる会話だろう。グレンは簡単に遺跡での件とそこに至るまでの魔獣の術式についてをニコラスに説明した。

「なるほど……話を聞く限り、彼奴等は不気味なほど周到に準備をしていたようですな。丁度騎士が少ないこの時勢を狙い、魔獣の勢力を増やしていたのでしょうな。今朝の魔獣情報もその影響かもしれませぬ」

 グレンからの情報を受け入れ、ニコラスは一際低い声で情報を整理する。言われてみれば、北ヌール平原のあの術式付き魔獣も、此度の襲撃のための準備の名残だったのかもしれない。

「恐らく、そのザラームとかいう賊はその遺跡周辺で水面下の活動をしていた……そして話に聞く大蛇の魔獣はその集大成ともいうべきものでしょうな。それを街の襲撃に使われる前に討伐できたのはグレン卿と――エルキュール殿、あなたのおかげに他なりません」

 事情を汲んだニコラスが、グレンに並びエルキュールに再度慰めの言葉をかける。彼の言う通り、大蛇魔獣の討伐にはエルキュールの功績が大きい。しかも特級魔法によってようやく葬ることができたほどの怪物である。街に放たれていたら、さらに被害は拡大していただろう。

「……ありがとうございますニコラスさん。グレンも、話を止めてしまって済まない」

 難しいことだが、いい加減切り替える必要があるだろう。エルキュールはここにきてようやくまともに口を開いた。

「それで、そこまでしてあいつらが街を襲った理由だが……ここを襲ったのはこの世界への反抗のためだという話だったな? 要するに、これは始まりにすぎねえってことだ」

「ええ。彼奴等はこのオルレーヌ、ひいてはヴェルトモンドの全てのリーベ国家に仇なすつもりでしょう。……とりあえずはここでアルトニー・ニースの難民受け入れを待って、一段落したら王都の騎士団本部にも連絡をしなくてはな」

 アマルティアの目的――詳細は依然として闇に包まれているが世界に歯向かう思想を持っていることは公に明らかになっている。すなわち、今後もこのような襲撃がまた引き起こされるかもしれないということだ。

「そうだ、お前の方はなにか収穫はあったか? 別れてから全く情報がなかったからな、とにかく今は奴らに続く手掛りがほしい」

 グレンの問いかけに、反射的に身を固くしてしまうエルキュール。話せることは限られているゆえ、慎重に言葉を選ぶ必要があった。

 かといって、何も言わないのは不誠実だ。アマルティアはもはや正式に世界の敵といってもいい。その情報はできる限り共有するべきである。

 エルキュールは意を決し、自身の得た情報をできる限り語り始めた。

 言葉を選ぶようにゆっくりと、エルキュールは自身の体験を差し支えないように語り始める。

 ザラームのほかにも、フロンやアーウェ、魔人と化したアランの存在。自身の事と「アマルティアのもう一つの目的」には触れずに、事実を連ねていく。

「君には無理をするなと言われたんだが、結局捕まってしまった。だけど、奴らは俺に攻撃を加える前に何やら通信機のようなもので会話をし、そのまま退却していったんだ」

「おいおい……結局無茶してんじゃねえか……!」

 グレンから悲鳴にも等しい声が上がる。申し訳ないという感情がエルキュールの心を掠めるが、彼の鉄仮面を割るには至らなかった。

 エルキュールは相好を崩さず、淡々と続ける。

「彼らが去る前に、王都がどうとか言っていたな。情報といえばそれくらいしかないな」

 あの時の出来事はエルキュールにとってはあまりに刺激的で、正直記憶も曖昧であった。
 それでも記憶の糸を辿り、建設的な会話をするように努めた。

「王都ですか……そちらの方でも彼奴らが暗躍していた可能性がありますな」

「ああ。あいつらはここの魔動鏡を乗っ取っていやがったが、その時のザラームの言葉は国全体に向けたようなものだった。そして、全国にその映像を送信するのに最も適したものは、王都・ミクシリアにあるものに違いねえ」

「理論的にはそうですな。先日も王都周辺で魔人が確認されたとのことです。それは既に討伐されたそうですが、その騒ぎに乗じて潜入したのでしょうか」

 王都の魔人騒ぎの件は、今朝の魔動鏡の放送の際に誰かが触れていた気がする。その後に特に異常は見られなかったという話だったが、その時からこの襲撃が仕組まれていたというのか。
 アマルティアの執念を今一度思い知らされる。

「ふむ、そのことも合わせて騎士団本部に申す必要がありそうですね」

「こうなったらオレも王都の方に顔を出す必要がありそうだな……あまり気は進まねえが」

 グレンもニコラスも、それぞれが自身の今後の方針を定めたようで、ここらで話し合いを一旦終えようという空気が漂う。
 既に日付は変わり、各々の疲労も限界まで溜まっている頃合いだろう。

「お二方に関しましては、この度のご助力大変助かりました。ヌールの騎士を代表して改めてお礼申し上げます。後のことは我々が責任を持って対処いたしますゆえ、どうかご自身の為すべきことを為してください」

 ニコラスはグレンとエルキュールの方に向き直り深々と頭を下げる。この状況に後手に回ってしまったことの自責を感じていたのかもしれない。その声は切実さに溢れている。

 それから二人の目をしっかりと捉え、この後の住民の安全を保障すること、街を復旧することを約束する。

 ニコラスにとってエルキュールが何者であるか知らないはずだし、これから彼がどうするかなど関係ないはずである。
 それでもこのヌールの騎士隊長は、エルキュールが並々ならぬものを抱えているとその慧眼で見抜いたようだ。

「……ええ、分かりました。お気遣いありがとうございます」

 他人との絆を自ら捨て去ってしまった自分には、そう言ってもらえる資格などないと考えていたエルキュールだったが、実際こうして声を掛けられると心が揺れ動いてしまうのを自覚する。

 これから歩む道に、人としての所為は必要ないはずだ。
 しかし、こうして結局人の厚意に甘えてしまうのは何とも情けないことだと、内心忸怩たるものがあった。

「ありがとな、オレもそろそろ休ませてもらうぜ」

 グレンの方は気安い調子でニコラスに返し、天幕内の外へと歩き出した。エルキュールもこの場を去ろうと出口に向かうが、その背にニコラスから声がかかる。

「おっと、申し訳ないエルキュール殿。最後にお尋ねしたいことが……」

 快く送り出した手前、ニコラスの気まずそうな顔でエルキュールを呼び止めた。

「エルキュール殿もあの結界が貼られる前に中央区にいた……それは間違いないですかな?」

 突然の質問にその真意を測りかねたエルキュールは、戸惑いつつも肯定した。暖簾を今にも潜ろうとしていたグレンも後ろで耳をそばだてる。

「ヌール伯の件で少しお話が。昨日――いえ、一昨日には街にいたことは明白なのですが、街を捜索しても見つからず外出記録もなかったので心配で。エルキュール殿は何か存じ上げませんか?」

「ヌール伯、ですか? …………いえ、見てはいませんが……」

 確かにヌール伯の姿は見ていないのは事実だ。だが、その名を聞いたエルキュールはある出来事を思い返していた。

 今朝の鑑定屋にて、マクダウェル家のルイスが放った言葉である。ヌール伯との会合があったと言っていたが、ここに来て妙な引っ掛かりを覚えたのだ。

「ニコラスさん、ヌール伯がマクダウェル家との会合をしていたというのはご存じですよね?」

「ええ、某も護衛のためにすぐに駆けつけられる位置で待機しておりましたゆえ。しかし、会合の内容については存じませんが」

「……念のため、関りのあったマクダウェル家に尋ねてみるか、できるのなら騎士団本部でも尋ねてみてはいかがでしょう」

 不吉な考えがエルキュールの頭をもたげるが、相手は名だたる貴族の家。明確な証拠もなしに滅多なことをいうのは、この騎士の前では憚られる。

 アマルティアの情報のついでにヌール伯のことも気に留めておこうと決心し、結局エルキュールは当たり障りのない助言をするに留めた。

「そうですな。……引き留めてしまって失礼しました、今日のところはゆっくりお休みください」

 ニコラスの言葉に頷き、今度こそエルキュールは出口の方へと向かった。

「よう、休めることころに案内してやるよ」

 出口付近でこれまでの会話を聞いていたグレンがエルキュールを誘う。このまま人知れず出発しようと思っていたので、この誘いには少し困惑してしまう。

 だが、ここでこの誘いを断るのはあまりにも不自然であろう。エルキュールは渋々グレンの言葉に従うことに決め、彼と共に暖簾をくぐった。

◇◆◇

「ここの天幕だ。入ろうぜ」

 グレンに連れられやってきたのは、先ほど話し合いをした場所の斜向かいに位置していた天幕だった。
 そこそこの大きさを持つその天幕の中に入ると、何人かの人々が各々就寝の準備をしている最中だった。男性しかいないことから、ここは男性用の寝室として宛がわれたのだろう。

「まあ、こんな他人が周りにいて寝心地が悪いかもしれねえが、我慢してくれよ」

 グレンはどこからか手にした毛布をエルキュールに渡しながら苦笑する。そこまで良質なものではないが、眠る場所が提供されているというだけでありがたいことなのだろう。エルキュールはもちろん、ここにいる元住民たちからも文句の声は聞こえない。

 ふと、これだけの設備を短時間で用意できたのが気になって、渡された毛布を何気なく観察する。

「ああ、それは隣のアルトニーの宿屋から支給されたものだぜ。こっちからの連絡に、向こうの騎士が支給品を持って駆けつけてくれてな」

「随分手際がいいんだな……これも君の手腕によるものか?」

 寝具と設備の出どころに納得したエルキュールだったが、その瞳はグレンの方を鋭く射抜いていた。

 あの騎士隊長のニコラスの態度といい、エルキュールを捜すように騎士に言付けを頼んでいたことといい、まるでグレンがここの騎士を主導していたように思えた。

 何故ただの旅人であるグレンにそのような芸当ができるのか、少しの冷静さを取り戻したエルキュールは疑問を感じていた。

「……まさか。あのニコラスさんがやってくれたに決まってんだろ? さ、あっちの空いてる方に行こうぜ」

 エルキュールの追及を露骨に逸らし、グレンは奥の好いている空間へと移動する。エルキュールの方も彼が本気で答えるとは思っていなかったようで、それ以上は何も言わなかった。

 暗い天幕の中、襲撃からの避難で疲労困憊であった人々は、身を横にするなりすぐに寝息を立て始め辺りは静寂に包まれていた。

 エルキュールは床に敷かれた茣蓙に寝転がり、ぼんやりと中空を見つめていた。魔人であるエルキュールにとっては睡眠など必要ない。だが、こうして休むふりでもしておかなければ後々面倒になる。

 頭では分かっているが、エルキュールの心は虚しさでいっぱいだった。どこまでも中途半端。その在り方は矛盾だらけ。自他を騙しながらでないと生きていけない自分が、今のエルキュールにとっては酷く悲しく思えた。

 家族と共に今まで通り人間のように過ごすのも、ザラームらのように魔人として人間と敵対するのも、エルキュールには苦しくて選べなかった。

 それ故の現状にエルキュールが嘆いていると――

「なあ、エルキュール……起きてるか?」

 少し離れたところで横になっていたグレンから声が掛けられた。

「起きているが……何か用か?」

 背中越しに用件を聞く。その声に少し鬱陶しさが混じっていたのは、グレンが起きているせいでエルキュールが今こうして無為に過ごさなければならないからであろう。

「これからお前はどうするのかと思ってな。オレは一休みしたら王都に向かうつもりなんだが……」

「ああ……どうするかな……」

 呟きにも等しい声がエルキュールの口から漏れる。これ以上自分のことを詮索されることを是としない、エルキュールの抵抗にも感じられた。

 エルキュールの異常に気づいたのか、グレンは寝返りを打ち彼の方へ身体を向ける。

「……やっぱ辛いよな。住んでいた街を壊され、これからの生活を思うと不安になるのも無理はねえ。オレみてえな部外者が何言ってるんだと思うかもしれねえが」

「――心配には及ばない。もうしばらくすれば、難民の受け入れも開始されるんだろう?」

 心にもないことを言う度に、エルキュールの心が痛む。これ以上会話を続けても、グレンを騙すことしかできない。
 エルキュールは横向きに姿勢を変えグレンに背を向けた。

「そうか……ああ、そうだな」

 グレンの方もエルキュールのその動きを目にし、彼に倣うように反対に身体を転がす。今は放っておくのがいいのだと判断したのだろう。

 それきり二人の間で会話が交わされることはなく、天幕内を満たすのは人々の寝息の音のみとなった。

 グレンを含めた全ての人が寝静まったのを察知したエルキュールは、周囲に気づかれないようにそっと身体を起こした。
 それから念のため全ての人が寝ているか、エルキュールは顔の動きだけで確認する。
 周囲を丁寧に観察し、最後に隣にいるグレンに視線を向ける。その目蓋は閉じられ、胸も規則正しく上下に揺れている。
 誰の目から見ても彼が熟睡しているのは明らかだったが、身体の上に掛けられていたはずの毛布が剥がれているのが気になった。

 ――別にそのままにしておいてもよかった。

 しかし、最後くらい人に親切にしておいても、人らしく振る舞ってみても許されるのではないかと、エルキュールは頭の隅でふと思った。

 これからの戦いの中で自身がどのように変容するのか、アマルティアに屈してしまうのか、培ってきた人間性までも捨て去ってしまうことになるのか、エルキュールには分からない。

 だが、せめてこの一瞬だけは、家族に愛された人間としての自分でいたいとエルキュールは感じていた。

 溢れ出る欲求に駆られ、エルキュールはそっとグレンに毛布を掛け直す。それは、まるで誰かに許しを乞うための行為にも思え、そのことがエルキュールの自嘲を煽った。

 グレンを起こしていないか再度確かめると、エルキュールは音もたてずに立ち上がると、静かに息を吐く。

 エルキュールは足早に、かつ足音が響かないように出口まで移動して外へと出る。

 春の季節にしては外の空気は冷たいもので、空は少し白んでいた。どうやら、夜明けが近いらしい。
 ここの人たちが就寝したのはまちまちだったため、そろそろ起きてくる人もいるかもしれなかった。

 ここで人の目に触れてはいままでの茶番も意味がなくなってしまう。とりあえず人のいないところへ移動してしまおうと、エルキュールは薄暗い平原へと歩き出した。

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