将来の夢

このタイトルを見て、多くの人が子どもの頃、親から聞かれ続けたな、先生から言われたな、と思うんじゃないだろうか。

おそらく、日本に住んで、公立の義務教育を通り抜けた人はここを通過する気がする。

そして、就活や転職活動においてもよく聞かれる。将来の夢という肩書きではなく、将来何をしたいのか、だったり、何をなしたいのか、だったり。
とかく、未来に対して、明確な目標を描くことを強要されるように感じる。

前職の面談で度々聞かれた。
この先何年後に何をしたいのかと。
その手伝いをしたいと。

転職活動の時にも聞かれた。
この会社に入って何がしたいですか。と。

正直、何にもない。
驚くほど私の中には何も無い。

一応、昔から設計士になりたいという漠然とした夢があってここまで来た。自分で古民家を買っていじりたいという夢はある。一応。

だが、私の先入観もあるだろうが、これはおそらく求められている答えでは無い。なんなら、別に会社に勤めなくたって、達成できるのだ。

そんな中で、なぜこの会社に入って、何をしたいのかと問われる。

うん、何も無い。


ぶっちゃけ、なぜ夢があってそれに対して皆が走り続けていると思えるのか不思議でならない。
z世代?ミレニアル世代?最近の若者?は、生まれてからこの方、世間が上昇志向であるというところに面していないように思う。
昔の人達が盲目的に日本を復興させようとか、金持ちになるんだ。みたいな夢を皆が平等に描いていたような社会では無い。

その中で、答えを求められることの苦しさ。

うるさい。ほっといてくれ。
私は私で勝手に生きるから。

そう強く思った。

たまに、気が向いて私がやりたいこと。誰かが熱量を持ってやりたいというそれを手伝いたいんだ。という話をすると、それはあなたの夢じゃないよね?
などと一蹴された。

うるさい。ほっといてくれ。
その都度思った。

自己完結的で、自己欲求に基づくようなやりたいことなど、この先いくら経っても出てこないだろう。

わたしは、わたしの手が届く範囲の人間が思い描く未来の解像度をあげるために生きていたい。
そのために、あらゆるスキルを身につけて行きたい。理不尽に対抗できる力を身につけて行きたい。
具体的なやりたいことは無い。

ただ、隣にいる人間の力になりたい。

ちょうど今日、
「君と会えたから…」(著 喜多川泰)
を読み終えた。

その上で思う、頼むから安易に子どもたち、若人に将来の夢を求めないでくれ。ただ一つを求めないでくれ。
自由に生きさせてくれ。
その中で見つけることがあるから。

優しく見守ってやってくれ。
心配から出てくるその一言が、未来を狭めかねないから。

明確な肩書きを持たず、明確な将来の夢を持たず、
それでも私は、周りの人間が健やかに生きていけるように生きてゆきたい。

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