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思うこと:ファンになった経緯(全日本プロレスのこと その2)

 私が全日本プロレスのファンになったのは、2015年9月に後楽園ホールにて全日本プロレスの大会(王道トーナメントの一回戦だったと思います)を観戦したのが始まりです。

 プロレス(格闘技)の聖地と言われる後楽園ホールで一度はプロレスを見たいと思っていたのですが、なかなかタイミングが合わず、このときに始めて後楽園ホールにてプロレスを観戦したのです。

 2015年当時は「昔はプロレスをよく見ていた程度の元ファン」でしたので、見るとしたら私が知っている団体である全日本プロレスか新日本プロレスで(結局、両団体が2日続けて大会を開催したのでどちらも見たのですが)と思っており、日程の都合で最初に全日本プロレスを見ることになったのでした。

 私がプロレスにハマるキッカケは、全日本プロレスに長州力選手率いるジャパンプロレス軍団が来襲し、それを迎撃するために前面に立った天龍源一郎選手に惹かれたからです。ただ、団体としての全日本プロレスは好みではありませんでした。あくまでも天龍源一郎選手個人のファンという立ち位置でした。

 当時は全日本プロレスと新日本プロレスという2団体がメジャーで、今の時代では信じられないかもしれませんが、老若男女問わず、この両団体の名前を知っている人がかなりおられました。プロレスを見たことがない人でも。

 プロレス自体も好きになっていき、団体としては新日本プロレスからUWF、選手としては天龍源一郎のファンという立ち位置でしたが、元々空手やボクシングといった格闘技も好きで、第二次UWFの解散以降、リングスの旗揚げ、総合格闘技(UFC)やK-1の立ち上げがあったことから、私は総合格闘技へと興味が自然と流れていき、プロレスを見ることはほぼなくなりました。

 同じような時期に全日本プロレスから天龍源一郎選手が退団しSWSへ移籍というタイミングも重なり、全日本プロレスも見なくなっていったというのも大きな要因です。その後の四天王プロレス時代は全く見ておりません。

 その後もたまにプロレスを見たこともあります。新日本プロレスの1.4とか小川ー橋本戦、初期のゼロワン、ゼロワンと武藤全日本プロレスの対抗戦、ゼロワンの別ブランド大会の真摯、OH砲とか、雑誌の「G SPIRITS」の付録DVDとかで。なんか、ゼロワンが多いな(笑)。ただ、単発で見ていただけでファンに戻る、までにはなっていませんでした。

 始めて後楽園ホールで観戦した日も、単に思い出作り程度のノリでした。継続してプロレスの情報だけはたまにYahooニュース等で見ていたのですが、この日の全日本プロレスの大会でも名前を知らない選手も多々おりました(すいません)。その中で、名前を知っており、試合を(なんでか)見たことがあった宮原健斗選手に惹かれました。こんなに格好よくて色気があった選手だったかな、と。放っているオーラが違ったというか。

 また、大きな選手同士のぶつりかい合いがとても迫力満載で、そこにも惹かれました。楽しかったということですね。大満足する大会でした。

 その後、もう一度全日本プロレスを見たいなと思っていたところに、少し前に経営難からオーナーが代わり、武藤選手が退団して新団体設立といった、この時期の少し前に起こっていた騒動を後追いで調べたり、直後に主力選手の大量離脱といったネガティブなニュースもあったりで、より意識するようになりました。そして、年末の世界最強タッグ。優勝戦が大阪で行われるということで、これは絶対に見たいと思い、会場に足を運びました。

 リーグ戦の最終公式戦で宮原健斗・諏訪魔組を、ゼウス・ボディガー組が破り、両チーム同点でリーグ戦が終了。直後に両チームで優勝決定戦を行い、宮原健斗・諏訪魔組が優勝。主力選手の大量離脱で揺れていたリング上で、宮原健斗選手が諏訪魔選手にこれからも団体を一緒に盛り上げていこうと握手を求めたところ、諏訪魔選手率いるEvolutionの皆さんにタコ殴りに。それを救出したジェイク・リー選手と共にNEXTREAM結成(正式決定自体は後日)という流れに興奮し、そこから宮原健斗選手及び全日本プロレスのファンになってしまったのでした。ファンクラブの会員にもなりましたしね。

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