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"当事者"の前に何を付けるか

 昨日は久しぶりにマイノリティーを味わった。


 メンバーの1人として関わったNPOユニバーサルイベント協会主催のオンラインユニキャン(正式名称:オンラインユニバーサルキャンプ/通称:オ二キャン)での出来事。

 日中のプログラムでは【関わりの部屋】の主人として、過去の失恋話や「どんな保険に入ってる?」のQに対して、「保険は入ってないけどこんな場では嫌われないように保険かけてる!」なんてしょーもない話を惜しげもなく披露したわけだけれど。

 毎年この手の話は八丈島の星空の下、お酒を酌み交わしながらしているわけで・・・。

 そんで昨夜。

 オンラインだけど、昨日もそんなプログラムがあった。

 各々が家にあるお酒を用意して、ランダムに割り振られた部屋のマスターの話を聴きに行き、本音で語り合うオンラインダイバー。(※Barとダイバーシティという奇跡のダブルミーニング!)

 なんと、そこで割り振られた部屋で、手話できないのが僕だけだったのよ。幸い聴こえる人が何人かいてすぐにフォローしてくれたけれど、会話に取り残されるってこんな感じなのね~」って、ちょっと新鮮だった。(※聴こえない人ゴメンね!これが日常的だったらもちろん僕は耐えられないから、日々工夫して生きてる皆さんをホント尊敬してる)

 結局自分で喋ってから自分で入力するという方法で対応したんだけど、普段歩けないことでマイノリティーになることあっても、聴こえないことでマイノリティーになることはないから、「オォ~!」って感じだった。

 自分で入力したのは、僕がどのくらいの時間でどのくらい打てるのかを含めて見て欲しかったから。マイノリティーならば自分からどんどん発信して伝えていかないと、障害を忘れられるような楽しい瞬間は創り出せない。

「当事者の前に何を付けるかで誰もが当事者になり得る」

 これも僕が伝えていること。



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