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高校選択

 中学卒業にあたっては、以前から大きな節目だと感じていました。義務教育を終えるとはいえ、今では大半が高校までは進学する時代ですから、進路のステージを考える上では必ずしも大きな節目とは言えないかもしれません。しかし私は、全く別の意味で大きな節目と捉えていました。
 桐が丘養護学校(現:特別支援学校)での3年間、集団生活の楽しさや醍醐味を味わうことができたというのは、すでにお伝えしたとおりですが、もう1つ「移動力の向上」があります。ここで言う「移動力」とは少し広い意味を指しており、行動範囲の広がりはもちろん、私自身の身体の可動域の広がりなども含まれます。
 例えば、それまでは全介助だった排泄が、手すりさえあれば1人でできるようになった。今までは手伝ってもらうこともあった校内の移動を、車椅子を漕いですべて自力でできるようになった。小学校時代はずっと車での送迎だった通学が、片道だけは電車で通えるようになった等、私には中学時代にできるようになったことがたくさんあります。そうした自身の「能力」と「現実」とを天秤にかけた時、高校選択は非常に大きな意味を持つと思っていたのです。

「現実」だけを見れば、一時期、都立の定時制の高校への進学という選択肢も頭をよぎりました。同校は過去に普通校に馴染めなかった生徒など、何らかの事情を抱えた生徒も通う学校でした。
 私も小学校時代の(交流学習に馴染めなかったという)トラウマが完全に消えていたわけではありませんでしたが、中学生活を謳歌できたことで「今ならもしかすると障害のない人たちと同じ集団に入っても適応できるのではないか」という思いを感じていたことも事実です。しかし「能力」という視点で見た時、「できていたことができなくなる」ことが許せない自分がいました。
 もし、「都立高校」に進学すれば、また新しい友達ができる一方、おそらく体育の授業は見学を余儀なくされます。そして、部活や校外学習、宿泊行事だって一緒にやらせてもらうことができるかどうかは分かりません。せっかく友達と仲良くなったとしても自分だけが見学という環境に耐えられるだろうか。もし、このまま「養護学校」に行けばその心配はいらない。
 読者の皆さんはもうお分かりかもしれませんが、私が次なるステージとして選択したのは「桐が丘養護学校」の高等部でした。決め手となったのは日々の環境ももちろんですが、とりわけ「進路指導の手厚さ」が大きな要因となりました。高校卒業後を考えた時、やはりこのまま留まったほうがより多くの選択肢が残るのではないか。この時はもう主体的な決断でした。
「同じ学校に行けばエスカレーター方式だから楽だろう」といった甘い考えをしていたつもりは毛頭ありません。もちろん受験もしました。

 しかし、中学と高校でこれほど変わるものかというくらい、大きな落とし穴が私を待ち受けていたのです。

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