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“障害者だけの世界”への違和感

まず・・・。

昨日のイベント、無事終わりました!めちゃくちゃ楽しかったです。

やっぱり、障害を感じつつ「僕の人生はおもしろい!!」

そう思いました。

そんなタイミングで、今日は順番でいくとこちらの記事。

公開を一瞬躊躇いましたが、出します!

これもやはり、3年前に書いた記事を微修正したものです。

だから昨日のようなイベントに価値がある!!


時代の流れと感じた違和感

 ノーマライゼーションやバリアフリー、共生社会にユニバーサルデザイン、ダイバーシティ(多様性の享受)や、インクルーシブ(統合)教育と、今では様々な言葉を耳にするようになりました。これらは皆、障害の有無に関わらず、ともに生きる社会の実現を目指したものです。
 とりわけ、ユニバーサルデザインやダイバーシティに象徴されるように、最近では障害のみならず、多様な背景を持つ方々がメディアに取り上げられるようになりました。そんな中で2016年7月に『津久井山ゆり園』で起きた無差別殺傷事件には強い憤りを覚えましたが、私の周りでも日々、違和感を覚える出来事は起こっています。今回はそのうちの1つを紹介したいと思います。

私が許せなかったこと

 それは、私が当事者主体のNPO法人をリードしてほしいと言われた時のことです。理事長からは「この法人はできれば障害者だけでやってほしい。今後はもっと君の強みを活かしてほしい」と言われました。
 皆さんはこの発言をどのように思われるでしょうか。この場合、私の強みとは「日々ヘルパーを利用しているユーザーの視点で、現場のヘルパーに対して研修ができる」という類のことを指します。私が(採用試験に合格してはいませんが)小学校の教員免許を有していることもあり、そのスキルも活かしてほしいという思いがあることも伝わってきました。ですからなんだか有難い言葉のようにも聞こえますが、私は(発言の)前半部分に納得がいきませんでした。
 繰り返しになりますが、現在の日本は共生社会の実現を目指す時代です。残念ながら2020年の東京オリンピック・パラリンピックは延期になりましたが、この機運を減速させてはいけません。私は理事長の“障害者(とそのヘルパー)だけで”という考え方が時代錯誤のように感じ、リフォームされた社屋を提供されたことも相まって、ふと1970年代に推し進められた障害者の施設収容政策が頭をよぎりました。
 私は(そんなはずはないと思いながらも)どうしても、一歩間違えば隔離ではないかという疑念を拭い去ることができず、(インクルーシブ教育の観点から)「できることなら健常者も採用してほしい」と何度も訴えました。
そう反論する私に返ってきたのは、驚きの言葉でした。「確かにそれが理想だ。しかし理想を追い求めていては(体制が整うことを待っていては)何もできなくなってしまう。俺はもう障害者を指示して動かしたくはないし、君も健常者の指示を待っていないと動けなくなるよ。今回のモデルが成功すれば世間に与えるインパクトも大きい」と言われたのです。

 もう何も言い返す気持ちにはなりませんでした。そして、この時に覚えた違和感こそ、その後の活動の原動力となっていくのです。

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