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恩師との出会い

 私はこれまで、本当に多くの先生方にお世話になってきましたが、桐が丘で恩師と言える先生に出会いました。中学1年生の時です。
 それは、中学3年間お世話になった国語の先生でした。隣のクラスの担任でした。
 

 当時、桐が丘の中学部は1学年2クラス。1年生の時は大半がクラスごとの活動でしたが、2年生になり私のクラス担任が変わってからは、2クラス合同、つまり、学年一体となって活動することが増えました。私にとってはそれまでに比べ、恩師と接する機会が多くなるため有難いことでした。
 

 先生の授業はまさに引き込まれるという言葉がぴったりで、本当に45分間があっという間に感じました。毎年、年度の始めに先生が考えた3箇条が私たちに今年のテーマとして発表されます。すなわち、3年間で9箇条があったわけですが、代表的なものを挙げると、「話してみよう!自分のことばで」「聞いてみよう!どんなことでも」「感じてみよう!身体全部で」「事実(根拠)と意見を分けるべし」といった感じでしょうか。15年ほどが経った今でも脳裏に覚えているというのは凄いことです。
 他の人と同じことでもいいからどんなことでも話してみよう。恥ずかしいと思わなくてもいいから分かったふりをしないで聞いてみよう。気持ちを込めて読むとどんな文章でも楽しくなるよ。先生からのメッセージには、そんな思いが込められていたように思います。
 個々の障害特性を考慮して「考える時間」と「書く時間」使い分けながら、生徒自身がノートテイクをする量は少なくて済むようにと、毎回その日の板書と全く同じ手製のプリントを用意して下さった先生の授業は、事前準備の段階でどこに何を何色で書くか、板書のレイアウトまですべて決まっていて、計算し尽くされていたのです。私は後に国語をメインに教育実習をすることが決まった際、真っ先に「先生のような授業がしたい」と懸命に教材研究をしましたが、やはりそう簡単にはいきませんでした。

(※詳細は「忘れられない1カ月」に記載・・・順序を変更して急遽、明日掲載することにします)
 

 そんな心のこもった授業はもちろんですが、それ以上に私が感銘を受けたのは、生徒1人ひとりに対する一貫した向き合い方でした。先生が話せば皆自然と納得できる。その話術はまるで魔法のようでした。
 そんな恩師が担任するクラスにはLD(学習障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)を併せ持つ生徒がいました。彼には、興奮する度に高く飛び跳ね、気になることがあれば授業そっちのけで走り出してしまうという特性がありました。彼が何か良くない行動を取った時、他の先生がいくら怒って注意をしてもなだめてもパニックは増すばかりで一向に収まる気配はありませんでしたが、この先生が話をすると不思議と落ち着いて気持ちを切り替えることができる。私はそんな場面を何度も見てきました。
 先生はどんな話し方をしたのか。それは「(最初から)徹底的に生徒の話を聞く」ということでした。

 何か良くないことを目にした時、教師はどうしても目の前の生徒が悪いと決めつけ、起こったり注意をしてしまいがちです。しかし、先生は違いました。まず、トラブルを起こした生徒の話を最後までじっくりと聞き、「その時どんな気持ちだった?」といったように本人が自分の気持ちと向き合っていけるようにアプローチするのです。それから目の前で起こっている事実(※例えば、友達が傷ついた・物が壊れてしまったなど)を伝え、相手の気持ちを確認します。そして最後に、同じことを繰り返さないための対応方法を一緒になって考え、必要に応じて先生自身の意見を伝えるのです。
 そこには、確かに事実と意見を使い分け、どんなことでも話せる雰囲気と、最後まで聴いてもらえるという安心感がありました。こうした一貫性と愛ある向き合い方がどんな生徒の心も解く秘訣だったのでしょう。中学2年生の時にこの恩師の向き合い方に気付くことができたのは、本当に幸運でした。
 ちなみに、そんな彼とは当時目が合っただけで「睨んでいる」と誤解されていたくらいだったのですが、高校になって同じクラスになった時に先生の向き合い方を真似してみたところ、きちんと話を理解してもらえるようになり、誤解されることが格段に減りました。何より私の真意を分かってもらえたことが本当に嬉しかったです。

 中学を卒業して高校に入学してから、国語の課題で「尊敬する人」にインタビューをする機会がありました。私は迷わず、自らが恩師と仰ぐ先生にコンタクトを取り、お話しを伺うことにしたのです。学部は変わったものの、まだ同じ校内にいて下さったことがラッキーでした。
 授業を行う上での心掛けや、私たち生徒との向き合い方など、気になってはいたものの当時は聞くことができなかった3つの質問を率直にぶつけた私に対し、先生はどれも真摯に答えて下さいました。中でも印象的だったのは、「『叱る』のは本人のため、『怒る』のはコントロールできなくなった自分(大人)の感情をぶつけてしまうこと」という言葉です。私はこの言葉を聞いた瞬間、それまで魔法のように感じていた先生の言動がすべて腑に落ちたような気がしました。同時に「僕も頭ごなしに怒ることは辞めよう」と誓ったのです。

「黒板は皆の頭の中だと思っていた」と、その洗練された板書と同様のプリントを作成した理由を語ってくれた先生とは、大学に入学して以降、何度もメールのやり取りをさせていただきました。人として大切なことを教えて下さった先生との出会いは、私の人生において財産となっています。今でも遠い福岡の地から見守って下さっていることに感謝しながら、良い報告ができるようにこれからも精進していきたいと思っています。

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今では私がこんなプリントを作る立場になりました。

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