生徒会長として

 自らが感じていた集団での引っ込み自案を解消した最大の転機は、高校2年の時に生徒会長にまで立候補したことです。
 ご存じのとおり、私は中学・高校を同じ学校で過ごしたため、高校進学にあたっては必然的に知っている仲間と一緒の道を歩むことになります。そんな環境に心強いと思う反面、「この環境に甘えてはいけない」と思っていました。
 先述したように、実際には「同じ学校でもこんなに違うものか」というほど、学習面でも人間関係でも苦戦し、楽だと感じたことは一切なかったのですが、それでも中学時代に決意した「高校生になったら生徒会長まで絶対に務めよう!」という思いが変わることはありませんでした。

 実は中学部でもすでに生徒会役員は務めていました。生徒会といっても3学年の合計が30名ちょっとしかいない小さな組織でしたが、その際は立候補資格のある全5期のうち、書記、会計といった事務職を経て、最終的に副会長を務めて終わっていました。3年の前期も当然立候補資格はあり、同級生の友人や後輩からは「次は生徒会長をやって下さい!」と声を掛けられたりもしたのですが、その時は上に立って責任を取る勇気を持つことができなかったため、受験勉強に専念するという理由で断っていたのです。
 そうした経緯と決意を秘めて高校生活を送っていた私は、気付けば中学時代と全く同じ状況を迎えていたのです。クラス内でトラブルが真の頻発していたこともあり、1年の前期は静観することに決めました。最終的に、役員を務めたのは中学時代と同様、3期でした。しかし、全く同じステップを踏んでいては会長までたどり着かない。なぜなら、高校3年生の前期はさらにシビアな進路選択に専念すべく、立候補はしないと決めていたからです。そこで高等部では、書記→会計→副会長ではなく、会計→副会長→会長という「昇進プラン」を立てました。
 中学時代に同じ役職を経験しているにもかかわらず、(会長の)下支えの役職から再度トライしたのは、入学早々に気付かされた「同じ学校でも中学部と高等部は全くの別物」という確かな思いがあったからです。また、先輩方に敬意を表す意味でも、高等部での実績がないのに自分が生徒会長を務めるという選択肢は考えられませんでした。
 人数は少ないものの、生徒会の役員はやはり生徒全員の投票による選挙で決まります。当然私の思いだけではどうにもならない部分もあるのですが、有難いことに3期連続で当選することができ、2005年11月(2年生の後期)、先輩からも推薦され、その業務を引き継ぐ形で生徒会長に就任しました。

 私が生徒会長として心掛けたのは、「徹底的に人の話を聞くこと」でした。最初にメンバーに伝えたのは、決して自分が「偉いわけではない」ということ。そして、「まずは皆が何でも意見を言ってほしい。僕の意見は最後に話す」という2点でした。
 こうした発言をした裏には、こんな想いがありました。

「活動をできる限り教師に頼らず、自分たちで主体的におこなっていく上では、その過程で必ず難しい判断を迫られる時は来ると思う。そうした時には絶対に自分1人ではいい選択はできないと思う。最終的な決断は(皆の知恵を総合した上で)自分が行っていくけれども、その時に色々なアイデアがあった方がいい」

「しかし、会長(という肩書き)の自分が最初に発言をしてしまうことで、皆が遠慮してしまい、メンバー個々が想いを言いづらくなってしまうことがあるのではないか。それだけは何としても避けたい」という、強い意思です。

 もちろん、こうした私の考えは日々の活動の中で折に触れて伝えていきました。聞かれた時にはもちろん個別にも答えましたし、大切な話し合いの前にはルールとして、「皆の意見から聞かせてほしい」と言い続けました。私がこうした意識を強くしたのは、(もしかすると)当時のメンバー構成も大きく影響していたかもしれません。
 会長1名、副会長1名、会計・会計監査・書記各2名。全8名のうち、私以外は同級生が1人に後輩6名全員女性という布陣でした。そんな投票結果が廊下に張り出された日、3年生の先輩たちからは「大奥みたい」と激しくイジられましたが(笑)、「役職にとらわれないチーム一丸」の方針は功を奏し、何でも言い合える組織になったのではないかと自負しています。
 唯一の心残りは、結果的に副会長として支えてくれた同級生が、会長への立候補を諦めてしまったこと。彼女とは中学時代から互いに競い合い、切磋琢磨してきた仲だったのですが、「長野には勝てないけど、人の考えに意見するのは得意なんだよね」という突然の敗北、からの共闘宣言によって、私の密かな「高等部全体から白黒つけてもらおう」というもくろみが叶うことはありませんでした。

 とにもかくにも、生徒会長としての半年間の任期を無事終え、有難いことに(再登板の要請まで受けて)惜しまれつつ退任することができました。そして気付けば、高校に入って同じクラスになったM、中学時代には「目が合うだけで睨んでいる」と誤解されていたクラスメイト、Kからも信頼されるようになっていました。
 そんなわけで、中学・高校における生徒会での経験は間違いなく、私を誰よりも成長させてくれました。これは間違いなく友人たちのおかげであり、中学時代の私に魔法の接し方を教えてくれた「恩師」のおかげなのです。


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*生徒会長在任中、真夏のキャンプでメンバーたちに懇願され、なぜかサンタクロースの格好をさせられる私。

確か悪天候で室内レクリエーションに変更になったから、めちゃくちゃ暑かったのよ・・・!(笑)

「とにかく仲間の想いを吸い上げる」というリーダーシップの原点は、桐が丘特別支援学校での6年間にあるのです。

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