利用者と支援者という垣根を越えて
「障害がないから支援する側」 「障害があるから支援される側」
そんな、「する」「される」で固定化された考え方が、僕は嫌いだ。
いや、もう少し踏み込むならば「障害があったって支援(サポート)する側にはなれると思っている。教員免許を取ったのも社会福祉士を取ったのも、実はそうした思いによるところが大きい。
学んできた証を残す(=示す)ことで、まずは“ちゃんとした人”に見られたい、そうなることが対等な土俵に立つためのスタート地点だという思いは、今も少なからずある。
この世間が考える“ちゃんとした人”感というのは少し厄介な気もするので、後ほど述べることとして・・・(笑)
僕のこれまで
僕は新卒で介護事業所に入社した2011年の4月以降、自らの意志で退職を果たす2017年6月を迎えるまで、まさに公私ともに仕事をし続けた(と思っている)。
介護(※当時から僕の意志を汲み、スタッフは皆、“介助”という言葉を使って使っていた)ができない僕は、職場ではもちろん事務を任された。そして、仕事が終わって一歩会社を出た瞬間、その肩書きは「利用者」へと変わり、夜を徹した「自社ヘルパー育成業」が始まるのだ。
1人暮らしを始めたばかりのこの時期はまだ何もかもが手探りだったが、同行者と呼ばれる慣れたヘルパーが付かないことも珍しくなかった。すなわち、全くの初対面であっても強制的に信用して家に招き入れ、自らの取り扱いについて一からレクチャーするのが、僕のもう1つの仕事だった。
ヘルパーとの関わり
なかには未経験者はもちろん、過去に虐待を受けた者や引きこもりの者、外国籍の方もいたのだが、会社の方針もあってそんなことはお構いなし。
当時は心労を感じる暇もないくらい必死だったのだが、本当にあっという間に朝が来た。会社でも自宅でも自社のヘルパーにお世話になるという生活は昼夜問わず常に同僚が居ることを意味する。そんな生活がたたって鬱になりそこから復帰してからというもの、ヘルパーには「未だかつて、家の中での発言がきっかけで(リークされて)首になった会社員なんて聞いたことないから勘弁してくれ(※たとえ愚痴を言っても絶対に口外しないでほしい、の意)」と、ジョーク混じりによく言っていたものだ(笑)
僕はヘルパーと向き合う時、次のことを心掛けていた。それは、「失敗は当然、意欲重視(で人を見る)」ということ。
そのために、
①こちらからオープンに!=安心を与える
②意思(関わる意欲)を見る=見守る
③変化を褒める=失敗はプラスに!
④(失敗の理由を)本人に考えさせる=成長を促す
今も関わる人数は日増しに増えているが、この心掛けは今も変わっていない。
僕は一生、誰かに世話になりながら生きていく。
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