見出し画像

なぜ書くのか?

それは、何にも阻害されないからである。1番自分を表現できるからである。

 話すこと、講演を通して直接伝えることが本当は1番好きなのだが、慣れていない場所や初対面の方々の前では緊張していなくても身体に力が入って咳き込んでしまい、心配されてしまうこともある。
 加えてそうした場では時間が限られていることも多く、思うように声が出せない状態で、終わってみれば伝えたいことの半分も伝えられていないなんてこともあり、その度に悔しい思いをしている。
 一方で相手がいれば強制的に喋らされたり、意見を求められたりすることもあるかもしれない。こうなればもう、受動的と言わざるを得ない。

 その点、書くという行為は(〆切原稿を抱えている場合などを除いては)スピードを求められることがない。時間制限がないのだ。
 リリースするもしないも自分次第だし、文体も自由だから必然的に表現の幅は広がる。
 人がたくさんいる場というのはどうしても「年齢に応じた適切な言葉遣い」というものがつきまとう。それが見られるということだ。
 書くという行為の最大のメリットは記録に残るということ。そしてリリースするか否か、そのタイミングも含めてすべてを主体的かつ能動的に行うことができる。にもかかわらず見返すことができるので、後から表現を吟味しスキルアップをしやすいことも大きな魅力だ。

 もっとも、筆者はこうして書き出すことで嫌いな人に対する愚痴を他者に八つ当たりせずに済むことに最も救われているのだが(笑)

いただいたサポートは全国の学校を巡る旅費や交通費、『Try chance!』として行っている参加型講演会イベント【Ryo室空間】に出演してくれたゲストさんへの謝礼として大切に使わせていただきます。