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『障害があってもできること』ではなく、『障害があるからできること』

 今ではこの考えから一歩前進して、”障害”という枠にとらわれず【僕にしかできないこと】、【自分だからできること】を模索しながら追求し、少しずつ波及させるべくしっかりともがけている実感がある。

 これは、そこに至るまでの過程と、当時の私が見てきた周囲の”現実”を記録したものです。

今ならわかる親の”本音”

「ウチの子は働けるだけでいい」「ウチの子でも行けるところがあるだけでありがたい」 

 これは、特別支援学校卒業を間近に控えた子を持つ親御さんから、よく聞かれる言葉です。私の両親も最初はそう言っていましたが、果たして本当に親御さんの本心なのでしょうか。  
 実はこの「我が子の高校卒業後問題」は、どうやら想像するよりもずっと前から、始まっているようです。

 聞くところによれば、それは小学校入学前から、障害児を抱える親に共通する懸案事項だといいます。高校卒業後の生活までを考慮して、この子に合ったところに導いてくれる学校は何処か、その学校には我が子と同じ障害の子が大学に行った実績はあるか、あるいは、そのような大学とのパイプを持った特別支援学校は何処なのか。こうした判断基準をもとに小学校を決める親御さんも少なくないのです。
 それは、当初「字を書けるかどうかも分からない」と言われていた私の両親にとっても、例外ではありませんでした。実際、将来進学に強いとされる特別支援学校に入学させることを見越して、私が保育園に入園する段階で、埼玉県から東京都に引っ越すという決断をしています。

紛れもない私の”確信”

 さて、皆さんはもうお気付きでしょうか。(子どもの立場からになってしまいますが)「ウチの子は働けるだけでいい」「ウチの子が行くところさえあればいい」というのは真っ赤な嘘だと、私は思っています。親であれば皆(我が子に)少しでもいい学校に行ってほしい、恵まれた環境で過ごしてほしい、と願うのは当然のことです。
 かくいう私の両親も(私が学校生活を歩む)途中で「この子はルーティンワークだけでは満足しないだろう」と思ったのだそうです。
「どこでもいい」と言っておきながら、本心では少しでもこの子のために、と願う。これは、障害の有無など関係なく、子を持つ親に共通の思いではないでしょうか。子どもはそんな親の期待に応えようとしながらも、反抗期を迎えると一際その存在をうっとうしいと感じるようになり、親とぶつかることが多いように思います。
 しかし、私のような障害の場合には(心身の成長が緩やかなこともあり)一般に反抗期とされる時期よりも少し遅く、「高校卒業後の進路」を巡って親と衝突することが圧倒的に多いのではないかと考えています。

 このような仮説のもと、「ならば最初から『障害があってもできること』に特化した視点だけではなく『障害があるからできること』を探していこう(にも目を向けていこう)」というのが、私からの提案です。
 私は「自分だからできること」を模索し続けた結果、講師や執筆といった発信活動に辿り着きました。皆さんもきっと「あなたでもできることがあるよ」と言われるよりも「あなただからできることがあるよ」と言われたほうが、モチベーションは格段に上がるのではないかと思います。
 そして、こうした前向きな姿勢こそ、(障害の有無を問わず)「自分でもできること」ではなく「自分だからできること」を見つける近道だと信じています。

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