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学校教育への熱意と未練

「なんで免許を取ったのか」と聞かれれば、それは学んだ証を残したかったからだ。それはそれは必死に取った資格だった。初めての人に誇れる資格。健常者とまったく同じ条件で取った資格。

10年経って失効したこの春、まさしくそのタイミングでこんな記事を見つけた。

マジか…!?

もともとは「子どもと関わる仕事がしたい!」という素直な想いだけだけだった

難関への挑戦を決意させたのは、純粋にこの想いだけだ。

経験値が少ない自分でも誰かの役に立てるのは、(すでに誰もが経験したことのある)子どもに対してではないか。

たとえ常時現場に立てなくても近い将来、いやこの先もずっと子どもたちのためにできることをやっていきたい。自らのハンデを乗り越えてそんな想いを実現するためには、国家資格ほどのインパクトが必要だと考えた。

ちなみに当時、47都道府県の幼稚園・小学校教諭国家試験の中で、東京都の小学校のみピアノとプールの実技試験がなかったこともその決断を後押しした。頑張ればできるかも!と思えること、スタートラインに立つ権利があるかどうかは人生において大きな意味を持つ。

(※僕には先天的に肢体不自由、脳性麻痺という障害があり、日頃から電動車椅子を使用してる。ゆえにピアノはもとより、自力での25m自由形は文字通り命がけの挑戦となるのだ)

結局この10年、教員という肩書きで現場に立つことはなかったが、それでも関東の小・高・大学を中心にたくさんの機会をいただくことができた。それはきっと「教員免許を持っている」という事実が現場に与える安心感と、先生方との信頼の積み重ねによるものだと信じたい。

ゲストという形だからこそ、毎回新鮮な目で色々な場所にいる子どもたちと関わることができるのは僕の最大の特権だと思う。特に小学校に行けばかなりの確率で「子どもたち、いつもより集中して聞いてました!」と言われることが多い。それが仮に社交辞令だったとしても、彼らの先生方も知らない姿を引き出す一助になっているとしたら、とても嬉しい。

もう1つ、現場に立つという選択をして来なかったのはこの仕事のやりがいと大変さを自分なりにはっきりと自覚し、整理できているから。

「(自分が担任を持った時)もし何かあったらきちんと子どもたちを守れるのか」

こうした問題を解消するため、仮にヘルパーにあたる立場の人と教室に入って行った時、子どもたちはどう思うだろう?と考えた。教室に毎日ちがう大人がいる状況は避けたいし、何より(彼らが落ち着いた環境でなければ)信頼関係は築けない。そして、自身の”障害”を理由に子どもたちの教育活動を妨げることだけはしたくないし、自分が許せない。だからやるとしても乙武さんのように毎日同じサポーターを確保できてから挑戦するべきだ」

そこまでしてやりたいと思えるだけの覚悟があるのか。だから、10年前に出した答えはNoだったのだ。

だからこそ、僕はこのノンフィクションに心から感動したし、心底乙武さんを尊敬した。

僕もこんなクラスを創りたい!と思った。

諦めたのではない(と思っている)。責任の重さを痛感しているから、子どもたちのためを思って諦めたのだ。

でも、挑戦すれば道は拓ける!を謳って活躍していたら舞い込んできたこのニュース…。

はたしてこの先、教育実習の1か月がプロローグになる日は来るのかな…?



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