日記・春に入る

 昼間、ぼんやりしているとまた春の感じを思い出して「春に入ってる」と思ったのでタイトルに使った。体の感覚が勝手に春に入る。春の中にいるような気がする。
 ふと、去年自ら死んでいってしまった人たちを思い出していた。思えばひどい時期だった。ただ悲しむしかなかった。いや、悲しむ余裕もなかった。
 繰り返される"自粛期間"を経て、僕は生きているだけでは生きていけないんだなとふと思う。衣食住が満足であれば家の中で生きていけるのかと思っていたが無理だと思う。
 今だけはと思って自粛という見えない敵と戦ってきたが、それで自分の身や精神を潰してしまったら何になるのか。感染のリスクと天秤にかけられてしまうことに疲れた。
 よくあるトロッコ列車の思考実験と同じ思考を常にさせられているのだと思う。分岐する線路のどちらに連結させても大なり小なり犠牲を生む可能性を孕んでいる。人が死ぬトロッコのレバーを毎日握っていたような気さえしてくる。
 思うに、自分が感染する可能性よりも感染を広げてしまう可能性の方が精神的負担が大きい。ああ、結局誰かの為に我慢していたんだな。その誰かは僕のことを助けてくれるんだろうか。
 春になったら出かけたい。それができるかは今のところ誰かが自粛するか否かにかかっていると思うと悔しい。翻せば人任せのレバーをどちらに引くも望み通りなのか。レバーを引けるのは生きている間だけだ。

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