家出記念日

 昨日の夜、もう諦めて東京へ車で一っ飛びしようと思っていたことも今朝目が覚めると既に忘れていて、だらだらと午前中を無下にしている。12月はクリスマスと大晦日以外オマケのような月だと思い込んでいた時期もあったが、ここ数年12月が誕生日の人と知り合って、僕にとってはオマケだった日は誰かの大切な一日だったと知る。一年を通して誰かの誕生日であるその日々は誰の誕生日か否かにかかわらず平等のような気もするが、実際は12月24日あるいは12月25日ないし12月31日という日付はかなり強いカードで、大多数の人がその日付の意味を共有している。個人的には6月21日と12月21日はかなり強い方のカードに入るのだが、夏至や冬至だからといって仮装したりプレゼントを用意したりしないので経済活動的に弱いのだと思う。
 日付に意味を持たせると年に一度はそれを思い出すきっかけになるので、たとえば有名な短歌になぞらえて今日は何々記念日と銘打ってみたらオマケだと思っていた日に明かりが灯るかも知れない。久しぶりにコーヒーを淹れたので12月27日はコーヒー記念日、これはやっぱり弱いしコーヒーはコンビニでも買えるから年に一度無理矢理リマインドしなくても良いと思う。
 個人的に言えば6月8日は学校の授業を無断で休んだ日なので家出記念日だと思う。どうしても学校に行く気も家にいる気も起きなくて始発で東京行きの電車に乗って1泊したのち帰ってきた。とりあえず山手線に1周乗っていようと思って耐えられず中野で降りたのを覚えている。秋葉原の辺りをふらふらしているとちょうどその日は通り魔事件が数年前に起きた日だったので報道陣が多く騒然としていた。外国人に「これは一体なんなんだ?」と英語で聞かれたがうまく説明できなかったのを思い出した。そのまま歩いて上野に辿り着くとコンビニの前で発泡スチロールの蓋を上向きにして男が不動のまま土下座している。蓋の上にはいくつかの小銭が置かれていて、僕はなんの気なしに百円玉を置いた。ものが置かれた気配を察したのか男の垂れた頭が動くのが見えた。こういう生活もあるのだと思った。今度はまた別の外国人に京成上野駅の場所を聞かれたが全く場所が分からないので目の前の交番に尋ねたところその交番の真裏が京成上野駅だった。なんだ目の前にあるじゃんか、と思いながら東京の公共交通機関の分かりにくさを思ったりした。
 その後にも上野公園で民族音楽を聞いたり夕方から入園チケットが安くなる舞浜のテーマパークに行ったのを思い出した。その頃は携帯電話を持っていなかったのでいま思えばよくそこまで自由に行動できたと思う。東京を歩くのもほぼ初めてだったので自分の頭の中にない地図の上を歩く気分は最高だった。もう学校へ行かなくて良いのだと思うと全てが自由だった。言い知れない解放感にその日の夜、やはり家に帰らなくてはいけないと思い立った。昼間見た土下座する男の姿が思い浮かんだ。あの生き方で生きることもできるが、その選択肢を取るにはまだ早いと思った。自分で選び取ればどれくらいの自由が手に入るのかが分かったからだ。翌朝、昨日のコンビニの前を通るとその男の姿はなかった。
 いまのいままでまるっきり忘れていたが、そういうこともあったのを思い出した。いまは自分のお金や車で自分が決めればその範囲で自由に自分を連れ出すことができるが、そうではなかった頃を思い出して、恐らくいまの子どもも似たようなものなのだろうと思ったりした。そういう子どもを僕は救ったり手を差し伸べたりはできないし、それに家出は全くおすすめしないが、最悪の手を選ぶよりもいくらかマシな選択肢を見つけてほしいと思う。

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