日記・クイズと学校

 今日、学校で先生に当てられた時になんであんなにすぐ答えなきゃいけないと思い込んでいたんだろうとぼんやり思った。誰も10秒以内に答えろなんて言っていないのだ。勝手に当てて勝手に時間制限を設けられて、あの前提はなんだろうと思ったらテレビのクイズ番組なんじゃないかと僕は思うのである。
 先生のやり方にもよるが、あれは中々緊張が走っていた。少なくとも僕は他人が答える時も緊張していた。その日の日付を足してみたりかけてみたりと様々な組み合わせを考えて多分自分は当たらないだろうと思うと飛び道具的に「じゃあその後ろの席の」と言い始めて、僕は「ルール違反じゃないか!」と胸の内で叫んだ。落ち着いて考えれば分かることもルール違反が頭の中に先立って反応が3秒遅れる。
 3秒間眠っている訳じゃないんだから、カウントダウンの目で見ないでほしい。話を聞いていることとクイズに答えることは似ているようで全然違う所作なのだ。少なくとも僕の中では違う。沸き起こりそうなクイズの答えを予想しながら話を聞くのはかなり疲れる。勉強しておけば分かるクイズなのは知っているけれど、どうか3週間前の単元の話を蒸し返さないでほしい。安土桃山時代は秋に置いてきたはずだ。世は既に文明開花だ。西洋文化の話にかまけてキリスト教伝来に話を戻そうとする。早く大正ロマンに浸りたいのに。
 そういう時に限って教科書を3週間前のページに戻して読み返す余裕がない。いや実はその答えは別冊の便覧(あるいは資料集と呼ばれる類いの本)にしか載っていない細かすぎるネタで、教科書のページをめくる音だけが無残で耳障りだ。
 でも僕はその時、少しも惨めじゃなかったはずだ。勝手に当てて勝手に時間制限を設けて、それは僕の都合とは全く違うルールだった。僕は50分耐久勝負で話を聞いている。時間切れはつまり僕の勝ちのはずで、それを全くひっくり返すとはおかしな話だ。問題によってルールが変わるのもなんだかクイズ番組らしくて、やっぱり学生の頃の僕はクイズ番組を呪うべきだったのかもしれないといまになって思う。

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