金魚鉢の雪

 雪の少ないこの辺りでは珍しく吹雪のような夜に、怖いもの見たさで窓を開けた日から部屋の中で雪が降っている。ふれると冷たいが溶けることはない。綿の端切れのような形をしていて部屋の中を舞っている。最初こそ見ていて面白かったが何かにつけて視界に入ってきたり時々首筋を撫でて冷たいので、昔使っていた少し大きめの金魚鉢を持ってきて部屋の中の雪をそこへ集めた。上からラップで蓋をした。金魚鉢の中で雪が漂っている。
 雑貨屋を営む友人にその話をすると見てみたいと言う。その雑貨屋に置いてある小瓶を一つ貰って、金魚鉢から雪を三粒そこへ入れた。ふれるとやはり冷たいが溶けることはない。
「これは確かに雪のようだが、見ただけではこれが雪だと誰も信じないだろう」
 彼はそう言って小瓶の蓋を開けた。一粒、雪を手のひらへ取り出す。すると雪は彼の手のひらの上で溶けてしまった。
「なるほど、これは確かに雪だ。しかし溶けてしまえば雨と同じだ」
 小瓶の中で残り二粒になった雪を彼は見ていた。雪が溶けてしまった。私がふれても溶けなかった雪がたやすく水になってしまった。
「私の手にふれてみてくれ」
 私は彼に言った。雪にふれて溶けないくらい私の手が異常に冷たいのではないかと思った。
「冷たいか?」
「いや、温かい」
 彼の手は私の手より冷たかった。そして、みるみる冷たくなっていく。目を見張っているうちに彼の手は雪のような冷たさになってしまった。彼もそれに気づいたのか手のひらを自らの顔に当て、あまりの冷たさに驚いたようだった。雪の温度が手のひらに染み入ったのだと思った。
「これはじきに治るのか」
 冷え切った彼の手を温めるように両手を添えながら私は分からないと言った。彼の手は雪のように冷たいこと以外何ら支障はないようだったが、明日になれば元に戻るのか、死ぬまで冷え切ったままなのか、彼はそういった不安を私に訴えた。私は彼に対して何ができるのか分からなかった。
 翌日、雑貨屋へ行くと何事もなかった顔をして彼が店に立っていた。彼が言うには風呂に入ったら治ったそうである。温泉成分の入った粉末が効いたとも言っていた。
「もし次に似たようなことがあれば、これを使うといい」
 彼はそう言って粉末が入った袋を渡してきた。五袋で千円だと言う。昨日の雪の顛末を思い出して買ってやった。湯船に入れると白い濁り湯になるとのことだった。余計な物を買わされたような気がする。
 金魚鉢の中の雪は相変わらず漂っている。これをまた部屋の中へ放つこともできるし、五袋千円の粉で作った濁り湯を注いでみれば全て溶けてなくなってしまうかも知れない。漂う雪は何も知らないといった風で金魚鉢の中を泳いでいた。

もしよろしければサポートお願いいたします。