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HB-101の無敵感を考えれば諸行無常も消し飛ぶのでないかい?



花の色はうつりにけりないたずらに


わが身世にふるながめせしまに


そんな小野小町の和歌を添えた書簡をいただき、誠に恐縮の至りであります。添付されたドナルド・キーンさんの英訳がまた、英語が達者でない俺が読んでもこの歌の三十一文字に込められた様々な意味を余す事なく伝えようとしている素晴らしい訳だと思いました。いや、俺自体は中学生レベルの英語しか使えませんけどね。


とはいえ、小野小町しかり、喜撰法師しかり、さらには後の西行にしてもそうですが、世の無常を歌にする風潮がこの時期はあるんですよ。和歌以外にしても平家物語なんかは壮大な無常感なわけで。


子供の頃に正月は母方の祖母の家に集まるのが風習で、そこで従兄弟たちや叔父叔母たちと百人一首をするのが恒例の行事でした。
祖母も祖父も子供用のカルタ取りをさせてはいましたが、百人一首はメインイベントとして必ず行い、そこには少々の手加減はあっても、基本的に百首のうちいくつ覚えているかが勝負、という大人も子供も関係ない真剣勝負が毎年のように繰り広げられていました。
それで好成績を残してどうなるということもなく、子供が勝てば悔しがる大人の顔を見て優越に浸り、大人が勝てば年の功を誇る、という実にたわいのない行事でありました。

カルタを読むのはいつも祖母で、子供や孫たちが上の句を読んだだけでカルタを取ると上機嫌。下の句を読み上げても取れないでいると「ほらほらどうしたの?案外手元にあるのよ!」と発破をかけてくれたりしたのを覚えています。
時には自分の得意な句が出ると読み手である事を忘れて上の句を読んだその瞬間に札を取りに行き、ご満悦になるような、そんな無邪気な婆さんでした。


父方の祖母は同居しており、こちらは母方の祖母と違い、裁縫と家事全般の鬼のような性格をしており、勉強の成績に口やかましく言う人でした。しかし、それは女学校をでてすぐに嫁入り修行という名の奉公働きに出されて、親の言われるまま結婚をしてきた女なりの子供たちに学問を身につけさせたい、という一心の思いがあったのだろうと思います。
学問に精の出ない俺などは、この祖母から何度となく殴られました。兄や妹と喧嘩になれば間違いなく学校の成績の悪い俺が悪い、と理由も聞かずに裁縫ようの三尺物指で殴られたものです。
時には、タバコの火を押しつけられたこともありました。沖縄で言うヤーチュー(お灸)ですね。根性焼きのように激しく長時間押し付けるようなものではありませんでしたが、あれはまぁ、どう考えても虐待以外の何物でもないんですけど、彼女の人生経験では、指導はああいう形でしか出来なかったのでしょう。

子供の頃に理不尽で嫌悪感しかなかった父方の祖母ですが、向こうも歳を取り認知症になり、こちらがサポートする側になると考え方が変わりました。彼女がどういう人生を歩んできたか、ということを、様々な人たちが教えてくれるようになったのです。金のない武士階級の家で生まれ、学問を続けたかったが奉公に出され、嫁いだ家で姑にいびられる。そんな、祖母の人生を知ることが出来たことは、今の俺を作る上で大きな財産になりました。
その結果が、今のリハビリテーションという仕事に繋がるわけで、老いる祖母の姿というものが自分の未來を作ってくれたわけであります。


では、母方の祖母はどうだったかというと、こちらは音楽教師だった経歴を活かして老後は様々な音楽サークルを歴訪し、遠出ができなくなった九十歳を過ぎてからも家でピアノの練習を欠かしませんでした。脳梗塞で倒れた後も、グループホームで生活しながらも、差し入れられたエレキピアノを引き続け、一緒に生活する入所者の誕生日のピアノ係を務めました。
最終的には寝たきりなりました。他の家族がどう思ったかは知りませんが、ただ、俺はよく愉しんだ人生だった。そう思っております。愉快な人でした。

そういう意味で、老いというものは避けては通れないもので、それを悲観するのではなく、前向きに生きるしかない、という事を俺は二人の祖母から学びました。
だからといって、俺とあなたの人生は違います。そこで、提案をしたいのが、沖縄の南部のジジイたちの厚かましさと自由さです。

HB101は沖縄農業の誇り

ヨーリーも書いていたように、あの“HB-101”という農薬の帽子。あれを仕事でも遊びでもカジュアルでもフォーマルでも使いこなすという、あの自由さです。
下手すればあの人たちは葬式でも被って来ますよ。当然!家族が車から降りる時に脱がせますけどね。

そんでもって、社交場のスナックでは、孫の服とか勝手に着て、目一杯のオシャレするけど、頭は“HB-101”の帽子という、素晴らしいミスマッチでオリジナルな風貌の人たちが結構いるんですよ。

“HB-101”じゃなければ“ヤンマー”とか“KUBOTA”とかね。あれ、ってある意味で誇りだよなぁ、とか思うんですよ。

帽子以外を孫の服で身を固めた沖縄のオジーのフル装備。孫のセンスに老いては子に従えだけど、これだけは譲れない“HB101”のキャップのこだわり

「わんねーはるさーやしが(俺は農業だけど)」

「わんねーうみあっちゃーやしが(俺は漁業だけど)」


そういう自分の稼業に対する誇りみたいなもんじゃないのか、と勝手に思っております。東映時代劇の看板の人が普段から「山田かつら」とか書いてる帽子とかジャンバー着てたら最高にカッコいいじゃないですか。それを年寄りがやってるからこその味ですよ。

もう、年寄りにできることは瞬間最大風速の風を起こすことではないと思います。じわーっといい風吹かせる。それが沖縄のジジイが、オシャレこいて孫の服着てるけど頭には“HB-101”という、アンバランスの妙にあるんじゃねーか、と勝手に妄想しております。

くれぐれもお身体に気をつけください。愉しく、笑って、無理をせずよう。


恐々謹言

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