見出し画像

大切なものは刺青のように残る


外間守善さん、と呼んでいいのかどうか迷うところです。それは、外間守善さんの残した業績があまりに大きく、“巨人”とよぶに相応しい人物だ、と思っているからです。
俺もヨーリーと同じく外間守善さんのことは戦争体験記などでその存在を知っている程度でした。しかし、その体験記は、妹さんや兄を戦争で亡くされ、自身は沖縄戦の最激戦区であるハクソーリッジの攻防戦という、凄まじいもので、戦後の捕虜収容所での宮城嗣吉に関する豪快なエピソードなども含めて面白く読んだことを覚えています。
しかし、外間守善さんの本業の世界については全く手付かずの状態で、そんな中でヨーリーの“沖縄スタディ”なる活動が始まり、そこに引きずられる形で外間守善さんの著作を読むようになり、今に至るわけであります。

外間守善さんが研究し、遺した著作には、沖縄の「言葉」があり沖縄の「文化」があり、沖縄の「歴史」があり、沖縄の「信仰」について深い考察がなされていました。
それは、沖縄で生まれて四十年以上経つのに知らなかったことばかりでした。
しかも、それが平易で簡潔な文章でしたためられていたことに驚きました。学術的な話なのにわかりやすい。その文章から外間守善という人の性格が滲み出ているようなきがしました。

わからない人間に優しく、わかるように教える。

そんな外間守善さんの人柄のようなものが文章の隅々に満ち溢れています。どういう表現をすれば理解してもらえるのか?そうした「沖縄」や「琉球」といった物事を言語学者という枠を超えて沖縄の外に発信していた努力の痕跡が、軽やかな文章で表現されていることにこの人の凄みがあると個人的に思っています。

上皇陛下に琉歌の指導をしていた、というエピソードもまた面白いですよね。自身は沖縄の出身で、沖縄言葉を日常生活で喋ると「方言札」という木札を首から下げないといけない罰を受けていたはずなのに、その沖縄言葉を使ったポエムを日本の象徴にレクチャーしていたわけで、まさに沖縄文化というものを外部に発信していた開拓者なわけであります。
そしてそれは、伊波普猷という、「沖縄学」の始祖から受け継いだ学問を、多くの人たちに噛み砕いて広げたインフルエンサー的な立ち位置であったのではないかと考えています。

そんな外間守善さんのことを沖縄県民である俺がヨーリーから教わることになるなんて、不思議な感覚に陥りました。しかし、それは、伊波普猷が沖縄学の本質である琉球の神歌「おもろさうし」を、東京帝大の先輩の田島利三郎からレクチャーされたことを知り納得しましたよ。
結局、沖縄学というものの本質は、沖縄県民が忘れた頃に外部の人間が発見する、という過程が繰り返されてなりたっているのです。
外間守善さんですら、岡本太郎の「沖縄文化論」を読んで衝撃を受けたと記しています(そこには、岡本太郎の人柄から受ける“傲慢な印象”とはかけ離れた文化人類学的な深い考察とのギャップも含まれてるのですが)。
我々沖縄県民は、自分の立ち位置や本質を他所人から指摘されないとわからないような所が本質的にあるんじゃないでしょーか?
そういう意味で、ヨーリーのツイートから外間守善さんの著作の再評価の機運が高まり、遺作である「沖縄の食文化」が再発行された、ということはまさに沖縄学的に実に正しいことなのではないか、と思っている次第であります。

話は変わって、「ハジチ」つまりは沖縄の昔の女性たちが手に施していた刺青について話を進めます。
ヨーリーが「南島針突き紀行」を購入したと聞き嬉しく思っております。あの本で描かれていたこと、記録されていたこととは、南方の野蛮な風習ではなく、「ハジチ」という痛みや負荷を伴う行為を、なぜその人が選択したのか?という、それぞれの理由が細かく聞き取られているからです。
奄美大島付近、沖縄本島付近、宮古付近、八重山付近、それぞれの島で微妙に異なるハジチのデザインの違いこそが、文化であり生活の本質を描いているのです。
そのことが如実に表れているのが宮古島のハジチでしょう。沖縄本島のハジチが弓と矢、月と星、という信仰にまつわるデザインなのに対して宮古島のそれには「箸」がモチーフのデザインがあります。つまり、食べるものに困らないように、という切実な願いが込められたデザインです。
さらに「ハサミ」や「杼」といった機織り道具のデザインもあります。宮古島では沖縄本島では考えられない税率の人頭税があり、宮古で織られる上布も租税対象でした。
ですから、機織りが上手くなるよう願いをかける、という想いがあの可愛いデザインに反映されているのです。

ハジチを歌った琉歌のなかにこんなものがあります。

「夫欲しゅも一時 妻欲すも一時
あやハジチ欲しゃや命かぎり」

つまり、伴侶を欲する気持ちよりも手に刺青を施す気持ちの強さを歌っているのです。
そこまでしてなぜハジチが欲しいのかというと、信仰であり、文化のためです。来世の幸せや死後の世界で先祖と会うため。そんな想いのために施すのがハジチの本質だったようです。
しかし、ハジチをした老女を見ることもなくなれば、こうした書籍からしかその背景を知ることができません。そういう意味でヨーリーの手にした「沖縄針突き紀行」は貴重な書物なのです。

貴族も平民もしていた。それがかつての沖縄では当たり前だったハジチ。日本で言うとお歯黒かな?


そして話は戻りますが、外間守善さんという人のしてきたこととは、ハジチの意味を後世に伝えるようなものではなかったかと想うのです。
現在ではその意味すら忘れ去られている言葉や文化、信仰について考察し、わかりやすく提示する。それは、本来肌に刻み夫や妻よりも欲しい、大切なアイデンティティであるハジチのように心に刻むべきものなのだと思います。

ハジチの痛みに耐えられるのは、信仰や文化といった自分の根幹にまつわることだからです。
伊波普猷の発見した沖縄学をさらに噛み砕き、発展させた外間守善さんの存在を、沖縄県民はハジチのように肌に刻み込むべきなのではないか、と思ったりもしますが、それは所詮俺の感傷でしかありませんね。

とはいえ、一度絶版になった書籍を甦らせたヨーリーは、失われた活字を復活させたわけで、それはインクを肌に刻むハジチのように、紙にインクを染み込ませるという旧式文化の活字で外間守善の著作を甦らせたわけだから、非常に痛快な思いです。
「ハジチ欲しゃや命かぎり」とは、先ほどの琉歌にありましたが、貴女は外間守善さんの生前発行された書籍をよみがえらせたのですから、命かぎり以上の仕事をしてしまったんですよ。
ホント大したものですし、県民としてはとても感謝しております。手の甲にヨーリーのイラストをハジチしたいくらいですね。とかなんとかばかなこと考えている今日この頃ですが、東京はまた寒さ厳しいと聞き及んでおります。お身体にきをつけて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?