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100日後に年越すオレ 97日目「せ:関ケ原」

”いろは順”エッセイの四十六日目、本日は”せ”です。

"せ”で選んだ題材は、「関ケ原」。言わずとしてた1600年に天下分け目の合戦が行われた地です。

関ケ原の戦いについての歴史的な解説は多くのサイトに譲るとして、20年前に訪れた関ケ原400周年記念イベントの思い出話などを中心に書いてみたいと思います。

関ケ原町は岐阜県の西端に位置する街で、車のナンバーで「関ケ原」ナンバーがありましたよね。って書いてたんですが、改めて調べてみるとそれは存在しないようで。果たして20年前の僕は何を勘違いしていたのか・・・。僕の記憶では完全に「関ケ原」ナンバーがあるという認識だったのですが。誰か分かる人居ますかね? 地元でそれをしようとしてダメだった、とかかなあ。

さて20年前の2000年に行われた関ケ原400周年イベント「関ケ原合戦400周年祭」には、それこそネットの歴史チャットの仲間たちと一緒でした。当時よく顔を出していたチャット仲間が全国から集結するというオフ会で、僕は大学で上京していたので、とある人の車に乗せて貰い、東京から高速道路で関ケ原まで向かったことを思い出します。深夜のサービスエリアで食べたラーメンとか、断片的な記憶ですが・・・。

確か皆で関ケ原ウォーランドに行って、色んな武将の人形と写真撮影をしたり、参加した50人強での記念撮影をしたりと、なかなか満喫した思い出があります。イベントでは甲冑を着た武将たちの行列や本物の火縄銃を使ったものがあり、生の迫力に驚いた記憶もありますね。
当時のことを調べたら紹介したページがありました!

しかしこのオフ会でも感じたんですが、全国から集結して東西に分かれて戦う、というのも面白いですよね。まあ今だから面白いなんて言ってますが、当時の武士たちにとっては本当に死活問題。有名どころだと真田家などが家を守るために東軍と西軍に分かれて戦って、何とか生き残ったわけで。

もちろん西軍について家が潰されたり、もっというと行きがかり上で西軍につくことになってしまった島津家など、不運だった武将も居ました。そう考えると本当にイチかバチか、というところですね。正に生死を賭けての合戦。しかも自分だけじゃなくて家の存続に関わるのだから大変です。そういった意味では、各家ごとにストーリーがあるわけですね。関ケ原だけじゃなく全国各地で東西に分かれて戦ったわけなんで、この「関ケ原」は、深掘れば深掘るほど面白いんですね。単純な勝敗ではなく。

そんな関ケ原、今ではTwitter上で毎年展開されてますので、そういう意味では誰かに肩入れして9月15日を迎えてみるのも面白いと思いますよ!

【関ケ原を題材にしたオススメ作品】
・群雲、関ヶ原へ(岳宏一郎)
今回のこの流れだと最も向いている作品。各武将がどのようにして関ケ原に至ったか、ということをそれぞれに掘り下げていて、正に「各家ごとにストーリーがある」ということを実感できます。




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