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100日後に年越すオレ 77日目「の:呑兵衛」

※昨日(12/9)寝込んでしまって全く更新出来なかったので、12/9投稿した体でお送りします

”いろは順”エッセイの二十六日目、本日は”の”です。

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"の”で選んだ題材は、「呑兵衛」。僕は自他ともに認める呑兵衛だったりします。

改めて「呑兵衛」の定義って何でしょうか。この毎日エッセイでも良く利用している「広辞苑(第三版)」から引用してみましょう。

「のんべえ」大酒のみ。のんだくれ。のみすけ。

まあ、予想通りというか一般的に使われているのとほぼ変わらない感じですよね。ただ、ネットで面白い見解を見つけました。言語学者である小島剛一氏のブログです。

個人的にはあまり「呑み助」という言葉を使っていないのでわずかな違いは分からないんですが、少なくとも「呑兵衛」と「呑んだくれ」を比較して「呑んだくれ」の方が侮辱度が高い、というのはイメージがわきますね。ちなみに僕の手元の「広辞苑(第三版)」ではこうです。

「のみすけ(呑助・飲助)」酒を好んで飲む人。のんべえ。
「のんだくれ(飲んだくれ)」①ひどく酔っぱらうこと。また、その人。②おおざけのみ。大酒家。

うむむ。ぐるぐると循環してる感じがありますね💦しかしこれを見ても「のみすけ」=「のんべえ」、「のんべえ」=「のんだくれ」=「大酒のみ」、「のみすけ」≠「のんだくれ」という図式はわかります。そういう関係性を見ていくと、やはり”酔っ払い度”という観点では「のみすけ」<「のんべえ」<「のんだくれ」という感じに整理できそうです。少し分かりやすく、3つの言葉を並べてみましょう。

「のみすけ」酒を好んで飲む人。のんべえ。
「のんべえ」
大酒のみ。のんだくれ。のみすけ。
「のんだくれ」①ひどく酔っぱらうこと。また、その人。②おおざけのみ。大酒家。

こうやってみると、酒を好んで飲む人は「のみすけ」と「のんべえ」、大酒のみは「のんべえ」と「のんだくれ」、ひどく酔っぱらうのは「のんだくれ」という整理も出来そうですね。そういう感じでまとめると、前述の小島氏の見解が正しいように思います。

翻って自身について考えてみましょう。酒は好んで飲んでいて、結構な量を飲むので大酒のみ、ただひどく酔っぱらうことは少ない。ということは「のみすけ」であり「のんべえ」ということですね。ただ、やはり「のんべえ」にも侮辱的な要素が含まれていることは、ネットで色々な解説サイトを見ていると感じます。例えば、

「のんべえ」の意味は、お酒が好きな人、いつも飲んでいる人のことを表す言葉です。
人の名前のように言ってお酒が好きな人のことを表す言葉で、類語としては「のみすけ(飲み助)」などもあります。
とは言え、この言葉は「だらしなくお酒を飲んでいる」といったイメージも併せ持ちますので褒め言葉ではないと理解しておくといいでしょう。

といった解説があったりします。うーん、ますます小島氏の見解の正しさが補強されたような・・・。

まあとはいえ、自分自身で言う分にはいいのかなという気もしてきました。というわけで改めて自分は「呑兵衛」だし、飲み仲間たちは「呑兵衛仲間」だと言い続けたいなと。まあ飲み仲間とは気の置けない仲なわけで、そういう仲間内での「呑兵衛」は少なくともネガティブな印象は持たないだろうし、何なら全員自分のことを呑兵衛だと自覚してる気がするし(笑)

結論としては、「この呑兵衛!」「オマエモナー」と言い合える仲が「呑兵衛仲間」であり、”親しい友”だと言えるのだなあ、という感じです。


最後に、「酒」に関連する話題をいくつか。

僕の大好きな言葉の一つに、「酒逢知己千杯少」というものがあります。これは漢詩の中の一節で、意味としては”親しい友達と飲む酒は千杯でも少ない”というもの、酒を友と飲みかわすことが大好きな自分にとっては、とても納得のいく言葉であり、また大切にしたい言葉でもあります。


二つ目のネタとしては、戦国武将の話しを。戦国時代にも多くの酒飲みが居て、また悪いことに「武士たるもの酒豪であれ」的な考え方もあったようで、腕に自信のある武将たちは良く酒飲み比べをしていたのだとか。

そんな戦国時代においての「酒」に関するエピソードで最も有名なものの一つが、福島正則と母里太兵衛の対決でしょうか。

”賤ケ岳の七本槍”の筆頭として、豊臣秀吉子飼いの一人だった福島正則の家宝の一つが”名槍・日本号”。足利義昭→織田信長→豊臣秀吉と譲り受けてきた逸品。その日本号を母里太兵衛が”呑み取って”しまったわけですね。以下、解説サイトに詳細が載っていますが、顛末としては「酔っぱらった福島正則が使者として訪れた母里太兵衛に酒を進めるも断られ、意地になった正則が太兵衛の主君である黒田家を馬鹿にし、大杯で飲み干したら何でもあげようと約束。そうして太兵衛が見事呑みきり、その褒美として日本号を譲り受けた」というものです。

まあ、このエピソードは勝った母里太兵衛よりも、翌日に素面に戻って大慌てとなった福島正則に愛着を持ってしまうんですがね・・・。ただ福島正則は他にも色々ありまして、中でもこの話は笑えません。

ある日のこと、彼は朝から酒をくらって上機嫌であった。ところがある家臣の諫言が気に障り、ふとしたことから口論となり、退がらせた上で別の家臣に「あやつの腹を切らせよ、そして首を持って来い」と酒の勢いで命じてしまった。 事情を知った当の家臣は即切腹してしまった。さて、しばらくして酒の酔いも醒めた正則は何喰わぬ顔で切腹した家臣の名を呼んだ。周りの面々は驚き、切腹して果てた旨を告げたが彼は信じない。 そこで首を正則の前に持ってくると、その首を見るやいなや号泣して詫び続けたという。

さすが戦国時代、お酒での失敗も現代とはレベルが違いますね。でも絶対嫌だけど。部下からしたらたまったものじゃないでしょう・・・。


最後の最後に。「呑兵衛」な身としては、このコロナ禍は本当に寂しい限り。そういう気持ちを込めて書いたこちらを是非。


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