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「丁寧な暮らし」を冷笑してたよなあ

丁寧な暮らし する時間がない ! 

ヨガをしたり、お花を飾ったり、瞑想をしたり、おかずを丁寧に飾ったり…

自分にはそんなことをする余裕がないな、余裕がある人は、いいな 
なんで自分はこうなんだろう 苦しいな
もう既に"持ってる"人の特権だなって思ってた
そりゃあ、豊かに暮らせるでしょうよ。【任意の丁寧な暮らし】をできるんだもん。

と、どこかで思っていた
現状にすごく焦っていて、足りないものばかりがピックアップされた

何年もそんなことを思ってしまう自分も愛せなかった


考えが変わるきっかけは、突然だった。
夜に部屋でヨガをしていたら、ふと「自分はもう満たされている」とふと気がついた。

人生は死ぬまでの暇つぶしである とどこかで聞いたことのある言葉を思い出してみる
暇つぶしであるなら、急がなくていい
ゆっくり行いたいならそうしたらいい
自分は何を焦っていたんだろう

そうしたら、"ゆっくり"アンテナみたいなものが立ってきて、いろんなことを味わうようにゆっくり行うようにした

ある日 おかずを丁寧に作ったら、とっても美味しくできた
こんにゃくを1cmくらいの立方体に切って、それを対角線でさらに切って三角形にしたものと、エリンギを同じくらいの大きさに乱切りしたものを用意して
油で炒めて水分を飛ばし、醤油やみりんや鷹の爪を入れて炒める
一つ一つの工程を、きもち速度を落としてゆっくりやる

竹内まりやの 毎日がスペシャル を聴いて、その歌詞に感化される

時間に余裕があるから丁寧な暮らしをするのではなく、
余裕がない中でも時間を取って丁寧な暮らしを真面目にやるということだったみたい。
それにやっと気がついた。
そしてそれは諦めるということでもある。

立ち仕事をして疲れ果てた夜に、20分足のマッサージをすると、次の日の自分が楽になる。
丁寧な暮らしを行うのにも、結構固い意志が必要なんだなあ
やろうと思わないと、やれないことばかりだ


全然映えないから撮影する気が失せてたvlogも、再開できる気がする
足りない物は多い気もするけど、本当は足りないものなんてない
現状を受け入れて、愛して生きることを以前よりは知れた気がする


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