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ガソスタの思い出

天気が良いので近所を散歩していたら、ガソリンスタンドがあった。車社会ではない場所に住んでいるので、街に溶け込むように存在するガソリンスタンドを久しぶりに見た。そして、かつて実家の隣に、ガソリンスタンドがあったことを思い出した。

経営元が数年おきにコロコロ変わっていて、オレンジ色の横顔のようなロゴになったり、貝殻のロゴになったりしていた。色だけが塗り替えられ、本来の構造はいっさい変わらないまま。

そのガソスタからは、ずっと音楽が流れていた。ラジオみたいに流行りの音楽がずっと流れていて、家にいる時にベランダをカラカラと開けると、音楽が聴こえてきた。家にいるだけでは耳にすることのない音楽が流れていた気がするのだけど、何が流れていたか覚えていない。

夜になっても音楽が流れていたから、夏の夜とかに窓を開けると音楽がつらつら〜っと聴こえてきて、すごく開放感があっていいなと思っていた。晴れた日の夏にカラカラとベランダを開けて、晴天をぼーっと見つつ音楽に身を委ねるのも好きだった。

夜も音楽が流れ続けることにくわえ、24時間営業だったため常に明るい状態だった。いま思うと、実家のカーテンはかなり遮光するものだったのだろうと思う。夜に人工的な光が強く光って音楽が流れていると、まっくらな世界の中に人の気配を感じることができたので、個人的には好きだった。人工的に明かりがついているからこそ、妖しく魅惑的に見えた。

しかし、あるときから音楽がなくなる時間帯があった。どうやら、近隣の人がうるささに業を煮やして、クレームを入れていたようだった。今ならば、確かに日中働いてふぅと家に帰ってきて寝ようとしたら、カッと眩しい光に漏れ聞こえる音楽は嫌だよね…と思う。

しかし、そういう環境で生まれ育ったせいなのか、そのことの何が悪いんだろうと当時は思っていた。子供だったから自分ひとりで出歩くことができず、外の世界をゆるやかに知れているような気分になっていたせいもあるのかもしれない。自分はこの家から出ることができる範囲は限られるけど、流れてくる音楽は場所を問わずに聴くことができるから。

実家を離れてから数年後、用事があり久々に実家に帰ったところ、隣のガソスタは消えて更地になっていた。思い出がひとつ消えてしまったなと思ったが、車を使う人も減ったのかも知れないし、クレーム対応とかが思ったより大変だったのかも知れないなと思った。

…といったことを、散歩中のガソスタをみて走馬灯のように思い出した。最近は何かを見ると過去を思い出すことが多くて、このまま自分が消える予兆か何かなのかと思い、すこし怖い。でも、思い出は美化されて綺麗なのもあり、思い出すと胸がじんわりしてあたたかな気持ちになる。

この環境で育ったから野外で音楽を聴くことが好きで、夜でも人工的な明るさが絶えず騒音も絶えない場所にいると、ほっとして安心するのかも知れない。繁華街の近くに住んでいた頃、治安もあまり良くないしうるさいしいつまでも明るいけど、誰かがいる安心感があった。住宅街は人の気配を感じないし夜はしーんとしているから、今でもあまり得意ではない。

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