冥王星と冥王星のアスペクト

 “ネイタルの金星とトランジットの金星”や、“ネイタルの木星とトランジットの木星”など、同じ惑星がアスペクトをとる時に何か深い意味が発生しないだろうか?と、ふと考えました。

 ネイタルの惑星とは、現在はその位置にはないけど“かつてそこに在った”ということに意味を持たされている感受点のことです。この意味の発生を起こすには、人間の世界での大きな出来事が必要です。例えば国家が成立するとか、新しい企業が設立されるとか、驚くような発明(原子爆弾とか、そのレベルのあまりに大きな発明)がなされるとか。

 そして最も代表的なものは、ひとりの人間が生まれた瞬間です。人間がひとり生まれるたびに、それが誰であろうと、空の上の星々に大きな意味が付加されると私は考えています。人間の命が星に影響を与えるのです。

 人類の長い歴史の中で、星の巡りはたびたび人間に影響を与えてきました。私たちは、星と星をつなげて物語を作ったり、星と星の角度を見て吉凶を占い一喜一憂していた人々の子孫です。でも、逆に人間の方が星に影響を与えることもあり得るのでは?と思い立ちました。

 例えば、冥王星の発見は1930年でしたが、冥王星がすべてを飲み込む破壊と再生の星としての地位を得たのは、人間が見つけ、人間が名付け、人間が意味を与えたからでした。発見されるより遥か昔から冥王星は存在し続けていたはずなのに、人間に発見してもらうまでは占いの世界にも神話の世界にも顔を出すことはできませんでした。できるはずもありません。人間に認識され、解釈されることでしかこの天体は“冥王星”になれないからです。

 他の惑星も同様です。実は数々の星たちは人間にその存在を認知され、位置を読まれ、意味を与えてもらうのをずっと待っていた側なのではないか……?人間の人生の意味や優劣を、そもそも星は決定する権限を持たないのでは……?

 「私、生まれてきた意味があるのかな?」とか「生きてる価値があるのかな?」といった問いが私たちを悩ませることがありますが、問いかけるまでもなく、人間は生まれた時点でもう意味が発生しているのではないでしょうか。ただ、その意味を的確に表す言葉を持つことが叶わなかっただけで。言葉にできないものがあるということは、輪郭のないおぼろげな世界が常に隣接している状態であるということです。だから、そう簡単に答えが見つからない、はっきりしないものと共に生きるいう感覚を大事にし、それらに助けを求め続けてきた歴史が人類にはあるのです。その一つに、占星術も含まれています。

 かつては強大な権力を持った為政者がいて、民はその人の命令に従うのが当たり前の世界でした(今でもその例に漏れない国はありますが)。その影響なのか、人々はたびたび“大きな力に翻弄される者”として自己を認識していたようなところがあります。この感覚は神や占星術と対峙する際にも持ち込まれました。しかし現代においては“大切な自分”という存在をより大きなものとしてとらえ直し「人間一人につき一つの権威が発生するぞ!」ぐらいの感覚の方が合っているのではないでしょうか。「導かれるままに生きているだけでは幸せになれないかも……」という可能性を知ってしまった現代人には、為政者や星に運命を決めてもらうよりも、自らが為政者や星の運命を決める方が向いているのかもしれないのです。

 “誕生日”という概念は人間独特のもので、かつ現代らしい考え方だと思うのですが、誕生の瞬間の星の位置を割り出した、いわゆる“出生ホロスコープ”は人間一人一人を特別な個としてとらえ直すのにうってつけだと思います。誰かを特別だと認識するために“誕生日”はあり、「あなたが生まれた時、空はこんな風だったよ」と祝福を形にして教えてくれるのが出生ホロスコープです。この世界には自分の誕生日がわからない人もいますが、そんな人でも生まれた瞬間は必ず空の上を惑星がうごめいており、たとえ正確な配置がわからなくとも祝福があったことに変わりはありません。皆を等しく祝福する役割を星は担っています。そしてこの役割を星に与えることができるのは人間だけです。

 かつて誰かが生まれた瞬間にそこにあったはずの惑星と今まさに実在している惑星を見比べる、あるいは二人以上の人間の誕生の瞬間を見比べる、といった方法が占星術の基本です。そこにすでに無いものを、“かつてそこに在った”という理由だけで重要な“点”として扱うのが占星術の世界では当たり前です。“かつてそこに在った”ことができたのは、例えば、この文章を読んでくれているあなたが生まれてきてくれたおかげです。あなたのおかげで“点”になることができたものがこの世界にはあるのです。

 そこにすでに無いものを、“かつてそこに在った”という理由だけで重要な“点”として扱うのが占星術の世界では当たり前です。“かつてそこに在った”ことができたのは、例えば、この文章を読んでくれているあなたが生まれてきてくれたおかげです。あなたのおかげで“点”になることができたものがこの世界にはあるのです。

 30年以上前のある時、おうし座に太陽と水星があり、ふたご座に月と火星があり、おひつじ座で金星と木星とドラゴンヘッドがひしめき合い、太陽とさそり座の冥王星がにらみ合い……といった星の配置がありました。これらは、すでにその位置にはありません。しかし、私がちょうどこのタイミングで生まれたおかげで、その瞬間を切りとった感受点になることができました。その感受点は現在実在している惑星と角度を作ることで生き続け、常にメッセージを発信し、その意味を私に解釈されるのを待っているように感じるのです。

 私が生まれた瞬間、冥王星はさそり座8度にあったのですが、それが今現在のやぎ座の冥王星とクインタイル(72度)という位置関係で結びついています。同じ惑星同士のアスペクトというのは、今まさに現存している惑星が、過去の自分自身との因果を感じている状態を現しているといえます。つまり、“かつての自分”との再会を果たしている真っ最中なのです。

 クインタイルといえばクリエイティブな角度であり、私や私と同世代に生まれた人々が豊かなアイデアを出すことを冥王星同士が期待しているのではないか、と解釈できます。今回の再会が終わったのち、次に冥王星と冥王星が会えるのは、マイナーアスペクトのバイノナゴン(80度)、そしてその次は占星術の世界では悪名高いスクエア(90度)によって結び付いたときです。

 私は冥王星と冥王星のスクエアは正直あまり怖くないのです。かつての冥王星と現在の冥王星が久しぶりに再会できる、と考えると何が起きても大丈夫な気がするからです。問題は、その位置に冥王星が来た場合、ネイタルの太陽(出生時、冥王星とオーブ1度以内のオポジション)ともスクエアになってしまうこと。これがどうなってしまうかわからない(笑)いざとなったら太陽を見捨てるかもしれません……。

 ただ、この厄介なTスクエアをあらかじめよく知っておくために、ネイタル冥王星と太陽がトランジットの他の惑星とスクエアを組んだときどうなるか?を日記にしてとっておこうかな、なんて思いつきました。そのためにこうしてブログを始めたようなところがあります。なのでこのnoteは冥王星の話題が多くなるかと思います。冥王星マニアを目指します。冥王星が私を待っている。(という思い込みです)

 冥王星がホロスコープを一周して再び同じ位置に来るとき、私はもう死んでいます。それぐらい長い時間をかけて冥王星は軌道を回ります。冥王星とネイタルの感受点の角度の形成は、基本的に一生に一度しか巡ってきません。この一生に一度の時間を大切にするために、これから占星術のこと、自分の目から見た世界のことを書き記していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

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