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人から罵声を浴びせられた時どう考えたら心安らかになるか考えてみた。

昨晩、自転車で横断歩道を渡っていたら、真正面から同じように自転車で渡ってくる若そうな男性が来ました。
わ、どっちに避けるべき?!と思ってる間にギリギリで先方が避けてくれましたが、通り過ぎる時にバーカ!と言われました。

もちろん私は上品なお姉さんなので、反射的に「あ“ぁ”?クソが!マジ○ねや!」と思い(もちろん声には出しませんよオホホ)
通り過ぎた相手に向かって聞こえるように舌打ちをする程度で事なきを得たのですが
どうにも腹が立って仕方がない。

でも同時に、私の脳内であんな見知らぬクズカスの事を考える時間やエネルギーを費やす事がもう価値が無さすぎて無駄でしかなく、どうしたものかと思った結果、これは何か私が得するように捉え方を変えてみようといくつか考えてみました。

まず、最初の反射の「クソが!○ねや!」ですが、この言葉をこのまま持っておくのはどうしても避けなければなりません。理由は「思ったり言ったりした言葉は自分に言うことになるから」
この出来事を思い出す事あるごとに「クソが!○ねや!」と思うとなると、その回数分自分に言うことになってしまうし、ただでさえ腹が立つのに更に自分がイヤな気持ちになるとか、もし相手がそういう意図でバーカと言ったのであれば相手の思う壺です。(まぁそこまで考えて言ってないと思いますがw)

なので、この出来事があったおかげで私がさらに良くなってしまった、というきっかけにしなければなりません。

となると、「あいつが毎日足の小指をぶつけますように」とか「チャリを毎回パクられますように」「肝心な場面で毎度しくじりますように」とか相手の不幸を願う系は選択肢から排除されます。私の知らないところであのクソカスが不運になるのはザマァではありますが、私は何も得しないし、相手がイヤな気持ちになる事を願う、それはまさにあのクソカスと同じ思考回路になってしまう事を意味するからです。

そこで「クソカスがバーカと言った瞬間、私の不運とやつの幸運が入れ替わった」と捉えてみるのはどうだろう?と考えました。
私が出会うはずだった不運があっちに行き、クソカスが得られるはずだった幸運が私に来ると。おぉ!これは我ながらいい思いつきではないでしょうか?今後何かちょっとしたいい事が起こったり、あるいは時折この出来事を思い出したとしても
「見知らぬ人なのに、頼んでもないのに、自らをおとしめてまで私の厄災を持って行ってくれるとは!なかなか出来る事じゃないよね〜ありがたし!」
なんてちょっと感謝も出来てしまう。これはいい!
という訳で、私の中で「あのクソカス」という「許しがたい人間」だったのが「厄災回収さん」ていう、ちょっとした神様みたいな妖怪みたいな物に変化して、心穏やかになったので一件落着となりました。

人の嫌がる事を言ったりしたりして、自ら他人の厄災を回収していく厄災回収さん。
今日も頑張って厄災回収してるんかしら?プププ!もう私の世界線には出て来ないで大丈夫なんで〜☆

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